大学時代そして会社員になってからも、課題や報告書といった書類作成で毎日PCと向き合って
ブラインドタッチしまくっていた。
でも会社員を辞めてから向き合うのはスマホやタブレットばかりになり、もうタイピング忘れちゃう?とちょっと不安になった。
PCでここまでの文章を打ってる感じでは、そこまでは鈍ってなさそうだけど('ω')
タイピングのトレーニングしよう!
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(↑謎の書き出し(*´ω`) )
今日のタイピングネタの出どころは、高校時代のメモから。
高校…何年前…二十○…骨董品レベル(;´Д`)
『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソンについての覚書より。
すべての生き物がたがいに関わりあって、自然界のバランスを保っている。
『沈黙の春』は人間の活動によって自然のバランスがくずされ、野生生物ばかりでなく、人間自身の生命さえもおびやかしてしまう可能性をはっきりと警告した。
レイチェル・カーソンは「地球の恩人」。
ジョン・メスフィールド(イギリス)の「海洋熱」という海の詩がとくに好き。
ビクトリアス・ポター(イギリスのナショナル・トラスト運動に大きく貢献)のピーター・ラビットなど愛読。
11歳で「雲の中のたたかい」を投稿し、プロ作家に。
自然科学の授業で生物学を選んだ。(後に文学から生物学に専攻も変えた。)
化学・発生学・遺伝学・微生物学・組織学などの講義を受けた。数学が最も苦手で、得意の友人に助けてもらった。
アルフレッド・テニスン(イギリスのビクトリア朝代表詩人)の『ロックスレー・ホール』の
“すると、強い風がまきおこった\海へ向かって ごうごうと吹いていく\さあ、わたしもいこう!”
に強烈な感動をした。
22歳、ウッズホール海洋生物研究所で研修。海に関する仕事に就こうと決心。
29歳、漁業局で専門の海洋生物学者を必要としていることを知り、公務員試験にトップで合格。
30歳で「海の中」→34歳で内容をふくらませて「潮風の下で」を出版。初めての著書。
息ぬきにハーマン・メルヴィルの「白鯨」。
好きな作家の一人、ヘンリー・ウィリアムソン(イギリス)の「カワウソのタルカ」「サケのサラ」(動物が主人公)が執筆に影響。
33歳、漁業局が内務省の魚類野生生物局に組織替えとなる。
「わたしはある仕事を、女性がしたのか男性がしたのかということには関心がありません。すべて人間の仕事なのです。」
レイチェルは、いろいろなタイプの人たちを理解しようとつとめ、新しい友人ともよろこんで話し合ったし、どんな話題でも、笑いの輪に入っていって、そのなかに溶けこんでいった。
レイチェルは世界じゅうを旅することを夢見ていたが、仕事と家族への責任を強く感じていたので不平ももらさず、海岸へ出かけるにとどめていた。小さなノートに、散歩のたびに発見したことを記した。
原爆が戦争に使われたことで、それまでの「生命の流れは、神がさし示した進路にそって、その流れのひとしずくにすぎない人間に妨げられることなく流れつづける」という信念をくずされた。生命の流れが不変であるという考え方を変えざるをえなかった。人類は地球の営みを妨害し、永久に変えてしまうこともできる。巨大な力を持った人類は謙虚でなければならない。
ずっと先輩の科学者がやった仕事でも、ずさんなできばえであれば、ていねいな言葉ではっきりと批判した。いい加減な手ぬき仕事には我慢ならなかった。
人間と自然との平和的な共生。
“野生生物にも人間と同じように生きていく場所が必要です。―湿地を干拓してしまいました。そうやって、かつては野生生物が棲息するのに適した土地を少しずつ奪いとってしまったのです。”
完全主義者で後から1つでもまちがいが見つかるということは許せなかった。
44歳、「われらをめぐる海」出版。ベストセラーになった。
いつもノートを持っており、思いついたことは可能なかぎりメモしていた。
初対面の人との雑談や人前でのスピーチは苦手だった。
どうしても講演しなくてはならないとき、2・3週間も前からスピーチの原稿を書いて母や猫を相手に練習した。でも1500人の聴衆を前にしたときはたいへん緊張したがスピーチは大成功。それ以来、他の所でも講演するようになったが、いつも前もって講演原稿を準備する姿勢は変わらなかった。
あらゆる生命のなかでは人間も些細な位置を占めるにすぎない。「わたしたちはそろそろ、望遠鏡を反対側からのぞいてもいいのではないかと考えてしまいます…もし、望遠鏡を逆にして人間を広く遠い視野のなかに置いてながめれば、わたしたち自身の破滅をもたらすような計画を立てる時間や情熱は減るのではないでしょうか。」
センス・オブ・ワンダー=ふしぎさに目をみはる感性。
46歳、メイン州ウエスト・サウスポートに別荘をもつ。長年の夢の実現。
どちらかというとひっこみ思案で、友だちをつくるのは苦手だったが、すぐ仲良くなれる人もいた。
エコロジー、つまり、どの植物も動物も一つの共同体に属しているという思想。海辺の生き物は海に属している。
小さなリングのノートに観察している生き物の動きや形について詳細に記録。
48歳、「海辺」出版。ベストセラーに。文学と科学の二分野で大成功をおさめた。
家は見た目がシンプルで機能的であるべきだ。
ありのままの手つかずの海などもうほとんど残っていない。「まだ手つかずの自然がある場所は、国立や州立の公園として残しておくべきだ。なぜならば、この宇宙時代において、人間がとる方法がつねに最善であるとはいい切れないのですから。」(「たえず変貌する海辺」)
地球上に野生のまま残しておく場所を確保すべきだ。
関心がある問題について勉強の意味もあって膨大な政府の報告書を読んだ。
情報を得ようと専門家に質問した。
自然に対する人間の傲慢な態度。
記事を切りぬいてまとめ、書かれてある事実を確かめ、それを二度も三度もチェックした。
53歳、民主党顧問委員会の天然資源委員会の委員になった。汚染の規制、放射能による海洋汚染、化学的毒物による土壌汚染などについて意見を述べた。
科学的な言葉などは何一つ教えず、ただ見ることだけを教わった。
ベートーヴェンのバイオリン・コンチェルトが大好きな曲。
自然に触れる楽しさは、人気のない山の頂や海辺、また静かな森に足を運ぶだれもが手にすることができます。またあるときは、種子から芽をふく植物のごくささやかな神秘について思いをめぐらすだけで手に入るものなのです。
いますぐ、すべての農薬を禁止するなどということは、たとえわたしたちが望んだとしても不可能です。わたしたちに実行可能な成すべきことは、危険な薬剤をより有効な新しい手段に切りかえる計画を、できるだけ早く確立することなのです。
当時の大統領ジョン・F・ケネディは大統領の科学技術諮問委員会のなかに農業委員会を設けることにした。
レイチェルにとってもっとも意義のある賞は、1963年1月7日に動物保護研究所から贈られたアルベルト・シュヴァイツァー賞。この博士を尊敬し、博士の「生命への畏敬」という考えに深く共感していた。
かつてシュヴァイツァー博士は、「もしわれわれが人間と人間との関係にしか関心を持たないとしたら、われわれは真に文明化しているとはいえない」といわれました。大切なのは、人間とほかのあらゆる生命体との関係です。
科学は半分の真実という気休めの薬を人々に飲ませ、その一方で生命と生命が織りなす網を破っているのです。
「たのしい川べ」(イギリス ケネス・グレーアム作)が好き。
「ミュアの森」…アメリカの自然保護の巨人ジョン・ミュアを記念して、カリフォルニア州のレッドウッド(セコイア)の森にその名をつけた。
「レイチェル・カーソンは、科学的識見と道徳的感覚をもって、生命ある自然に対するわれわれの意識を深めてくれた。さらに、自然に対する先見性のない技術的征服がわれわれ人類の根源を破壊するかもしれないと警告したのである。」という紹介文に感激。
1964年4月14日、メリーランド州シルバー・スプリングの自宅で56歳で亡くなった。
モナーク蝶=オオカバマダラ。
どんな生物についても、彼らが生活史の幕を閉じようとするとき、わたしたちは、その終末を自然な営みとして受けとります…。
農薬の状況を公けに知らせる組織をつくりたかった。
1956年、レイチェル・カーソン協会を首都ワシントンに設立。『沈黙の春』であつかわれた農薬問題を中心に化学物質による汚染に焦点を合わせるとともに、自然界の複雑さ、ふしぎさへの理解を深める活動をしている。生前のレイチェルの大きな願いだった。
「もう一つの分かれ道」には自然をありのままに保つことも含まれている。
生物学者。エコロジーの母。
ペンシルベニア州スプリングデールが生まれ故郷。現在、彼女の幼年時代の家は歴史的な史跡として国に登録されている。
ピッツバーグのチャタム大学(前ペンシルベニア女子大学)は1989年にレイチェル・カーソン研究所を設立。「レイチェル・カーソンの日」も制定。
ペンシルベニア州議会はレイチェル・カーソンの誕生日を州の記念日にした。5月27日。
DDTのため絶滅に瀕していたハヤブサを人工飼育し、育った三羽のうちの一羽にレイチェルと名がつけられ、自然に放たれた。
1965年、「センス・オブ・ワンダー」出版。
1970年、6月、野生生物保護区にレイチェルの名が冠された。
環境ホルモン(外因性内分泌攪乱物質)は100㎥の水に角砂糖一つを溶かしたくらいのごく微量ではたらく。
『沈黙の春』で化学物質がもたらす環境汚染の重大性がはじめて知られた。
「センス・オブ・ワンダー」=自然の美しさ、不思議さ、神秘さに目をみはる感性。
自然のすべてのものはたがいに手をつなぎあって、いのちの織物を織り上げていることをまのあたりにして成長。
「人類と動物は運命共同体である」は幼いときからの信念。
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