2017 年11月 9週で繋留流産
2018年9月   5週で初期流産
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断
2度の反復流産で不育症の可能性を指摘され
我が子を神様から取り戻すため奮闘中
★昨年の記憶の回想を書いてます★


漢方5日目。


昨日のバスルームでの
茶色っぽい血のカスのような出血が気になり
寝付くまで何度もトイレで確認したが
念のため敷いたナプキンは真っ白だった。



あれで赤ちゃんは私から離れてしまったのだと
涙が出てきたがどこかホッとした部分もあり
眠りについた深夜0時頃。




い、痛い。。
あれ?何かおかしい。
生理痛?お腹が痛くて呼吸が荒くなる。



携帯を見るとまだ朝の4時。
重たい体を起こして
痛さで曲がった腰をさすりながら
トイレへ向かった。



出血している。



そうか、
昨日の夜のは始まりの前兆だったんだ。
しかし、い、痛い。



そして気づいた。
今日は旦那は従兄弟の結婚式の日だ。
1日連絡つきずらい。



この日、実家にいた私。
片親なので家には父親だけ。



でも父親には今回の妊娠も流産の事も
伝えていなかった。




男手ひとつで何一つ苦労なく育ててくれた
父に何もわざわざ孫が死んだ
報告をする必要はない。


そんな事を新婚の娘から言われたら
返す言葉もないだろうし、



色んな思いを父も感じるだろう。
余計な心配はかけさせたくなかった。



父は朝からいつも忙しく出掛けていて
家には殆ど居ない人だ。



早く出掛けて貰わないと
トイレに籠ることも出来ない。



でもまだ朝4時。
とにかく痛みの波が何度もやって来ては
ひいていった。
その繰り返し。



たまにニュルっと何かが出る感覚がしては
トイレへ行きナプキンを換えた。



ここまでは生理よりかなり多めの出血
といった感じだった。



ただ、痛みの波が押し寄せてくると
ベッドでうずくまり、ただ波が去るのを
大量の冷や汗と耐える。



うぅ~何とか耐えられるけど
なかなかの痛さだな。
これ以上まだ痛くなるのかな。



耐えること3時間。
すっかり外は明るくなり
朝の7時になっていた。



ここまでで何枚の夜用ナプキンを使った
ことか。このままだと足りなくなるかも。



今日という日が不安で、
仕方なく旦那に電話した。



流産が始まってしまったこと、
朝の4時から腹痛の波がずっと来ていること。
だから不安で電話したこと。



結婚式の準備をしていて
もうすぐしたら出掛けるが、
横になって無理をしないようにねと
言われた。



電話を切った直後、
最初に頭をよぎったこと。


結婚式で楽しんでいる写真を
私に送ってくるのではないか?



いや、でも、幾らなんでも。。。


このアスペルガーの旦那が
どうか、どうか、そんな事をしませんように。



それだけは絶対に絶対にしないで欲しい。
そう強く願った。