「やぁ元気?」スマホ雷

親友の「カトッぺ」から久しぶりに連絡が来たのは昨年の1月でした

「ボチボチだけれど まだまだ社会復帰には程遠いよ~」と私
「カトッぺから電話なんて珍しいね何か有ったの?」

「う~ん此の年になるとさ良い報告は少ないよな~」

「なにそれ?悪い報告って事?」

そんなやり取りが続きました

カトッぺは私が東京に来た時初めて友達になった男です私よりも3級上でした私がバイトをした中目黒の喫茶店のチーフをしていました。サンドウィッチやピラフ・パスタ・ピザ・おにぎり・トースト・あとは深夜の客用おつまみの数々すべてカトッぺから習いました 

私は良い生徒だったと思いますよ自分で言うのも何なんですが私、かなり器用でしたし何より「将来独立して自分の店を持つのが夢でしたからある意味真剣でしたし・・・

カトッぺとは 加藤さんと言う方なんですが当時一緒に働いていた彼女さんがカトッペと呼ぶので私もカトッペと呼ばせていただいていました
のちに奥さんになる彼女は美佐子と言う名でカトッペはミースケと呼んでいました 
当然私も ミースケと呼ばせてもらっていましたカトッペとミースケは同じ年です

結婚式に呼ばれたのですが当日、腹痛で欠席してしまい二人にはぶーぶー文句を言われました


最初に知り合ったお店は1カ月に2日しか休みのない喫茶店で2交代制で朝から夜中3時頃まで営業しているような喫茶店+スナックみたいなお店だったように記憶しています

私の実家の近くだったので選んだんですが その後カトッペはお店を辞めて隣駅の喫茶店を任されました営業時間を延ばして人員補充で私を呼んでくれました


此の頃から友人としてお付き合いを始めました
言葉も「タメ口」になりました

当時カトッペは大学生私は高校を出たばかりでした

それから色々な事が有りましたが、たまにはあって家族旅行にいったりキャンプをしたり潮干狩りはここの所毎年のように行っていました 海釣りも良くいきました 40年はあっという間でした

バブル期私はパブ・スナックを経営しカトッペはカーショップを経営していました

ここに至るまでカトッペが良い職場を見つけてきては私を呼んでくれると言う事を繰り返してくれてその度に労働条件も賃金も良くなっていきました

そんな感じの私の親友です  たった一人の親友です

此の親友からの電話は深刻なものでした
大腸癌が見つかりステージⅣで手術をしなければ余命3カ月、手術を受けた場合余命6カ月と言われたのです

すぐに大腸の1部摘出手術を行いましたがどうも術後の回復が遅くカトッペは心配になり近くの病院の評判を調べました
同じ市にガン治療に長けた病院が有る事を調べて即座に転院しました

そこで言われた事は「こんな手術じゃ癌がとり切れていない今もう1度手術をしないと1~3カ月しか持たない」と言う事でした

カトッペはすぐに手術を覚悟しましたがこの時すでに肝臓に転移していました 大腸の癌はきれいに取り切れましたが 肝臓は手術は出来ません抗がん剤治療を受ける事になりました

              2部に続く YOU