前の記事をあげてからのアクセス数が尋常じゃないことに、ここ数日とまどっているのですが
これは、共感してもらえているのか
それとも、“ビギストを退会せよ”と誘導しているような不届きモノがいると目をつけられたのか
前記事も、前々記事も、ちょっと誇大妄想気味なところがあるので、
細々と勝手につぶやいていた頃とは違い、ここは記事にちょっと責任もたなくっちゃな。
A=´、`=)ゞ
記事のアクセス解析より、
ツイでうちの記事を紹介してくださっているものを見つけ、
ツイッターの世界における“モヤビギ”さんの存在を知りました。
私自身ツイッターはやっていないので、今まではヤフコメとアメブロから記事を探るくらいだったのですが、
トンペンの中のどれくらいの割合になるのかわからないけど、
モヤビギさんの苦しい胸の内の言葉の数々・・・
読ませてもらうこちらも胸が痛くなるようでした。
アンチになって口汚く罵るようなものでは決してなく、
愛があったからこその葛藤。
ネットで 「韓流のコンサートなんて、在日に動員かけてるたげだろ」 なんていう嫌韓や一般の人の声を聞くことがありますが、
いや、そんなことないですよね。
音楽に国境はない。
J-POPで頑張り、日本に馴染もうとして頑張ってくれている東方神起が好き。
健気に頑張る2人を応援し、その2人から元気とシアワセをもらおう。
だからこそ、日本人だからこそ、今回の出来事はショックだった。
いくつかの方のを見させてもらって、
今回の件だけでなく、
兵役後も、いろいろと引っかかることがあったのですね。
私は、あいかわらずお気に入りにいれている情報ブロガーさまのポジティブなものの見出しくらいしか見てなかったので、初めて知ることが多かったです。
東方神起というものを作り上げてきたSM、
最初からどんな戦略だったのか、
純粋に世界に通用するために、まずは日本から、だったのかわかりませんが、
でも、
「努力」
「誠実」
「謙虚」
このクリーンなイメージを保つためにも、
2人にインスタをさせたのは絶対に失敗でしたね。
インスタがなければ、
東方神起という長年かけて作り上げられてきたブランドに対してそれぞれが持つよいイメージを、
ファンそれぞれの想像力でうまく昇華できてたかも知れない。
そんなインスタでも、深読みして2人のイメージを保とうと必死で努力しているファンの姿にも、
本当に守り続けていかなくてはならないという健気さを感じ、
こちらもある意味胸を打ちます。
初めて見つけた“宝物” “いきがい” “守ってあげたい存在”
東方神起にはそう思わせてくれるものがありました。
大切にしたい、失いたくない。
私の場合は、活動休止からの2011年のMステ Why?
最初は、見たこともないパフォーマンスにただただ感動し、心を奪われたものですが、
ただ踊っている姿、歌声を聴いて楽しむだけでは済ませてくれない、
東方神起は自身のストーリーというものを用意してくれていた。
これはもともとの規定通りのSMの戦略ではなく、3人に脱退されたという不可抗力ではありましたが、
それが2人の東方神起というものを、よりドラマティックにしてくれました。
「TONE」はアルバム全体が2人のストーリーのようで、本当にいいアルバムだったと思います。
苦難を乗り越え、甦った2人の東方神起、
ステージを楽しむだけでなく、
この2人のストーリーをも楽しんだのが私のトンペンとしての生活。
雑誌の取材のどの言葉にも、それを裏切るものはない、
ますます“東方神起劇場”に溺れていきました。
今までにも好きになったアーティストはいましたが、
ここまで長く深くファンであれたのは、東方神起だけでした。
本当に楽しかったです。
楽しかった5年間、ムダな時間だったとは思いませんし、後悔はありません。
東方神起の2人に、シアワセだった時間をありがとうと言いたいです。
楽しかった中でも、苦難のストーリーを乗り越えた後の順風満帆な中では、
その髪型イヤだな、その衣装イヤだな、肉体露出するのイヤだな、泣かせること意識し過ぎの歌はイヤだな、そこまでアクロバティックだったり曲芸的なダンスしなくても・・・、その曲は無理にダンス入れなくても、とか、大きな声では言えない小さな不満はありましたが(^^;)
人間的にはブレない2人を尊敬しました。
「努力」 「誠実」 「謙虚」
を実行してくれる、そこらへんの日本人よりも日本的なイメージの2人を。
東方神起の2人はきっとこうだよね、と勝手にイメージを膨らませていた私、
チャンミンは辛かったあの期間、日本でちょっとでも仕事もらえることが救いだったよね、
ユノもチャンミンも、ずっと私生活までも追われ続ける母国よりも、
2人だけで他から干渉されず過ごせる日本での活動の方がきっとホッとできてるよね。
そんな2人のストーリーに惚れ込み、
勝手に “想像の翼を広げてごらん”
だった私は、
「日本活動が2人にとっての一番の喜び」だったり、
「生まれ持った宿命に抗う2人」だったり、
「濡れ衣を被ろうとも誠実に対処する2人」だったり、
「大切なものを戦ってでも守り抜く2人」だったり、
「人を裏切るようなことをした場合、ちゃんと謝罪するユノ」だったり、
「絶対的リーダーで、誰からも一目おかれる存在のユノ」だったり、
このあたりは、私の“想像の翼を広げてごらん”の中のお話ですが、
そんなことを連想させてくれる
東方神起劇場の2人。
今まで築き上げてきた“東方神起”としては、
ちょっと思ってたのと違う言動、行動くらいは、
自分の中のイメージを保つためにも、
ちょっと見なかったことにしようくらいに許せてきましたが、
そんな私のレッドラインを越えたのは、前記事で書いたMERS関連。
今まで築き上げられた東方神起だったら、ファンを一番に守らなくっちゃいけないでしょ レベルをも超える、
国際的に見ても、他国にまで迷惑を及ぼすかも知れないことは自粛しなくちゃいけないでしょ
その後、当時の大統領であったパククネさんの
「日本は歴史を直視せよ」という言葉どおりに、いろいろと2国間のことを調べるにつけ、
韓国という国がいかなる国かを知り唖然とし、
そんな韓国をいつまでも甘やかしてきた日本をも腹立たしく思い、
これからは悪いことは悪いと毅然とした態度をとることが、韓国という国にとっても本当はよいことなんだと思うようになりました。
そんな中での今回のMV騒動。
抗議するために、
日産でみんなで平昌オリンピックの統一旗みたいな感じの日本列島の小旗を振ってやれ、
「ライジングサン」では旭日旗を振ってやれ、
なんて頭の中では思ってしまいますが(^^ゞ
それはあちらの国的なやり方、
日本人なら、過去形でも好きだった2人のそんな時のツライ姿なんて求めていませんよね。
そこは頭の中だけの個人的妄想に抑えます・・・
(その前に、そんなもの没収される)
本当に、2国間の複雑な政治的問題を、東方神起にはつけて欲しくなかった。
ファンのために、夢を見させてくれる存在を続けて欲しかった。
でも、もしかしたら、しょせんは用日だったものを防ぐことになるのかも・・・
でもね、
「東方神起劇場」は本当に楽しかったです。
実際のユノとチャンミンがどうであれ、
「東方神起劇場」の中の2人は本当に王子様でした。
日産、そしてその後の日本活動、
今までの東方神起ブランドを傷つけたSMさん、これからどうするおつもりですか
日本人を怒らせたら恐いぞ と言いたい
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
東方神起とは関係ないですが、よい記事が。
さくらの花びらさんより 「日本、「韓国は最も重要な隣国」表現を削除」
日本、「韓国は最も重要な隣国」表現を削除
日本外務省が最近、ホームページに掲載した韓国についての記述で、「戦略的利益を共有する最も重要な隣国」という表現を削除したことが15日、確認された。
外務省は最近、ホームページに掲載した「二国間関係」で、韓国について特に修飾なく「日韓間には困難な問題があるが、これらを適切にマネージし、様々な分野で協力を進め、日韓関係を未来志向で前に進めていくことが重要」とだけ記述した。
外務省北東アジア課が作成したこの記述は2ヵ月ごとに修正されるが、日本政府の公式見解を対内外に知らせる公式的な意味がある。
日本は最近、北朝鮮問題などと関連して韓米日3国協力を強調してきた。そのような状況で韓日関係を格下げる措置を取ったことで、少なからぬ外交的論議が予想される。(平成30年4月16日 東亜日報)
韓国に対して外務省は「戦略的利益を共有する最も重要な隣国」という言葉を削除した。
反日国で日本が嫌いなくせに、こういうことだけはすごく気にする南朝鮮人である。
しかし、削除は当り前である。
というか、そんな言葉が今まであったこと自体信じられないことである。
あの朝鮮半島に日本はどれほどの資金を注ぎ込み、日本の国民同様に扱い、はげ山と借金で破綻するかロシアの奴隷にされるしかなかった朝鮮を、当時の日本人が血を流して戦ったお蔭で、朝鮮を存続させ、発展させたのである。
戦後、半島にいた日本人女性を犯しまくり、竹島周辺で日本人漁民を拉致して殺害し、竹島を奪い、そういうことがありながらも朝鮮戦争で世界の極貧国となった朝鮮を日本が支援したお蔭で、今の南朝鮮があるのだ。
まさに朝鮮にとって日本は命の恩人なのである。
しかし、日本人は「受けた恩は石に刻め」と言うが、朝鮮人は「恨」はあっても「恩」は知らないので、施された恩に感謝することができない民族である。
隣国でありながらも、これほど民度が違う反日国を「最も重要な隣国」ということ自体、無理である。
いわば韓国にとっては日本が「最も重要な隣国」なのである。しかもたかればお金をくれるのだから「最も重要な財布」なのである。
「困ったときの日本」。これが韓国の日本に対する存在価値である。
これは今まで本当に困った時、日本が助け過ぎたせいである。
もう助ける必要はまったくない。