立正安国論にみる日*蓮のカ*ルト性 | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■皇室伝道に躍起になっている統一教会信者(諸星くると氏・6000双)
http://ameblo.jp/hosizoralove/
http://www.h4.dion.ne.jp/~kuruto60/
http://blogs.yahoo.co.jp/kuruto80
http://blogs.yahoo.co.jp/kuruto80/36572809.html

『先生に啓示を下さる聖人・教祖の中に昭和天皇がいらっしゃることから、私が皇室の女性と縁を持てるチャンスをいただいた背景には、昭和天皇の守護と協助があってのことだと感じています。

私の下で仕事をし、「霊性日本史」を受け止めてくれていた有能な女性Aがいました。彼女に皇室の女性の秘書となってくれと依頼が来たのです。その依頼を託してきた人物は、私の恩人で「霊性日本史」の発表のために尽力してくれた方でした。ただ、その尽力も虚しく、実ってはいませんが・・・。彼は仕事で皇室の女性の方とかかわり、多方面にわたって指導する立場になっていました。彼の背後で昭和天皇が導いていてくれていると思っています。今、現在も・・・。

詳しくは語れませんが、秘書として誘われた女性Aは、サタンの勢力の攻勢に阻まれ、上京を断念せざるを得ませんでした。

もし、その皇室の女性の方が、霊性日本史を理解し、自分の使命に目覚めたならば、聖徳太子の無念を晴らす足掛かりとなるはずでした。千四百年前に、聖徳太子が勝鬘経で推古天皇を教育したにもかかわらず、理解できないまま終わってしまった事の償いを意味していたのです。

私自身のほうでは、私が勤める会社の社長の紹介で、山形の地で講演を行った密教の大阿闍梨と会うことができました。国際的に活躍する大阿闍梨で、著名な芸能人からもパーティに紹介されたりする気さくな老師でした。有能な女性Aは、老師からとても信頼され、山形でのスケジュール編成を託されたりしていました。ですから、この女性Aを通して、大阿闍梨と皇室の女性の方をつなげることは容易なことと思えた時期があったのです。』




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■立正安国論にみる日蓮のカルト性
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm

ここ数年、創価学会問題に取り組んで来て、さまざまな立場の創価学会員の声を聞いて来た。

その中で、ほぼ一様に言える事は、「創価学会」という組織に問題を感じているものの、

「日蓮仏法」というものには問題を感じていない、

むしろ、自分にとって、日蓮仏法が最高の価値観であると受け止めている創価学会員が大半だという事である。

 

しかしながら、わしもそれなりに日蓮を勉強して来てわかっているのは、

そもそも創価学会のカルト性は、日蓮に起因している、という事である。

もっとも、日蓮系の宗派、教団でありながら、さほどカルト性のないところもある。

だが、それは「日蓮はカルトではない」という事を意味するわけではない。

日蓮のカルト性を、意識的か、あるいは潜在意識的に理解しているからこそ、

組織が「カルト」化しないように、修正的に実践しているだけである。

 

もし、修正的に実践する事なく、ストレートに、日蓮の教えのままに突き進めば、

創価学会や顕正会のようになる事が当然である。

これは創価学会や顕正会が、必ずしも日蓮の教えに忠実であるという事ではない。

日蓮の「カルト」的な一面を、最も強く継承しているのが、創価学会や顕正会であるという事だ。

 

それなのに、なぜ、創価学会員は「組織に問題があるが、日蓮仏法に問題はない。」と考えてしまうのか?

大きく、2つの理由が考えられる。

一つは、全てを「良い方に」「良い方に」解釈しようとする、恣意的な解釈方法をとっているという事。

もう一つは、そもそも日蓮の書物(創価学会では「御書」という)を、読んでいないという事。

特に、後者の理由が、現在では大きい。

創価学会員は、「日蓮仏法は素晴らしい」と口にしながら、

日蓮の書物を、まともに読んだ経験の無い者が多い。

それは、かなり年季の入った創価学会員でさえ、そうである。

御書を読む機会は、月一回、座談会。それもお茶を濁す程度。

その座談会で読まれる御書は、ほんの数行であり、

たまに教学試験で勉強するのも、御書の一部に過ぎない。

つまり、短いものならばともかく、論文調の長い御書(五大部等)を、

一編でも読了したという経験のある創価学会員が、年々、減少している。

 

座談会や教学試験で、会員に読ませるのは、基本的にソフトな、差し障りの少ない部分である。

だから、日蓮がカルトである事が、あまり伝わって来ていない。

しかしながら、創価学会の長い歴史と、上層からの指針の中には、

日蓮のカルト性が色濃く存在している。

こうした状況であるから、創価学会員は、

日蓮それ自体がカルトであるという事を理解していない。

 

最近、ネットで反創価学会的な言動をする「アンチ創価」という面々の活躍が見られるようになった。

だが、その「アンチ」も、やはり、御書をまともに読んだ経験のある者が少ない。

だから、アンチの中でも、日蓮のカルト性を知らない人が多い。

日蓮のカルト性を知らずに、創価学会を批判する事は、

風邪の原因がウイルスである事を知らずに、風邪の治療をしようというのと同じである。

それでも治る事もあるが、効率が極めて悪くなる。

アンチも、ぜひ、御書を読んでいただきたいと思う。

 

御書を読むと言っても、

大小合わせて、大量に日蓮は言文を残しており、

それを全て読了しようというのは、はなはだ困難である。

そこで、わしがお勧めしたいのは、「立正安国論」である。

立正安国論は、日蓮が満38歳の時、

日本の最高権力者であった北条時頼(この時は得度して最明寺入道)に対し、

法華経を帰依せず、邪宗を信仰すれば、国難が生じて国が滅ぶと主張した書物である。

この立正安国論に、日蓮の仏教理解の基本があり、

日蓮が死去の直前まで、弟子に講義をしていたのも、この立正安国論である。

だから、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」という言葉がある。

開目抄、観心本尊抄という書物もあるが、

何と言っても、日蓮の思想をビビッドに反映しているのは、この立正安国論だ。

そこで、このページでは、立正安国論の全文をみなさんで読んで行きたい。

 

立正安国論を読む時に、注意していただきたい事が3つある。

 

一つ目のポントは、「名僧」「高僧」の書いた書物という先入観を払って欲しい、という事である。

創価学会員も、今だけは、「御本仏」的認識はぬぐい去って欲しい。

先入観があれば、どうしても恣意的に解釈してしまう。

純粋に、38歳の男が書いたものとして読んで欲しい。

 

二つ目のポイントは、

提出された、北条時頼の立場で読む、という事である。

当時、北条時頼は、日蓮の事をほとんど知らなかっただろう。

「若い坊主」の一人に過ぎない。

その若い坊主から、突然、自分のところに書物が送られて来た。

それも「手紙」というものではなく、

何やら、物語風に、持論が書かれている。

その中には、「法華経を信仰し、邪宗を無くさなければ国が滅ぶ」と書いてある。

北条時頼も、得度して最明寺入道と名乗っており、

彼なりの仏教的信念があったに違いない。

それが突然、若僧から説教をされる。

さらに、「国が滅ぶ」とセンセーショナルな事が書いてある。

北条時頼は、形としては引退したとは言え、実質的な最高権力者である。

当時、日本の状況は、あまり良いものではなかった。

飢饉が起り、餓死者が全国で多発する。

権力争いによる内乱が生じる。

そして、蒙古の脅威である。

北条時頼は、政治家として、心労の毎日であったろう。

そこで、「国が滅ぶ」と若僧から突然言われても、

みなさんが北条時頼ならば、素直に聞く耳を持つか?

何よりも、この日蓮のような僧侶が、次第に勢いを増して、

国のいたるところで、立正安国論のような発言をすれば、

大衆を恐怖で煽動させる事になり、やっかいだと思うのではないか?

 

三つ目のポイントは、現代に置き換えて考える事だ。

もし、日蓮のような坊さんが、現代社会で、同じような事をやったらどうか?

現代の最高権力者は、総理大臣である。

その総理大臣に対し、突然、立正安国論を送って来たら?

「法華経を信仰しなければ、また、全ての邪宗教を無くさなければ国が滅びます」と書いていたら?

今、現代社会には、さまざまな問題がある。

少子高齢化。

ニート。

失業。

ノイローゼ。

異常犯罪。

国の負債。

異常気象。

国際問題・・・

これらの全てが、日本中にある邪宗教が原因だと書いてあったら・・・

 

ハッキリ言って、相手にされないだろう。

危険人物として、官庁のリストに記録される可能性もある。

当時の日蓮も、おそらくそんな風に、幕府に相手にされたものと思う。

 

ところが、この日蓮が、徐々に信者を伸ばして行く。

国としても、看過できない状態となる。

国が混乱している時に、日蓮に影響を受けた人達が、

色んな話をして、世の中を騒がすのはマズイ。

そう考えるはずだ。

現代だって、「邪宗を滅ぼせ!」と言っている集団が、

だんだん、広がってフィーバーを起こすならば、

政治側も危機感を持つだろう。

 

読み方のポイントを整理すると、

1.名僧、高僧の書いた書物という先入観を取り払って読む。

2.北条時頼の立場で読む。

3.現代に置き換えて読む。

 

こうして読む事によって、

日蓮というものを、客観的に見る事が可能だ。

 

鎌倉幕府が日蓮に対し、危機感を持ったのは、

日蓮が「南無妙法蓮華経」しか認めなかった点である。

坊さんが国の行く末に危機感を持ってくれるのは構わない。

挙国一致して、国を立て直す必要があり、

坊さんも、それに協力して欲しいと考えるだろう。

しかしながら、そのためには、「南無妙法蓮華経」だけに帰依し、

他の宗派は一切認めない、というのは、あまりにも過激である。

「余計な話をしてくれるな」と幕府は思うだろう。

もし、日蓮が、他宗派の批判を一切やめ、

国民の不安を煽るような言動を中止し、

前向きに、南無妙法蓮華経を宣伝するならば、

それは幕府としても受容したに違いない。

 

実際、日蓮が流罪地の佐渡から鎌倉に帰還した時、

幕府は、他宗を批判する姿勢を改めれば、寺を与える、と言ったのである。

それに対し、日蓮は拒否した。

その後、日蓮が身延の山中で、一人で生活せねばならなくなったのは、

幕府から「所払い」(鎌倉からの追放)を命ぜられたものと、わしは推測している。

その後、幕府の温情によって、身延で弟子と寺院を設ける事を許可したと思われる。

 

さらにわしの推理を言えば、

竜ノ口で日蓮は、処刑の寸前まで行ったが、

幕府はそもそも、日蓮を処刑するつもりはなかったのではないか?

ちょっと、煽動的なカルト坊主に、お灸を据える意味で、首の座に座らせたのではないか?

 

幕府は、何だかんだ言って、最終的には日蓮の布教を認めたのである。

日蓮に対し、さほど冷たい感情を持っていたわけではあるまい。

日蓮がカルトの方向に行かぬよう、さまざまな配慮をしたように思える。

日蓮側の主張だけを読めば、鎌倉幕府は魔に魅了されている事になるが、

客観的に見れば、鎌倉幕府は、日蓮に対し、大人の配慮を見せていたように感じられる。

 

鎌倉幕府は、どの宗教を認め、どの宗教を認めないという態度ではなかった。

民衆が求めるものならば、どの宗教でも認めよう、という態度だったのである。

いわゆる、現代と同じ、「信教の自由」の立場だった。

だからこそ、日蓮の、「他宗を廃すべし」の主張には、賛成できなかったのだ。

同様に、阿弥陀一仏主義で、他の思想を認めない法然もまた、

鎌倉幕府によって、流罪されている。

これは、創価学会員はあまり聞かされていない事実である。

法然や、法然の弟子は流罪になっている。

法然の弟子で、処刑に遭った者もいる。

法然の一派も、激しく幕府に対処されているのだ。

 

日蓮は、弾圧を受けている事が、自分が正法を実践している証拠だと言うが、

それならば法然はどうなるのか?

 

法然も、日蓮も、

自分の宗派しか認めぬ「カルト」的傾向があったから弾圧されたのである。

 

わしは、「南無妙法蓮華経」という題目は、あっても良いと考えている。

南無妙法蓮華経と唱える事が、日蓮仏法だと言うのなら、

そういう意味では、日蓮仏法の存在を認める。

だが、他宗を否定するあり方には、賛同できない。

これは、鎌倉幕府と考え方が一緒であるように思える。

だが、わしが鎌倉幕府の考えと違うところは、

わしは日蓮系の「教団」は認めない。

個人で南無妙法蓮華経と唱えるのは良いが、集団で日蓮を宗祖としてあがめると、

手がつけられなくなる可能性がある。

日蓮は、オームの麻原教祖に思考の似た、カルト人物なのだ。

カルト人物を敬えば、どういう結果を生むか考えて欲しい。

日蓮仏法が好きならば、組織に属さず、一人で実践すべきだ。

 

霊友会や立正佼成会も、南無妙法蓮華経と唱え、

一往は日蓮の系列にあるとされているが、さほどカルト性を感じさせないのは、

そもそも、霊友会や立正佼成会が、実際において、日蓮をさほど重んじていないからだ。

霊友会は日蓮を飛び越えて法華経主義であり、

立正佼成会は釈迦に回帰している。

 

立正佼成会の庭野日敬開祖は、霊的導きを担当していた長沼妙佼によって、

佼成会を立ち上げた後も、長い間、日蓮の書を読む事を禁じられた。

それが、結果的に、佼成会に日蓮臭を付けさせないと言う幸運をもたらした。

 

だが、こうした教団は特殊であり、

日蓮に忠実であろうとすればするほど、教団はカルト化して行くものなのだ。

 

創価学会の組織に疑問を感じている一部の創価学会員が、

しばしば、日蓮に忠実であれ、日蓮に回帰せよ、と主張するが、

日蓮に忠実であればあるほど、恐ろしい結果を生み出す。

 

現在の創価学会が、草創期に比較し、布教方法が穏やかになったのは、

行動理念が日蓮から離れつつあるからだ。

良くも悪くも、世間で言われるように「池田教」になった事が、

かえって日蓮のカルト性を薄めている。

(一方で、「先生絶対」という、もう一つのカルトに毒されているのだが。)

 

日蓮に回帰する運動をしたところで、

創価学会のカルト性は何も変わらない。

それどころか、草創期の狂気を蘇らせる結果になりかねない。

 

どうあがいても、創価学会は改革不可能である。

 

日蓮が素晴らしいと言い聞かされて来た人々は、

日蓮がカルトであるとは信じ難いだろう。

だから、どうぞ、立正安国論を読んで、自分の感性で確認していただきたい。

あなたがまだ、通常の感性を失っていない限り、

何かを感じるはずだ。

 

周囲に困った創価学会員がいるという外部の方。 

創価学会員の、異常としか考えられない言動や行動は、

ひとえに、日蓮に起因するのだという事を、知って欲しい。

 

ちなみに、立正安国論は、日蓮の論文の中では、さほど長いものではないが、

慣れない人には「長い」と感じるだろう。

 

とても最後まで読み切る自信が無いという人は、

↓のブログの記事をお読みいただきたい。

http://blog.goo.ne.jp/kim_jung_nam/e/2d71e0cc9cbad21d1ea0afe08f34de13