SUPERNATURAL

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徒然なるままに

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大阪。
11月。
ICUでお昼ご飯を食べ、13時になり一般病棟からベッド毎お迎えの看護師が来た。

正直まだこの時は体を起こす事が出来ないので、

IUCのベッドから一般病棟から持って来たベッドに板を使い体を移す。

そのまま一般病棟に移動。

その際ICUの看護師の方から「有難う御座いました」と言われ

一瞥して首だけで会釈して応えた。


一般病棟に移ってからは、リハビリが待ってたのよねぇ(~_~;)

まだ点滴とドレーンという肺の水を抜く管がお腹から出ている状態が一番辛かった。

尿の管もあったけどちょっとしたら外してもらった。

この時からリハビリで病室とナースステーションの周りを歩かされてたからなぁ。

そういや術後初めてお通じがあった時、まだ転倒するかもしれないので看護師に

付き添ってもらってるんやけど、その時の看護師の方が手術当日に手術室まで

車椅子で運んでくれた看護師の方で、良かったという表情で

「元気になって戻ってこられたぁ」

と言ってくれた時は少し嬉しかったなぁ。

一般病棟に移ったその週の土曜にドレーンを外してもらった。

これがなかなか痛かった(>_<)

そして翌週の月曜に胸と左足の抜糸を行った。

これも痛かったなぁ(>_<)

抜糸を行った際に主治医から週末に退院という話をされた。

この週から本格的にリハビリも始まる。

ただこのリハビリがあんまりよく無かったのかなぁ。

血圧や脈拍が安定しなくなり、酷いめまいになり1日ダウンしていた日もあった。


金曜日、晩御飯後に主治医の方が来られて、

主治医:「明日以降、いつ退院しても構わない」

俺:「土曜の午前中で」

ただ、現状について話をされて

主治医:「再入院の可能性もあるから入院セットは紐解かないように」

俺:「はぁ・・・」


翌日に退院手続きをいて土曜日に無事退院する事が出来た。

退院後に11月21日と11月28日と検査を行い別段容態が悪くなっていなかったので

再入院は言われなかった。


12月12日にも検査を行いそこでもなんら問題が見られなかったので

主治医の方と今後について話をして、

年明けの検査で紹介状の作成と復職可能の診断書の作成をしてもらう事に。


凄く痛い思いはしたけど、まぁこれで寿命が延びたと思えばかな。


 

大阪。
10月。
大阪の実家に戻り、このままだと住所不定になるので市役所に行き転入の手続きをする。

10月10日は近大附属病院に行き、病状の確認と手術日及び入院の日を話し合いをし

その日に病院側の入院の説明も行い、この日は10時ぐらいから17時まで病院にいた。

手術日の予定は11月2日で、入院は10月29日に決まった。

この日、受診したのは心臓血管外科で担当医師は心臓血管外科で1番偉い人やった。

そこで東京の病院での話をしてステント治療を有効だといった医師の話をしたら

こういう症状の治療はガイドラインがあってステント治療は有効とは言えないと

紹介状にある検査データの動画をもとにいろいろ説明してくれた。

次回は10月22日に1日中検査(~_~;)

10月22日の検査も特に問題も無く、手術を行うのに支障がないと話をされた。

10月29日から入院して手術日の11月2日まで検査と手術の準備をしていた。


11月。
11月2日手術当日!

9時に手術室に移動し、10時30分から手術を開始で16時終了予定。

まぁ手術をされる側でしかも全身麻酔やから寝て起きたら手術が終わってる状態やし(^-^;


手術室に移動する時は看護師の方に車椅子で運ばれて

「なんか病人の気がしてきた」と看護師の方に言って

全く緊張感を感じずに移動してた(^-^)

手術室のある廊下の前に入り口がありそこに今回手術を担当する看護師の方が待っていて

可愛い女性で胸も大きいのでちょっとテンションが上がり、

と同時に運気は上々やなと思い手術は無事に終わると確信した。

手術室のベッドに寝てすぐに全身麻酔で眠らされ、眠る前の記憶は美人な看護師が

若い男の看護師に対し「やっぱり〇〇は使えない」と言ってる姿(;・∀・)

内心「ちょっ、まだ麻酔効いてへんねんけど」って思ったところでちょうど意識が無くなった。


「・・・。」

「・・・なんかうるさいなぁ」と思い

目を開けると白い天井が見えて

「あぁ生きてる」

と思い周りを見渡して時計が見えて14時を少し過ぎたところやって

「なんや、早よ終わったやん」

と思い、次の瞬間喉から呼吸用の管を引き抜かれた。

次覚えてるのが時計をみて14時30ぐらいに家族がICUに面会で来て

父親がベッドの傍に来たので話をしてたみたい。

覚えてんのは

父親:「手術が終わって先生が強い子やっていってはったで」

と言ってた事ぐらいかな。

また直ぐ寝たのは覚えてる。

その日に夕食が出てとりあえず完食した(^-^)

次の日もICUに入っていて、赤ちゃんの泣き声がしてるのに気づき

赤ちゃんも頑張ってるんやと思うと弱音ははかれへんなぁと思った。

また次の日、朝食後に

ICUの看護師:「今日はご家族の方は来られるますか?」

と聞かれ、

ICUの看護師「今日は月曜日なんです。」

俺:「へっ?」

てっきり日曜やと思っていて手術日の11月2日は金曜日やったからどうやら1日麻酔で寝てたみたい(;^ω^)

となるとICUは2日間の予定で取ったと聞いていたのでオーバーしてる!

なによりICUのベッドを空くのを待っている手術待ちの患者がいるって事やん!

赤ちゃんの患者もいるって事やん!

俺:「あっ、確かICUの予定は今日までやと聞いてました。」

ICUの看護師:「先生に確認してみます」

主治医の方が来て

主治医:「午後一に移動しましょか」

俺:「はい」

お昼を食べた後一般病棟に移動する事に。


続く。

 

9月。
部屋の解約と治療先の病院の手配が済んで後は引っ越しの準備(^-^;

ただ無理をするのはNGなので、少しずつ荷造りをしていく。

これで部屋で倒れてそのまま孤独死なんて洒落になってへんし!

問題は粗大ゴミの処分!

粗大ゴミの回収日は部屋の退去日の2週間前にしかない・・・

1回で全部出さないといけない(~_~;)

やるしかないかと諦めて組み立て式のものはバラバラにして少しずつ回収場所に運んでを繰り返して

なんとか全部出したら、その夜に台風が通過(;・∀・)

回収時間前に見に行ったら、粗大ゴミのシールがはがれてる(; ・`д・´)

いったん部屋に戻り、昼前に再度見に行ったらちゃんと回収されてたε-(´∀`*)ホッ


10月。
10月2日に近所の花屋でバラを買って部屋に飾ってみた。



10月4日は東京の病院に行き、薬と紹介状を受け取り、

医師の方から近大附属病院から問い合わせの電話があったと聞き

ちゃんと説明したから後は近大附属病院に任せて大丈夫だと話をされた。

退去日当日の10月6日は早朝から残りの荷造りやゴミ捨てをし

午前9時頃に全てが終わり、後は業者待ち。

12時過ぎ業者が来て荷物を持って行ってもらい、

4年間住んでた部屋に感謝をして14時に部屋を出た。

新幹線に乗って大阪に帰るのも2年半ぶりやなぁと思いながら

いろいろ思いを巡らせてた。

新幹線で寝るつもりやったけど、全然寝れんかった(^-^;

台風の影響で少し遅れてたけど18時頃に新大阪に到着(^-^)


この時は、

「生きて大阪に帰ってこれたぁ」

ってちょっと目頭が熱くなった。



続く。