今日もお立ち寄り有難うございます。
ロシアのコンサート劇場でのテロ事件で多くの方々が犠牲になりました。テロリストたちの勝手な思想により多くの尊い命が奪われました。出来ることなら私もロシア大使館に献花を届けたいものだと思いました。
でも…行動に出来なかった自分が情けないです。
そして、今度は台湾で大地震が発生しました。すぐにYouTubeで現地の様子を観ました。あまりにもリアルにビルや山が崩れていく様子が映し出されて、恐怖を感じました。
東日本大地震の時には、台湾の方々が未曾有の見舞金を寄付して下さり、台湾の方々は日本人の間で薄れてきた「お互い様」「義理、人情」を今も大切に受け継いでくださっているんだと思い感動しました。
なので、今度は日本が「お互い様」「義理、人情」を示す時だと思いました。
こういった日本の先人たちが培ってきた価値観を共有できるのは嬉しいですね。
さて、今日の本題に入る前に恐ろしい計画があることを知り、かなりショックを受けましたので、皆様と共有したいと思います。
何気なく開いた動画なんですが…
な、なんと、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で、二酸化炭素排出を減らす(脱炭素)のために、肉食の犬や猫などのペットを安楽死させようという計画が立てられているというのです!?
欧米では牛のゲップが二酸化炭素を排出するということで、酪農を廃業する政策がとられて、かなりの農家が怒ってデモを起こしていますよね。
昔から世界経済フォーラムで計画されたことは、実行に移されていますよね。我々一般大衆が「これはオカシイだろう?」と思うことも、西側政府はみな横へナラへですからね。
そうなると、日本も…そして私たちの可愛い家族までも自分たちの手で安楽死させなければならない時代がくるのか…
嘘であって欲しいけど、コロナウイルスもお注射も、気候変動も、昆虫食も、人工肉も、そのうちやってくるであろう食料不足も実現しつつありますよね。
あっ、因みに昆虫食は「甲殻類アレルギー」の方は気を付けて下さいね。コンビニなどで、コオロギ―が入ったお菓子などがあるそうなので、お子様は特に気を付けてあげてくださいね。
「ペットの安楽死」というのは、さすがに「ありえない」と思うのは自分だけの思いであって…エリートの方がたにはそんな思いはないのかも知れません。
そんなことが無いように祈るばかりです。
世界経済フォーラム・ヤング・グローバル・リーダーの小泉進次郎氏もこのダボス会議のメンバーで、脱炭素、再エネ政策に突っ走っていますよね。
実際、日本中の森林や田畑がソーラーパネルだらけになっていますよね。
たとえ、森林の伐採により保水能力を失った山肌からがけ崩れが起きて、生き埋めになって多くの死者が出ようとも、環境信者となった政治家や金儲けに余念がない業者には屁にも思わないことなのでしょう。
でも、彼の奥さんの滝川クリステルさんは「殺処分ゼロ」を掲げた動物愛護家です。ここは激しく夫婦喧嘩をしてでも、このような計画を反故にして頂きたいものだと思います。
そもそも森林の伐採により多くの野生動物の生存権が脅かされているんですけどね。それに加えてペット達も…
みんな生きる権利はあると思うんですけどね…
これも価値観の違いというものなんでしょうか…
さて、本題に入ります。
行政書士事務所からの帰り、私は電車から降りて駅のすぐ近くのスーパーで買い物をしてから家に帰ることにしました。
この日は夫も同行していたのですが、相変わらずカリカリした態度で、私の前をどんどん歩いていくのです。
夫は若い頃から短気ではありましたが、歳を重ねるほど瞬間湯沸かし器みたいな感じで、私はいつも気を使っていました。
そして、夫が爆発しないように、早めに買い物を済ませてスーパーから出ようとした時、私は段々と胃が気持ち悪くなってきました。
夫には、「ちょっと、気持ちが悪くなったから歩くのが遅くなるので、貴方は先に家に帰って下さい」と告げました。
夫は黙って帰っていきました。
夫の姿が見えなくなると、少し気持ちが楽になったのですが、段々と胃が重くなり…頭もボーッとしてきました。
このまま駅で倒れるわけにはいかない…とにかく何とかして家に辿り着くように頑張らなくては…
必死で歩きました。
でも、途中で本当に頭がフワ―ッとして気絶しそうになりました。
目に入る景色が斜めに見えてきました。
その時、ここで倒れたら我が家の可愛い猫達が困ってしまうだろう…猫達のために私はなんとしてでも頑張らねば…
と必死で踏ん張りました。
ふらふらになりながら家に辿り着き、すぐに胃薬を服用してベッドに入り眠りました。
それから1時時間ほど経って、私はスマホのベルで起こされました。 一緒に行政書士事務所に付き合ってくれた長女からの電話でした。
よくわからないのですが、どうやら長女は私が行政書士さんの言いなりだと怒っているのです。
長女は当初から、自分が「在留資格認定許可」の申請は自分でも出来るので無駄なお金を使う必要がない、と言っていたので、私がプロにお願いしたのが気に入らなかったようでした。
私から見たら、長女は確かに子供のころから学校の成績も良くて、努力家で素晴らしいと思うのですが…現実の世界を甘く見ていると思っています。
長女は今、反抗期の子供などの子育てをしていて、家庭のことで目いっぱい頑張っています。そんな長女がプロと同じ仕事をこなせるわけがありません。
しかも、こういった法的な事柄を専門に学んでいるわけではありません。
長女は「入管事務所」がどこにあるのか、そして「どんな手続き」が必要なのか、「どのくらいの時間」を費やさなければならないのか、「自分で分からない事象」が起きたら、どこへ尋ねたらいいのか、「もし、提出書類に不備」があった時に、さらにどのくらいの時間を費やさなければならないのか…そして、自分が家庭とどう両立してこなせるのか…「やっぱり無理
だった」では済まされないことが理解できていない。
そういった「if」という考えが欠けていると思いました。
それから、入管事務所は非常に事務的で、「分からないので説明して下さい」と言っても冷たいとも耳にしていましたので、素人がノコノコ出かけて行っても、オロオロするばかりだと思いました。長女はそのことも知らないので普通の役所と同じと思い込んでいるように思います。
実際、長男も仕事で入管に行くことがあったようですが、長時間待たされて、あげくかなり事務的な態度だったようで二度と行きたくなさそうでした。
そして、何より次女にとって、この申請は一刻も早く許可を得なければならない事だったのです。
あとで分かったことですが、次女は仕事先の宿舎に入っているようでしたが、なんと3か月で退去しなければならないとのこと。私は次女が婿殿と別居したことは知っても連絡もしていなかったので、次女がどこでどういう生活をしていたかも知りませんでした。
…ということは、一日も早く日本政府からの「在留資格認定許可」をもらって、ロサンゼルスの領事館でVISAの取得が必要になるということです。
一般的にはこの認定許可が下りるのが2,3か月かかると言われています。 それではその前に次女はホームレスになる可能性があります。 もし、少し前に許可が下りたとしても次女が遠く離れた領事館まですぐに行けるかといえば無理な話です。
私は「限られた期間」の中で、長女の言い分は到底受け入れられないと思いました。長女もこのことは分かっているはずなんですが、なんだか「お金」にこだわっているんですね。
まあ、長女の家庭は経済専門の学者さんがいて、自分もその資格を取っているものだから、「コスパ」を優先するところがあるんですね。
さりとて、私は言い争いはしたくなかったので、「今、ちょっと気分がすぐれないので横になっていたから…」と言って電話を切りました。
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それから、私の方もキキの病院通いと役所などを行き来したり、次女との必要書類(PDF)と行政書士とのPDFのやり取りをしながら準備を進めていきました。
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しばらくして、長女から電話がありました。
「次女がアメリカに住み続けたい、日本に帰りたくない」と言い出したので、もう、今回の在留資格認定申請はいらないかも…」
私は完全にブチ切れました。
しばらくして、次女から「ごめん、やはり日本に帰りたくない」と言われたのです。
その理由は…別れたはずの婿殿のことを今でも愛している…
なんだ? 自分から離婚したいと言い出して、私がどんなに説得しても聞き入れなかったのは次女。
私は、次女に「例え日本に帰ってきて日本人に再帰化しても、婿殿には会いたい時に会える」と説得しました。
だいたい、あれだけ婿殿の好意を無視して、婿殿の気持ちを傷つけておいて、病気が安定期に入って婿殿のことを愛していることに気が付いたと言っても、婿殿の方からしたら「いまさら」という思いしかないでしょう。
私は、このまま「在留資格認定許可申請」の作業を進めていくことを伝えました。
そして、この一回限りのことで、将来同じ過ちを犯しても私は二度と次女の力にはなれないことを告げました。
この歳になってまで、まだ子供のことで振り回されるのはまっぴら御免だ!とも告げました。
そして、次女には、そもそも自分の体(病気)について、ちゃんと調べもせず、婿殿(他者)に任せっきりで、それで薬が嫌だからと文句を言っているのは、大人として恥かしい行為であり…それを反省しない限り、また同じ過ちを繰り返すだけ…
だから、ちゃんと自分で病気のことを容認し、自分で治療を受け、生活を立て直し自立すべきだと伝えました。
それからは、私は淡々と自分のすべきこと、出来ることに気を向けました。
私は自分の言いたいことを言って…それでも、やはり次女の突然の信じられない言葉に…
もう、脳みそが麻痺しそうな思いで過ごしていました。
実際、麻痺していたかも…
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ある日、私はスーパーに向かっていました。
そうしたら、私の前からKさんがこちらに向かって歩いていました。
「久しぶりね」という言葉を交わしました。
そうしたらKさんから…
Kさん「ニャンコさんにずっと相談したいことがあったのよ」
「実は、モモちゃんがうちの中に入りたがって困っているのよ」
私「あら、モモちゃん、帰ってきたの? だったら家に入れてあげたらいいのに…」
Kさん「それが、困るのよ。だって、もうお店から子猫を買ってきて飼っているんだもの…」
絶句
しばらく、私の頭は混乱していました。
私「…あの…子猫をお店で買ってきたの?」
Kさん「そう、お店で買ってきたの」
「それで、避妊手術をさせたいんだけど、私、車を処分したので、ニャンコさんにお願いしたかったの」
私はもう言葉が出ませんでした。
やっと、
「今、娘のことで色々とあるし、夫の手術のこともあるので、時間がないから…ごめんね」
と言ってスーパーの方へイソイソと歩き出しました。
やっぱり、Kさんは
「子猫フェチ」だったんだ!
今まで、子猫を入手してきては、1年ほどすると「どこかへ居なくなった」ということを繰り返してきました。
そういえば、以前、モモちゃんが6カ月くらいの子猫だと思っていたけど、それより年が上だったのかもと残念がっていたことや、私が「そろそろ去勢手術をした方がいいよ」とKさんに促した時には、すごく嫌がられ拒否されました。
それからしばらくして「モモちゃんが家出した」と言ってきたのです。
そもそも、私は野良猫でお腹を空かしたモモちゃんが幸せになってくれるのならと、Kさんのお宅に猫用二段ケージやベッド、爪とぎ、おもちゃ、餌皿などを差し入れてきたのです。
それが、モモちゃんは寒空に放り出され、店から購入した子猫のために使用されている…
いえ、私はその子猫も幸せになって欲しいので、子猫がモモちゃんのためにと思って差し入れたケージやベッドを使うのが嫌だと思っているのではありません。
でも…私が猫に対する愛情とKさんの猫が好きという気持ちのすれ違いがどうにも納得いかないのです。
だいたい、この寒空に放り出されたモモちゃんの気持ち、苦労は如何ばかりかと、心配でなりません。
そして、私としては「自分が購入してきた猫は、自分で避妊手術すべき」であって、なぜ他人の私が人の飼い猫の避妊手術に協力しなくちゃあならないの?
これって、自己責任の範囲だよね…と少し気分が悪くなりました。
自分で世話が出来ると判断したから高いお金を出して購入してきたはず…そもそも、自分の年齢のことも考えるべきでは?
どう考えても子猫よりKさんの方が先に逝きそうな感じのお歳。
子猫の将来を考えないのだろうか?
価値観の違い…そう、まさしく価値観の違いなのです。
人それぞれ、価値観は違います。
そんなことは頭では分かっています。
でも…どうにもやるせない気持ちでいっぱいなのです。
因みに、大雪が降った翌日、キキの病院通いの時に、90歳近い老婦人に出会いました。彼女は凍った雪で傷ついたと思われるオス猫を病院へ連れてきていました。
なぜ「オス猫」と分かったかといえば、彼女の連れてきた猫の右耳に綺麗なV字カットが施されていたのです。
私は、コロナ禍前までは「TNR」のボランティアをしていたので、その猫のことについて話をしました。
おそらく、そのオス猫は、その地域でTNRをしていた私の知っているボランティアさんがV字を入れたのだろうと思ったからです。
しかし、その老婦人はTNRの話をしたとたん、ヨソヨソしくなりました。不思議に思っていたのですが、ある日、老婦人は私に「猫の不妊去勢手術をしたらこの世から猫がいなくなる」と自説を説いたのです。
あー、この方もYおばあちゃんと同じ価値観を持っているんだなと思いました。
ただ、猫の繁殖力は凄くて、一回の出産で4匹くらいの子猫が産まれる…運よく人に飼われた子猫はいいけど、誰にも飼われなかった野良猫たちは、食べるのにも苦労し命を落とす‥それでも繁殖力の強い猫(動物は子孫を残す為に多産であること)は、どんどん増えて、さらに不幸な猫が生まれることになるということを話しました。
また、私が懸念しているのは、お年寄りが猫達の面倒を見るのはいいんだけど、そのお年寄りが猫達を残して他界した時はやはり猫達が路頭に迷うことになるということです。
以前、Yおばあちゃんにはそのことを話して、やっとYおばあちゃんのお世話をしている猫達のTNRにこぎつけたのです。
「猫が好き」
そんな人はいっぱいいると思います。
でも価値観はみな同じではありません。
価値観の共有は難しいです。
違いを乗り越えて…という方もいらっしゃいますが、小さな命を守り育むという観点から見ると、私はやはり価値観の違う人と共有、共生するのは難しいなと思った次第です。
さて、そんな心が弾まない日々の中でも…
昨年11月末ごろに買った赤いシクラメンにはいつも勇気をもらいました。
4月になっても咲き続けています。深紅のシクラメンを観るたびに、「今日も元気に過ごせますように」と心の中で祈っています。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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