ネット・ストーカー問題(9) 「責任」
こんばんは。
半月ぶりくらいでしょうか。
やがて雪が降りそうな気配もあり、家から出たくなくなりそうです。
さて、最近の話題であった、「ネット・ストーカー問題」の9回目になります。
テレビのニュースなどでも、取り上げられることがありますけれど、
被害者や加害者があったときに、その加害者の”言い分”など、
本当に、寒気がするような表現がありそうです。
■ 自分は、迷惑行為者や、ストーカーには、該当しない。
■ 自分は、何も悪くないし、自分の言いなりにならない相手が悪い。
■ 自分は、正義のためなどに、行っている。
普通に考えて・・・
SNSなどを悪用し、大量の事実無根の中傷や名誉棄損、
嘘で他人を貶めることは、当然のように、迷惑行為になるでしょうし、
その相手が、精神的・物理的・風評的な被害を受けて苦しんでいたら、
それは、ひとつの、及び、複数の加害行為となり、
余りにしつこいときには、ストーカー被害にもなると思うのです。
しかし、加害者のほうは、断固として、それを認めないとか、
意味不明な屁理屈をこねて、自分の正当化をしたりと、
そうした事例もあるかもしれません。
以前からの「ネット・ストーカー問題」の前提を振り返るに、
特定の人物への「学歴詐称」という、大量の投稿が、その出発点にありました。
ええ、嘘なのです。
しかも、何百件ものツイートでした。
この話は、嘘であるし、誰も、学歴の詐称があったとの証明はできていません。
そして、そうした証拠がない状況で、尚且つ、第三者から注意を受けても、
加害者は、その特定の人物への悪評を、消していない状況です。
こうした加害者の態度があって、
余りにも、ひどすぎると思い、私なども、全面的な擁護に入りました。
嘘で、他人を苦しめているから。
被害者の女性は、私の知人でもあったし、常識では、考えられない話だったからです。
そもそも、その被害者の女性に対して、「学歴詐称」などと、誰も言っていなかったし、
何かの噂にもないし、他のSNSでも、見かけたこともない話です。
その加害者、ただのひとりが、言いはじめた話です。
しかし、何かの根拠や証拠でもあるのかと調べてみましたら、何もないという。
その加害者の妄想や空想、異様な思い込み、
他人への悪意くらいしか、想定ができませんでした。
正直な話、寒気がしました。
それで、より関わることを避けたいと思い、今日に至っています。
余談で・・・
SNSでの知人が、「自己愛性パーソナリティ障害」の記事を書かれていまして、
今回の加害者の雰囲気に、一致するところも、多々あるようで、
もし、そうした症状があるのならば・・・ という心情もあります。
(個人論では、割り引いて見ているという意味。)
また、それと同時に、私たちの手には負えないかなと、考えることもあります。
ということで、本題です。
幸福の科学のネット信者さん向けの話を書くつもりです。
ただ、余計なお世話にもなりえるし、
「個人の自由の侵害」になるかもしれないので、
できるだけ、ソフト・タッチにしたいと思います。
(1) 事実でないことや、第三者が確認できない、追体験できないことを、「断言」しない。
(2) どうしても伝えたいならば、「私は、個人論で、そう思う。」くらいの表現にとどめる。
以上です。
個人的に、何年も、ネット信者さんたちの動向を見てきていますが、
やはり、「断言をする癖がある人たち」は、一般のみなさんから、
自称でも、まともな宗教をしている割には、「悟りが浅い」と思われたり、
「知能指数が低い」と思われたりすることがあると思いますので、
そうした、「隙」をつくらないことも、大事かと思うのです。
「主観」で、何を思おうと、考えようと、それは、「自由」でしょう。
しかし、不特定多数のユーザーの目につくようなところで、
事実ではないことや、確認ができないことについての「断言」を連発するのは、
逆に、世間からの「信用」を損ないます。
前述からのネット・ストーカー問題でもそうで、
事実でないことを、あたかも事実のように表現をしたり、
「〇〇疑惑濃厚!」とか言っていたら、たいていは、バカだと思われるでしょう。
そうした、個人主観、個人論の主張が、
ときに、「伝道の妨害」になることもあるでしょうから、
何かの宗教の信仰者を名乗るのであれば、考えたほうがよい「自戒論」かと思います。
「自由」には、「責任」が伴います。
ここらへんの思慮不足と言いますか、深く考える人たちが、少ないように思いますので、
時折に、こちらの日記などでも、伝えたいとは思っています。
(私自身が、経験できた実話などで。)
ということで、今回は、以上です。
ありがとうございました。