ネット・ストーカー問題(18) 「詭弁」 | ホルコンマスターコウの虎視眈々

ネット・ストーカー問題(18) 「詭弁」

 

 おはようございます。

 

 今日は、用事もあり、早起きで。

 

 それで、少し暇なので、テーマを考えています。

 

 ・・・ 何にするかな。

 

 

 

 あぁ、タイトルにしたところの、「詭弁」の話で、

 面白そうな事例があったのですが、けっこう、難しいのですよ。

 

 ま、事例です。

 

 【詭弁】

 

 主に説得を目的として、命題の証明の際に実際には誤っている論理の展開が用いられている「推論」である。

 誤っていることを正しいと思わせるように仕向けた議論。奇弁、危弁とも。

 意図的ではない「誤謬」とは異なる概念である。

 

 さて、「詭弁」と呼ばれるものにも、いろいろな種類というか、

 ややこしいのですが、例えば、こちら。

 

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 対人論証 (ad hominem abusive)
 

 詳細は「人身攻撃」を参照
 

 A 「私は生活必需品の消費税を廃止するべきだと思う」
 

 B 「A氏はそんな事を主張しているが、彼は過去に傷害事件を起こしている。

   そんな者の意見を取り入れる事はできない」
 

 Bの発言は、Aの主張そのものではなくA自身に対して個人攻撃することで反論しているため、対人論証となる。

 「Aが傷害事件を起こした」という事は、A自身の信用を失墜させる効果はあるが、

 Aの主張の論理的な正否とは無関係であるため、論理的には正しい反論ではない。

 

 このように、論敵を貶めて信用を失わせようとする目的で行われるのが対人論証で、人身攻撃の一種。

 同時に、相手の主張の正否から「相手を信用できるか」への論点のすり替えでもある。

 

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 あるある、というお声も、聞こえてきそうな気がします。

 

 私なども、SNS上で、経験をしてきました。

 そんな事例でも、書きますか。

 

 事例(1)

 

 私 「何かの宗教の信者を名乗るならば、色情の発言は、しないほうがよいのでは?」

 

 相手 「あの人は、色情霊に取り憑かれていて、義理の娘さんが心配だわ!」

 

 と、このような反応もあった気がしますが、

 こちらなども、「対人論証」と呼ばれる「詭弁」になるのかもですね。

 

 こうした反応を知って、夫婦というか、娘と3人で、

 さすがに、びっくりしましたけど、あるにはありましたか。

 

 事例(2)

 

 私 「学歴詐称との証拠があって、他人様の悪評の喧伝をしているのですか?」

 

 相手 「あの人は、パチンコ依存症で、宗教の信者として失格だ!」

 

 同じく、こうした反応を知って、夫婦というか、娘と3人で、

 いや、さらには、関係をする人たちの大半で、びっくりしましたけれど、

 この世の中には、こうしたことも、あるにはありましたか。

 

 ■ 自分に都合が悪い話になると、関係のなさそうな話にすり替え、

   その相手の悪評を流し、信用を落とすことで、

   自分の評価のようなものが上がると、錯覚をしている?

 

 何行かでまとめると、こんな話かもしれません。

 

 ただ、この世の中、そんなに甘くはなさそうで、

 「自分はよい子で、相手は悪人!」という印象操作も、

 残念ながら、永遠には、続かないでしょう。

 

 事例のように、すでに、私なら私が、見破っているわけで、

 その”コツ”としては、その人たちの反応の「動機」になるとは思っています。

 

 ■ 何の目的で、話をすり替えるのか。

 

 ■ 話をすり替えている時点で、何かしらの落ち度があると。

 

 思い越せば、10年以上前にも、似たような経験をしています。

 

 明らかな裏切りや、背信行為のような出来事があったときに、その人を追及しました。

 

 しかし、その相手は、まったく関係のない話にすり替えたり、

 私個人の信用を落とすような行為をされたわけです。

 

 デジャヴというか、人生の過程においては、一定の周期で、

 そうした人たちとの出会いが、あるのかもしれません。

 

 ほとんど、「同じ手口」と言えば、その相手が悪人のような印象でしょうが、

 そうとしか、表現ができにくいという心情ではあります。

 

 同じことをします。

 

 人として、正々堂々と、立ち向かうことなく、

 正しく答えることなく、相手への悪評を流します。

 

 ■ 自分に都合が悪い話になると、関係のなさそうな話にすり替え、

   その相手の悪評を流し、信用を落とすことで、

   自分の評価のようなものが上がると、錯覚をしている?

 

 繰り返しましたが、その人たちは、このように考えるのかもしれません。

 

 私は、逆だと思っています。

 事実無根の嘘や、その相手を貶めようとする嘘など、見破られる時代とも思っています。

 

 かえって、自分の信用を落とすことになるかと。

 

 そうした、負のサイクルが、「詭弁」の結末だとも思うのです。

 

 【詭弁】

 

 主に説得を目的として、命題の証明の際に実際には誤っている論理の展開が用いられている「推論」である。

 誤っていることを正しいと思わせるように仕向けた議論。奇弁、危弁とも。

 意図的ではない「誤謬」とは異なる概念である。

 

 個人論で付け加えられることがあるとしたら・・・

 

 『事実ではないこと、まだ事実が確定をしていない事象に対して、

  個人主観を中心に、「断言」をして、他者の賛同を求めようとする「承認欲求」や、

  自分個人の評価を上げることを目的にした「心象・印象操作」などは、 

  人間として、とても、見苦しい行為だと思う。』

 

 と、今は、そう思っているところです。

 

 さて、面白い話でも書ければと思っていましたが、昔のことなどを思い出したときに、

 やはり、おかしいものは、おかしいと言えるようになったほうがよいかと思い、

 私なりに、少し、辛口になったかもしれません。

 

 人生に、「詭弁」などは、不要だと思います。

 

 できるだけ、自戒の範囲として、

 「正論」や、「正しい言葉」で、自分の人生を描きたいとも思います。

 

 今回は、以上です。

 

 ありがとうございました。