きよくなければ誰も主を見ることはできません、と聖書にあります。
ではどのようにすればきよくなれるのでしょうか?
良いことをすればよいのですか?
いいえ、ちがいます。
答えはこれです。
イエスキリストを主と信じること。
これできよくなることができるのです。
あなたが病床にあっても、
手足が動かずとも、
全ての不自由を抱えていようとも
信じることできよめられるのです。
では納得もしないまま、あなたはどうやって主を信じることができると思いますか?
それには聖書を読む必要があります。
下に二つのお話があります。一つ目はラザロ
二つ目はニコデモという教師の話です。
ニコデモ先生は私の先生です。
ニコデモ先生の話は私を洗礼へと導いたのです。
ニコデモは教師でありながらイエスの言うことが理解できませんでした。もちろん理解できるわけがないでしょう?まともな頭の持ち主なら二度生まれることなどできないとわかります。
頭がいい人なら理解しないでしょう。
イエスは新しく生まれ変わることを言いました。
心を入れ替えるとは言いません。新しく生まれるとはどう言うことでしょう?わかるわけありません。
2000年前の人も今の人も何も変わらないことがわかります。まともに考えて無理でしょ!とちゃんと突っ込んだのがニコデモ先生でした。そしてイエスは言いました。あんたは教師でありながらどうしてわからん?
信じることができないままでも、まず信じてみることです。
聖書の中のお話を信じたからといって、あなたは詐欺師にあうわけではないので、あなたのお金は無くなりません。あなたの生命も奪われません。あなたの家族も仕事も失う危険はありません。
意味もわからず信じたとしても、不思議なことがおこります。それは聖書におこります。聖書を読む時、その時々に応じて、同じ文字にもかかわらず、内容が変化してゆきます。あなたがかわっていくからです。これが最初の神からの語りかけです。
誰も私と同じ意見を言う人はいないかもしれません。
なぜならこれは私の経験であり、私が信じた順序であり、他の誰の話でもないからです。でも多くの人が同じかもしれません。それは私は知りません。
私は人を信じない人間です。
その私が神を信じることができると思いますか?
できないことです。
それでも期待と希望を持って、欲しいものを手に入れるために、先に信じる決意をしたのです。
人それぞれですから、違うなら信じるのをやめればいいのです。頑なになる必要も構える必要もありません。もしわけもわからず体が拒否するならそれはあなたがきよくない証拠かもしれません。
一度信じてみるのです。
そうすれば全てがわかります。
遠足にいくと決めなければ家にいるままで、テレビで綺麗な映像を見ることはできても、本物は見ることはできません。
それと同じで、神を信じると決めると、違うものが見えるのです。それが素晴らしいかそうでないかは自分の目で確かめることです。
違うものが嫌ならやめればいいのです。
みたいと思えば見えるというだけのことです。簡単なことです。たたきなさい、そうすれば...
たたくとはドアのことで、コンコンコン、とノックすることなんですよ。難しくないです。ノックすると開きますから、こんにちは〜と言うだけです。
しかしそのコンコンコンを怖がってしないんですよ。もう一度言いますが、ノックしてもお金は無くなりません。こんにちはといった相手が人違いなら、すみません、間違えましたでいいんですよ。
ただノックするまでは何もわからないといことです。