ネット・ストーカー問題(15) 「共感」 | ホルコンマスターコウの虎視眈々

ネット・ストーカー問題(15) 「共感」

 

 こんばんは。

 

 今回は、前回の続きのようで、

 関係のない話になるかもしれません。

 

 前回の連載でもある「幸福の科学の信者に悩んだら」というテーマも、

 45回くらい続きまして、客観的にでも、何らかの影響はあったかもしれません。

 

 ただ、私が介入をして、余計に、ややこしくなったこともあったでしょうし、

 何もしていなくても、物事の改善に向かったような事例もありました。

 

 反省するべき点を見つけては、自戒の範囲として、

 それらの記事についても、大切に残しておこうと思います。

 

 さて、今回は、ひとつのキーワードについて考えてみます。

 

 

 

 

 「共感力」という言葉です。

 

 ネットで検索をしていましたら、こちらの会社の説明や理念なども、

 今の私の考え方に近いかなと思い、リンクを貼ってみました。

 

 まぁ、それこそ、「共感」できたところがあったわけです。

 

 ------------------------- 

 

 1.相手の気持ちを想像すること
 

 相手の気持ちを想像することは、共感力の重要な要素のひとつです。相手の表情や行動から気持ちを想像することで、思いやりのある行動につながります。たとえば、悲しそうな顔をしているお友だちがいたら「どうしたのだろう?」「つらいことがあったのかな?」などと想像することで、声をかけたり話を聞いたりすることにつながるでしょう。

 2.相手の気持ちは自分とは違うと知ること
 

 とくに小さな子どもは、相手と自分の境界が曖昧で、相手の気持ちも自分と同じだと考えてしまいがちです。自分が悲しいから相手も悲しい、自分がうれしいから相手もうれしい、などと思うこともあるでしょう。しかし、実際は同じ出来事が起こっても感じ方は人それぞれ異なります。共感力をもつためには、自分と相手を切り離し、相手の気持ちを考えてみることが大切です。

 3.さまざまな気持ちを知ること

 

 人の感情には、よろこびや悲しみ、怒りや不安だけでなく、さまざまなものがあります。罪悪感や自尊心、失望なども挙げられるでしょう。子どもの感情の種類は年齢とともに増えてきいき、5歳頃になると大人と同じ感情をもつようになるという研究もあります。自分の情緒が発達することで、相手の気持ちを想像する力も高まり、共感力も高まっていくのです。

 

 ------------------------- 

 

 以上です。

 

 ■ 小さな子どもは、相手と自分の境界が曖昧で、

   相手の気持ちも、自分と同じだと考えてしまいがちです。

 

 ここらへんを、別の言葉で表現するならば・・・

 

 主観性 > 客観性

 

 というような話かもしれません。

 

 自分を中心に、世界が回っているとまでは言わなくても、

 割合として、個人主観が強すぎる状態であると。

 

 そして、普通は、年齢とともに、世間にもまれたり、

 他人の意見を学んだりで、客観性が身についてくると。

 

 事例に入ります。

 

 ▼ 「私の見解は、〇〇弁護士も言っているので、間違いない!」

 

 ▼ 「〇〇の行為をしている人たちは、ぜんぶ、悪だ! 詐欺だ!」

 

 ▼ 「あの女は、学歴詐称をしている事実が、濃厚だ!」

 

 例えば、SNSなどでも、このような発言があったときに、

 それが事実のケースもあるでしょうし、

 まったくの個人の思い込みや、勘違い、邪推ということもありえるわけです。

 

 しかし、他人の気持ちや、客観的な事実に疎い人たちであれば、

 主観である自分の考えが中心にあることから、

 結果的に、嘘でも、容易に断言をしてしまうことがあると。

 

 共感性や、共感能力の欠如とも、言えるかもしれません。

 

 こうしたこともあるかと思います。

 

 さて、前回の続きのような話になっていますけれど、繰り返したときに・・・

 

 『とくに、事実ではないこと、まだ、事実になっていないこと、

  普遍性や再現性の弱いことについて、「断言する癖」のある人たちは、

  将来的にでも、何かが、狂ってくると学びました。』

 

 客観性や客観的な事実のない物事への「断言」や「断定」をする癖のある人たちは、

 前述のような幼少期の事例を除いて、何からの問題があると思います。

 

 普通と言いますか・・・

 

 「例えば、あなたのその発言には、客観性や普遍性がないですよ?」と伝えたときに、

 たいていのケースでは、「あぁ、そうですね。修正をしますね。」との、反応があります。

 

 それが、5回も、10回も伝えて、わからない人があったときに、

 他の深刻な問題があるように思うわけです。

 

 個人の趣味嗜好、好き嫌いの話ではありません。

 

 「その話が、本当に、客観的にも事実だと言えるのか?」というテーマにおいて、

 主観でしか考えることができないということは、

 やはり、容易ではなさそうな、何かの問題があると思うのです。

 

 そこにあって、普通の人ではないかも?という意味で、

 他人に対する「寛容性」を考えることも、必要かもしれませんし・・・

 

 もし、「悪意」などが動機にある他人への嫌がらせなどならば、

 迷惑を被る人たちのために、それなりのカウンターがあってもよいかとも思うしで、

 どちらかと言えば、難しいテーマではあるでしょう。

 

 広義での常識が通用をないケースで、

 どのように対応をすればよいのか?という話かもしれません。

 

 その意味で、私自身も、「コミュニケーション障害」や、

 「自閉症スペクトラム系」の対応の経験はあるほうですが、

 「パーソナリティ障害(PD)」などの経験は少ないと思うし、

 とくに、「自己愛性」や、「演技性」などのバラエティ?もあるならばと、

 正直、匙を投げたという状況でした。

 

 それでも、一応は、学んでおいてもよいかなと、自分たちなりに、調べてはいます。

 

 ■ 純粋な共感力の欠如から、他人に迷惑をかけたり、苦しめる。

 

 ■ 他人の痛みがわかっているが、自尊心を満たすために、他人を貶めたり、苦しめる。

 

 やっていることは、似たようなものでも、その動機が違うとかですね。

 

  ・・・ 難しいでしょう。

 

 ということで、また考えて、記事にするかもです。

 

 ありがとうございました。