ネット・ストーカー問題(19) 「窮鼠」 | ホルコンマスターコウの虎視眈々

ネット・ストーカー問題(19) 「窮鼠」

 

 こんばんは。

 

 前回の続きです。

 

 詭弁シリーズのような話ですけれど、

 読むだけでも、自分の頭がよくなった気になりました。

 

 Wikipediaからの転載です。

 

 ややこしい表現や、小難しい言葉があったので、

 改行などをして、読みやすくしました。

 

 とりあえず、どうぞ。

 

 あ、前回の対人論証(人身攻撃)と同じで、詭弁の範囲ですね。

 詭弁の種類などを、分類しています。

 

 ※ 正論の対義語が、詭弁でもあります。

 

 ※ Aとか、Bというのは、参考事例との意味のようです。

 

 -------------------------

 

 ■ 前件否定の虚偽 (denying the antecedent)

 

 A「自分がされて嫌なことは、人にもするな(黄金律)」
 

 B「なら自分がされて嫌でなければ、人にしても良いんだな」
 

 Aの発言に対するBの返答は「XならばYである。故にXでなければYでない」という形式の論理であり、

 これは論理学で前件否定の虚偽と呼ばれる。

 

 数学でいうと「自分がされて嫌なこと」は「人にしてはいけないこと」であるための十分条件である。

 命題から論証なく「裏」を導き、それを用いる論証。

 

 このタイプの推論は、XとYが論理的に同値の時のみ成立する為、恒真命題ではない。

 

 なおこの虚偽は、仮言的三段論法においても適用される。

 「もしAがBならば、AはCである。しかしAはBでない。故にAはCでない」は、前件否定の虚偽となる。

 「AがBならば」という仮定をX、「AはCである」という結論をYと置けば、

 「XならYである。Xでない。故にYでもない」となり、前件の否定を前提とする論理となるからである。

 

 -------------------------

 

 ■ 後件肯定の虚偽 (affirming the consequent)

 A「対象について無知ならば人は恐怖を感じる。つまり、怖がりな奴は無知なんだよ」

 

 Aの発言は「XならばYである。故にYであればXである」という形式の論理であり、

 これは論理学で後件肯定の虚偽と呼ばれる。

 命題から論証なく「逆」を導き、それを用いる論証。

 

 このタイプの推論も、前件否定の虚偽と同じように、

 XとYが論理的に同値の時にしか成立しないので、恒真命題ではない。

 

 Aの発言は、「シャチは哺乳類である。故に哺乳類はシャチである」という推論と同じ論理構造である。

 仮に「無知だから怖がる」という前提が真であったとしても、

 その前提から「怖がりな人は無知である」と結論することは論理的に誤りである。

 怖がりな人は無知であるかもしれないし、無知ではないかもしれないからである。(逆は必ずしも真ならず)

 

 -------------------------

  

 ■ 媒概念不周延の虚偽 (fallacy of the undistributed middle)

 

 A「頭の良い人間は皆、読書家だ。そして私もまた、よく本を読む。だから私は頭が良い」
 

 Aの発言は「XはYである。ZもYである。故にZはXである」という形式の三段論法で、

 これは論理学で媒概念不周延の虚偽と呼ばれる。

 

 このタイプの推論は、Z⊆X⊆Y(⊆:部分集合)でない限り成立しないので、恒真命題ではない。

 

 Aの発言は「カラスは生物である。スズメバチも生物である。故にスズメバチはカラスである

 (あるいはカラスはスズメバチである)」という発言と論理構造が等しい。

 

 また、Aの発言について、「頭の良い人間は皆、読書家だ」が真であったとしても、

 「読書家は頭がいい」はそれの逆となるため、必ずしも真であるとは限らない。

 

 -------------------------

 

 ■ 早まった一般化 (hasty generalization)

 A「私が今まで付き合った4人の男は、皆私に暴力を振るった。男というものは暴力を好む生き物なのだ」

 

 Aの発言は、少ない例から普遍的な結論を導こうとしており、早まった一般化となる。

 

 仮に「男というものは暴力が好きなのかもしれない 」と断定を避けていれば、

 その発言は帰納となる(帰納は演繹ではないので、厳密には論理的に正しくない)。

 

 Aの発言を反証するためには、暴力が好きでない男の存在(ある男は暴力的でない)を示せばよい。

 Aの発言は、「1は60の約数だ。2も60の約数だ。3も60の約数だ。4も60の約数だ。5も60の約数だ。

 6も60の約数だ。つまり、全ての自然数は60の約数なのだ」と論理構造は等しい。

 この種の話法例は容易であり「ある貧困者が努力により成功した」「ある障害者が努力により成功した」

 などの論調により統計的な検証を待たずして命題として認証される誤謬の原因となる可能性がある。

 

 ある貧困者や障害者が「努力」を要因として成功したとしても、

 それは問題の解決にとって論証的に有効な提示となりえるかどうかは分からない。

 

 都合の良い事例や事実あるいは要因のみを羅列し、都合の悪い論点への言及を避け、

 誤った結論に誘導する手法は「つまみぐい (チェリー・ピッキング)」と呼ばれる。

 

 また、極稀な例を挙げ、それをあたかも一般的であるように主張することもこの一種となる。

 

 -------------------------

 

 ■ 合成の誤謬 (fallacy of composition)

 A「Bさんの腕時計はロレックスで、財布とサングラスはグッチだった。きっと彼はお金持ちに違いない」
 

 これは「ある部分がXだから、全体もX」という議論で、合成の誤謬と呼ばれる。

 

 この例では金持ちでなくても他の部分で節約しつつ、

 いくつかの高級ブランド品を購入して着用している可能性もあるため必ずしも真ではない。
 早まった一般化との違いは、最初に着目するものが「全体に対しての部分」であるという点。

 

 この種の論証は必ずしも真ともならないが必ずしも偽ともならない。

 

 もしこの種の論法がつねに有効であるとすれば、

 「Bさんは白ワインが大好きだ。他にもエビフライ、アロエのヨーグルト、カスタードクリームが好きだと聞いた。

 なら、白ワインとカスタードクリームを混ぜたアロエのヨーグルトをエビフライにかけた物も

 喜んで食べるに違いない」といった推論がつねに正しいことになる。

 経済学では、ミクロ経済で通用する法則がマクロ経済でも通用するとは限らない、という論旨で使われる。

 自然科学や社会科学では、複雑系では還元主義的手法が通用するとは限らない、という論旨で使われる。

 -------------------------

 ■ 分割の誤謬 (fallacy of division)

 

 A「○○国のGDPは高い。だから○○国民は経済的に豊かだ。」
 

 これは「全体がXだから、ある部分もX」という議論で、分割の誤謬と呼ばれる。

 合成の誤謬とは逆のパターンの詭弁。

 

 Aの発言は「Bさんはカレーライスが大好物だ。だからニンジンやジャガイモや米やカレー粉を

 そのまま与えても喜んで食べるだろう」と論理構造が等しい。

 

 -------------------------

 

 ■ 媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle)

 

 A「塩は水に溶ける。あなた方は地の塩である。ゆえにあなた方は水に溶ける」
 

 B「車(自動車)は運転免許が必要な乗り物だ。自転車は車(車両)である。

   ゆえに自転車は運転免許が必要な乗り物だ」
 

 Aの発言は「MはPである。SはMである。故にSはPである」と一見第一格の三段論法に見えるが、

 文脈によって異なる意味を持つ単語を媒概念に使用しており、

 「大前提M-Pの文脈におけるM」と「小前提S-Mの文脈におけるM」が異なるため、命題は成立しない。

 -------------------------

 ■ 連続性の虚偽 (Continuum fallacy)

 

 A「砂山から砂粒を一つ取り出しても、砂山のままである。さらにもう一粒取り出しても砂山である。

   したがって砂山からいくら砂粒を取り出しても砂山は砂山である。」
 

 B「建築契約には高額の追加費用の発生の際には事前に承認を求めよとあるが、10万円は高額ではない。」
 

 術語の曖昧性から生じる砂山のパラドックスを利用した弁証法。

 ハゲのパラドックス (fallacy of the bald)、あごひげのパラドックス (fallacy of the beard) とも。

 

 Aは「砂山」の定義が、Bは「高額」の定義が、その量に関して曖昧であるため詭弁が成立する。

 

 閑散とした食堂を「繁盛店」と広告する(何人の客が入っていれば繁盛と呼べるのか不明確)など

 この種の弁論は容易であり、社会生活上しばしば見られる。
 

 -------------------------

 

 ■ 未知論証 (ad ignorantiam)

 

 A「B氏は地底人がいないと断言している。しかし、そんな証拠はないので地底人はいることになる」
 

 Aの発言は、「XがYでない事は誰にも証明出来ない。故にXはYである」

 (存在しない根拠が無いということは「それが有る」ことの証明にはならない)という形式の推論で、これは未知論証という。

 

 「結論できない」という前提から「結論」を推論しているので、前提と結論が矛盾する。

 排中律を前提としない論証においては、証拠がないことを根拠に物事を証明することはできない。

 この種の論証がもし有効であれば、部屋のなかにいるだけで宇宙のありとあらゆることが証明可能になってしまう

 

 (「宇宙には果てがあるというが、そんな証拠はない。よって宇宙には果てが無い」

 「引力は宇宙のすべての場所で機能しているというが、そんな証拠はない。よって万有引力の法則は間違っている」等々)。

 

 これは「A氏は地底人がいると断言しているようだが、そんな証拠はない。地底人はいない」という一見すると

 常識的な論証についても同様であり、地底人の存在について何らかの論証的な判断を下そうとする場合には、

 「証拠の有無」に対して「証拠がある場合は十分な吟味により結論が推定され」

 「証拠が無い場合は論証的には何も言えない」とするのが正しい。

 

 科学的方法においてしばしば未知論証が重大な誤謬の原因となる。消極的事実の証明ともいう。

 

 -------------------------

 

 ■ 論点のすりかえ (Ignoratio elenchi)

 A「スピード違反の罰金を払えというが、世間を見てみろ。犯罪であふれ返っている。

   君たち警察官は私のような善良な納税者を悩ませるのではなく、犯罪者を追いかけているべきだろう。」
 

 B「トマス・ジェファーソンは、奴隷制度は間違いであり廃止すべきだと主張した。

  しかしジェファーソン自身が奴隷を所有したことから明らかなように、奴隷制そのものは間違いではなかった。」
 

 論じている内容とはちがう話題(主題)を提示することで論点をそらすもの。

 論理性が未熟なために陥る場合は誤謬であるが、意識的におこなう場合は詭弁となる。

 燻製ニシンの虚偽 (red herring) とも。

 

 Bの例ではジェファーソン個人の言動の不一致をもって「奴隷制度そのもの」を話題にしており

 「お前だって論法」(tu quoque) ないしは人身攻撃を利用した論点のすりかえである。 

 

 ただし論点そのものが複数存在している場合、論点のすりかえは必ずしも成り立たず、

 その場合詭弁としては合成・分割の誤謬に分類される。

 -------------------------

 ■ ストローマン (Straw man)

 A 「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」

 

 B 「そうは思わない、子どもが外で遊ぶのは良いことだ。

   A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」
 

 わら人形、わら人形論法、架空の論法ともいう。

 Aが主張していないことを自分の都合の良いように表現しなおし、

 さも主張しているかのように取り上げ論破することでAを論破したかのように見せかける。

 

 ------------------------- 

 

 

 以上でした。

 

 前回の「対人論証(人身攻撃)」や、「論点のすり替え」などは、

 SNS上でも、それなりに、見かける表現かと思います。

 

 「棚上げ理論」とも、表現をされることがあるかもしれません。

 

 他人からの自分への質問や追及などに対して、

 自分のことは、とりあえず、独断にでも棚に上げて、

 他の人たちの悪いところに、焦点を合わせようとするとか、

 ま、誘導をするようなスタイルでしょうか。

 

 それで、自分の落ち度などについては、

 ボカそうとしたり、なかったことにしたりと、

 その件についての思考停止をしたり、

 ときに、現実逃避のような流れになるのかもです。

 

 このようなケースの多くは、「饒舌」になるかとも思います。

 

 SNSであれば、異常な投稿数になることも、あるかと思います。

 必要以上に、言葉数を多くして、そちらに、気を逸らそうとすると。

 

 【饒舌】 じょうぜつ

 

  1.《名・ダナ》

  口数多く(くどく)しゃべること。おしゃべり。

 

 また、「早まった一般化」の詭弁のように、

 自分が誘導をしたい物事への大げさな表現をしたり、

 これまで、付き合いもなかった人たちを巻き込もうとしたりと、

 変わった行動もあるかもしれません。

 

 そうやって、当初の自分の落ち度の問題などを、隠そうとするのかもです。

 

 そりゃ、そうで、そもそも、「論点のすり替え」をしたがる理由には、

 自分の落ち度などは、認めたくないという心理が働いているでしょうから、

 どうしても、自分の正当化のために、一定の反動が出るのでしょう。

 

 そこにあって、責任感のある人であれば、

 その問題に向かい合う努力をするでしょうし、

 無責任な人であれば、他の何かの責任にしようとしたり、

 その現場から、逃避行をすることになるのかもです。

 

 その責任転嫁や逃避行の種類に、こうした、詭弁があるのかもしれません。

 

 さらに分岐があって・・・

 

 (1) 言い訳をしたり、嘘を吐いたり、誤魔化して、逃げる。

 

 (2) 窮鼠→猫噛みで、襲い掛かってくる。

 

 こうした構図も、あるように思っています。

 

 

 最近の話題の「ネット・ストーカー問題」を考えるに、

 「ストーキング行為=個人への付き纏い=何かの被害」であれば、

 加害者からの「攻撃性」もあるでしょうし、

 (2)のようなケースが、該当をするかとも思うのです。

 

 まぁ、ネズミが騒いでいるくらいなら、まだ、気にもなりませんけれど、

 何でも、エスカレートをすることがあって、

 ネズミでも、いつしか、群れをなしたり、狂暴な獣のようになってきますと、

 テレビのニュースになるようなことも、ありえるかとは思います。

 

 その意味で、ネズミのうちに叩いておく、という方法論も、

 間違いではないとも考えるわけです。

 

 あの人は、放置をしておれば、いつかは、危険な存在になると。

 

 未来予測の範囲でもあるので、迂闊なことは言えませんが、

 こうしたアンチテーゼも、ときには、必要かと思うしだいです。

 

 あ、長いので、そろそろ、仕切ります。

 

 しかし、私自身、一言で、「詭弁」と言っても、

 様々な目的の違いや種類のようなものがあると知り、学びになっています。

 

 『今のあたなの発言は、「後件肯定の虚偽」ですね?』とかの、

 カウンターを打てるようにとは望みませんけれど、

 人間心理というか、その人が、どのような心境なのかの理解をするためには、

 あってもよい、ひとつのフィルターかとも思いました。

 

 また、こちらのブログを、ご参考にして頂けるみなさんへ、

 正しいコミュニケーションの素材のひとつにして頂ければ、幸いです。

 

 今回は、以上です。

 

 ありがとうございました。