Twitter のTLから巡り合った
このサイト
『いつも空が見えるから』


の ページ。



そこから また このページに飛んで。


そこに

茂木健一郎さんのLINEブログからも 知った
ミハイ・チクセントミハイ さんの

からの 引用と 
このサイトの方の文より

そのまま ペーストさせていただきます。


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創造的な人は状況に応じて、同時に積極的かつ協調的であったり、あるいは、あるときには積極的で、あるときには協調的であったりする。

複雑な性格を持つということは、人間の能力の全範囲に潜在的に存在しながらも、通常は、私たちがどちらか一方の極が「良く」、もう一方の極が「悪い」と考えるために退化してしまうような、多様な特性すべてを表現できるということを意味している。(p65)


心に留めておくべき重要なことは、これらの矛盾する特性―あるいは、矛盾するどのような特性であっても―を、通常、同一人物のなかに見出すことは困難だということである。(p86)


複雑な性格とは、中立的な状態、あるいは平均的な状態を意味してはいない。二つの極の中間に存在するある特定の位置ということではないのである。

たとえば、それは、あまり協調的でないといった優柔不断さを意味するものではない。

むしろ、複雑な性格とは、状況に応じて一つの極からもう一方の極へと移動する能力とかかわっている。(p65)


アスペルガー的でありながらADHD的

この説明そのものが複雑でカオスすぎてピンとこない人も多いでしょうから、もう少し、このブログに馴染み深い表現に言い換えてみましょう。

チクセントミハイは、複雑な人格とは何かを説明するにあたり、複雑な性格には当てはまらない2つの対照的なタイプを挙げています。


自分の身の回りの家族や友人を思い浮かべると、ああ、あの人はADHDみたいだとか、彼はアスペルガーっぽいかな、という例が思い当たるかもしれません。

逆に、しっかり者で、よく気がつき、空気も読めて、柔軟に接してくれる人、とてもじゃないけれど、発達障害のステレオタイプには当てはまらないような人、いわゆる定型発達者も何人か思い当たるかもしれません。

では、ものすごくADHDのような行動力や豊かな発想力がありながら しっかり者で、同時にものすごくアスペルガーのようなマニアックな博識やこだわりがありながら柔軟に周りに合わせることもできる、そんな人がいるでしょうか。

アスペルガーとADHDの悪いところが両方出ている、という意味ではなくて、両者の性格特性のいいとこ取りをして、両極端の長所を同時に持っているという意味です。

チクセントミハイの言う「複雑な性格」とはそのようなものです。そして、それこそが、チクセントミハイが、極めて創造的だと感じた91人の人たちに共通してみられた特徴なのです。


創造的な人々は間違いなく両極端を知っており、それらを同等の強さで、内的な葛藤なしに経験するのである。

この結論は、創造的な人々のなかにたいてい存在し、それぞれが弁証法的緊張のなかで統合されている。(p65)

絶対に矛盾するような両極端の性質をすべて持っていながら、それらが奇跡的に統合されて一人の人間のなかに存在している、それこそがチクセントミハイの言う、極めて創造的な人に特有の「複雑さ」なのです。


「HSP/HSS」という珍しいタイプ

神童であることが成長後の創造性の必要条件ではないにしても、周囲の環境に対して示される通常以上の鋭い好奇心はその必要条件であるように思える。

実際、領域に新たな貢献をもたらした人々は、例外なく、人生の神秘に対して畏敬の念を抱いたことがあり、そうした神秘を解き明かすための努力について豊富に逸話を持っている。(p174)


チクセントミハイは、創造的な人たちが、幼少期から「感受性が強い」だけでなく、「並外れた好奇心」をも持ち合わせていることに気づきました。

子どものころ神童とみなされていなくても、異例なほど好奇心が強く、さまざまな物事に普通以上の強烈な関心を示し、あらゆるものに手を出し、あらゆるものに取り組み、しかも徹底的に知ろうとします。


遺伝的な観点から見れば、「感受性の強さ」(HSP)はセロトニントランスポーター遺伝子の変異と、「並外れた好奇心」(HSS)はドーパミン受容体遺伝子の変異と関係している、生まれつきの性質なのでしょう。

それらはかたやリスクを避ける、かたやリスクを求めるという正反対の傾向ですが、異なる原因に基づいているため、一人の人物のなかに生まれつき同時に存在することがあるのです。

それで、エレイン・アーロンは、HSPまたHSSという概念にそって人々を分類すると、4つのタイプに区別しうるとしています。


1.HSP/非HSS……内省的で、静かな生活を好む。衝動的ではなく、あまり危険を冒したがらない。

2.非HSP/HSS……好奇心に満ち、やる気があり、衝動的で、すぐに危険を冒し、すぐに退屈する。与えられた状況の繊細なことにあまり気づかないし、興味もない。

3.非HSP/非HSS……それほど好奇心もなく、内省的でもない。あまり物事を考えることなく淡々と生活している。

4.HSP/HSS……移り気である。HSPの敏感さとHSSの衝動性の両方をもつため、神経の高ぶりの最適レベルの範囲が狭い。つまりすぐに圧倒されるが、同時に飽きっぽい。新しい経験を求めるが、動揺したくないし、大きな危険は冒したくないのである。あるHSP/HSSによると、「いつもブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような気がする」そうだ。(p57)


もうおわかりと思いますが、この4つのタイプを見れば、チクセントミハイのいう創造的な人、「複雑な性格」の持ち主が、どこに当てはまるのかは、一目瞭然です。

HSP/非HSS、つまり純粋なHSPは内省的で創造性を発揮しますが、両極端の性質を持つ「複雑な性格」ではありません。

非HSP/HSS、つまり純粋なHSSは活動的ですが、じっくり考えないので、深みのある創造性を発揮できません。やはり「複雑な性格」ではなく、はっきり言うと単純です。

非HSP/非HSS、いわゆる普通の人は、チクセントミハイが述べていた「平均的」「中間的」な性質を持っているので、まったく両極端ではなく平凡です。

複雑な性格を持つ創造的な人とは、間違いなく最後の4番目、HSP/HSSの人たちのことです。敏感さと衝動性を両方持っていて、内向的であると同時に外向的でもあり、あたかもアクセルとブレーキを同時に踏んでいるかのような珍しいタイプです。


HSP/HSSは、自分の神経の高ぶりの最適レベルを見極める特別な助けが必要である。

こういう人はすぐに退屈するし、すぐに圧倒される。外出するか家にいるか、もっといろいろなことに手を出すべきか、出さざるべきかで悩むことが多いだろう。

これは非HSPのようになろうとするができない、という悩みではなく、むしろ自分の基本的な仕組みからくる「内なる葛藤」である。(p61)


HSP/HSSの人は、外向性と内向性、新奇追求性と用心深さのような、あまりに両極端の性質を抱え持っているため、自分の基本的な仕組みからくる「内なる葛藤」に悩まされます。そして、「神経の高ぶりの最適レベルを見極める」のに苦労します。

これは、チクセントミハイが91人のインタビューから見いだした1つ目の傾向、すなわちエネルギッシュでありながら疲れやすいことと一致します。

チクセントミハイによれば、創造的な人たちは、子ども時代には体調が優れず、大人になって自分に最適な生活リズムを身に着けることで、創造性を活かせるようになる場合があるとのことでした。

それはすなわちHSP/HSSという生まれ持ったアクセルとブレーキを同時に踏んでいる荒馬のような気質を乗りこなすのに試行錯誤の期間を要するせいでしょう。

エレイン・アーロンは、さらにこうも述べています。

HSP/HSSの不利な点は、外的な力と、自分の中にある相容れないふたつの気質が引き起こす内的な葛藤の両方に引きずられ、スーパーマンやスーパーウーマンになろうとがんばってしまうことだ。そのため体が悲鳴を上げるまで、敏感な側面は無視されてしまう。

ここで重要な警告をしておこう。HSP/HSSも、神経の高ぶりすぎや疲労感を経験するのだ。

HSSであるがゆえに、社会のいう理想型に近づけるような気になるかもしれないが、身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプを自分に押しつけてはいけない。(p86)


ここでもHSP/HSSの特徴は、創造的な人の「複雑な性格」と見事に合致しています。

自分の中にある相容れない気質からくる、内なる葛藤を乗り越えるには、「社会のいう理想型」「身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプ」を自分に押しつけないことを学んでいく必要があります。

チクセントミハイがインタビューした91人の創造的な人たちは、このプロセスをすでに乗り越えて創造的な業績を挙げていたので、自分のリズムを守り、空気を読むときもあれば読まないときもあり、文化的影響に流されず、ジェンダーフリーに見えたのです。

そのようなわけで、チクセントミハイが見いだした、極めて創造的な人たちに共通する「複雑な性格」とは、感受性の強さと並外れた好奇心を両方持ち合わせた、生まれつきの遺伝的性質HSP/HSSを土台に形成されたものである、ということができます。


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この  HSP/HSS  って 概念を 

文字として 目にすることができて


いま、わたし ようやっと

あぁ、ちょっと 救われた…って 。



この

HSP/HSSという生まれ持ったアクセルとブレーキを同時に踏んでいる荒馬のような気質』


って 


みごとに わたしだ。


ハハハ。


そして

自分の中にある相容れない気質からくる、内なる葛藤を乗り越えるには、「社会のいう理想型」「身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプ」を自分に押しつけないことを学んでいく必要があります。


いま、この

「社会のいう理想型」「身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプ」を自分に押しつけない


ってことを

わたしは様々なとこから

学びつつある、ってことなんだね。




これで、さらに

もう 堂々と 

『わたし』で いられそう。


時代に 

みなさんに

全てに

また


ただただ

感謝なり。