2017 年11月 9週で繋留流産
2018年9月   5週で初期流産
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断
2度の反復流産で不育症の可能性を指摘され
我が子を神様から取り戻すため奮闘中
★昨年の記憶の回想を書いてます★


【注意】自然流産をした時のお話です。
出血等の表現が苦手な方は読まないように
お願いします。



意識を取り戻し、
救急車を呼ぶと決めたが、
便器に座り、下半身もトイレも血まみれのこの状況。



とても恥ずかしくて救急車など
呼べない、見られたくない。




意識が戻ったとはいえ、
フラフラで、全身吹き出す汗でびしょ濡れ。




まずは風呂場へ。
そう思った。




そのまま誰も居ない家の中を下半身裸で
駆け抜けた。



血のついた衣類は捨てた。


シャワーを浴びて、
急いで新しいナプキンと肌着に換えた。



服を汚さないように
ワンピースタイプのパジャマをさらっと被った。



後は部屋に戻り
ベッドに倒れこむと
そのまま背中を丸めてお腹をかばう体勢で
救急車を呼んだ。



私:すみません、救急車をお願いします。



消防の女性:どうしました?
症状を教えてください。



私:流産が始まってしまいました。
かなりの出血で意識を一瞬なくしました。



消防の女性:突然ですか?



私:1ヶ月前から流産してましたが
待機療法で自然流産待ちでした。



消防の女性:病院の指示ですか?
住所は?鍵はあいてますか?



こんなやり取りを繰り返し
3分以上の会話をした。




これが心臓発作なら手遅れだ。
いーから、早く来て欲しい、
そう思った。



電話を切ってすぐに玄関の鍵をあけた。




またすぐうずくまる。
暫くすると遠くでサイレンが聞こえ、
だんだん近づいてきて音が消えた。




来た。
玄関ドアが開く音がして
隊員が室内へ来た。
男性3人。




歩けないのは一目瞭然。
色々ここでも聞かれる。



薬は何か服用しているか?
家族はいないのか?
家族への連絡は?




発作性頭位眩暈症の持病がある私
それと飲んでた漢方の薬のポーチの場所を伝え
リビングから持ってきて貰った



妹がもうすぐ来るはずだと伝えた
そしてここまでの簡単な経緯と
かかりつけ病院の名前




それらの話が終わると救急車へ担いでくれた。
家を出るとき、靴と病理検査に出すようの
子宮内容物の入った血がついた
ポリ袋を持って頂くように伝え
財布だけ自分でもった。







救急車では
乗ったあとも15分以上病院には行かない。



中で再度事情を聞かれ、
どこの病院に運ぶか検討される。




かかっていたKS病院を指定した。
流産手術わ、受けるための一連の検査をそこで
受けたから、検査のデータがそこにあったからただ。



隊員がKS病院に電話した。
受け入れてくれたようだ。




しかし、妹を待ちましょうと隊員に言われ更に5分程中で待つ。




その最中にも痛みの波が押しては引いていく。
いきますか?
と隊員の一人が言った。




そして要約病院へ。既に11時半。
移動中、何度も血圧を測られた。




数値が出ないと何度も聞こえてくる。
しまいには血圧計が壊れてるかも?
ともこと。二つ試したが結局測れなかった。




病院に着いた。
感じのよい優しそうな看護師さんたちが
優しう言葉だけを担架の上の私にかけてくれた。




そのまま見覚えのある産科へ運ばれる。
日曜日で誰も居ない。



病院勤務者と私と救急隊員の方だけ。



産科の外へ女性の先生が出てきた。



先生:どーおー?起きれる?
ダメー?救急車呼んでいいって言ってたー?




私:呼んでいいかは分からないですが
気絶したので呼びました。
うぅー
痛いー、また波がきたーーーー。
痛いよぉ。痛いよぉ。




先生:自然流産するっていうのは
こういうことなんだよねー
なかなか居ないよ?
これ選ぶ人。今の波がおさまったら
診察台に移動しようか!



全然嫌な気がしない言い方をる先生だった。
サバサバしてるというか、男勝りというか、
タンタンと、でも人間味のある。



一瞬、波がひいた時に
診察室へ両肩を抱えられ移動した。
そこで救急隊員の方たちにはお礼を言ってお別れとなった。