◆私は国に指定されている
『特定疾患』(難病)指定患者です。
私がハンデを抱えていること、
そして私が毎日闘っているその病が
いかに深刻かということは、
他者からは一見、私の外見などからは
想像がつかないかもしれないということも
私は理解しています。
ただ、私の心の中に積もりに積もった
「ある感情」が溢れ出てくるのを
止めることは出来ませんでした。
私はようやく、数年かけて寝たきりから
回復し、車椅子♿を経て、杖を使い、
そして少しずつですが外出できるように
なりました。しかし、今現在も続く
大量の投薬、
月に数回の通院(1箇所ではない)、
毎週3日のリハビリ
(自宅訪問リハビリサービス)、
そして今後、最低でも4箇所の外科手術
(人工関節全置換手術)が必要な状態です。
(2箇所はすでにオペ済み)
毎日毎日イライラしながら、
全身の痛み等と闘っています。
自分がやりたいことが、
なかなかできない、その辛さを
知っている方は多数いらっしゃると
思います。私はなにも同情を
誘うようなことを
言いたい訳ではありません。
一例をあげます。
ハンデを背負っている人間は
お洒落を楽しんではいけないのか?
私の今の持ち物、洋服や身の回りの
所有物等はハンデを背負う前に
自分で働き購入し、とても大切に
してきたものです。そして今現在は
私なりに色々と知恵を働かせて
なんとか生活しています。
理解に乏しい、または悪意ある人間は、
私たちなりの努力を計ろうともせず、
安易に誹謗中傷してきます。
(面と向かって言ってくる勇気はないのに)
福祉に携わる役所・医療の人間でさえ
その有り様です。(勿論、一部の人間ですが)
ハンデのある人間は、
それらしく振る舞わなければ
(難しい表現です。他意はありません)
ならないのでしょうか?
そして、重ねて述べさせていただくならば、
私は『特定疾患』(国の難病指定)を
発症してから今まで過去1度も、
ハンデを背負っていることを
声高らかに絶叫したことはありません。
そしてそれはこれからも変わりません。
他にも言いたいことはたくさんありますが、
数えあげたらキリがありません。
私自身、人は「見た目」で判断しては
ならないという思いは勿論持ち合わせて
いますが、現実社会では、
ほぼ「見た目」で判断されてしまいます。
いかにハンデを抱えていないように、
日々私たちが努力をしているか、
知る人は小数だと感じてしまいますが、
それは仕方のないことなのでしょう。
なるべく出来る限り、
他者に余計な気を遣わせたくありません。
(ハンデは「恥」だから、などという
感情は全くありません)
そんな中、心ない言動をサラッと
かましてくる人間がいるのも事実なのです。
私も私以外の人間の痛みや苦しみは
残念ながら100%理解することは出来ません。
しかし一瞬でも、想像を張り巡らすことは
少しずつですが、できるようになりました。
勿論、まだまだ理解不足で
自己嫌悪を感じてばかりいますが…。
「生きていく上で相手に対し、
最初から期待するな、相手に全てを
求めてはならない」と
いうことも大体理解はしています。
でも、『期待するな』なんて、
そんな世の中、
面白くもなんともないと考えています。
長くなるので、ここまでにします。
心無い人間?たちが少しでも理解が
深まることを、かすかに願いつつ
(殆どあてにはしていない)、
私自身「言葉」だけではなく「行動」で
示していけたらと考えています。
毎回発言しておりますが、
あなた自身もあなたのパートナーも、
あなたの家族も、友達も知人も
10分後に何が起こるかは
誰にも分かりません。
だからこそ、今現在の境遇に感謝する
ことも時には必要なのではないか
と思います。
おおよそ健康ということは当たり前では
ありません。何かしらハンデを
抱えている方は大勢いらっしゃるのです。
言うだけなら簡単ですね。
誰にもできますから。
それは認識しています。
生きてるだけで
どれだけありがたいことか。
少し身体が痛むので、休みます。
追記: ちょっと疲れていたみたいで
ほぼ愚痴になってしまいました。。
吐き出せたとは思います。
以後、気をつけたいと思います。
皆さんの痛み(全て)が和らぐことを
願っております。
#あらためて言葉にしてみる
