文鮮明教祖と三笠宮崇仁親王殿下との記念写真(1965年2月10日) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■三笠宮殿下、笹川良一氏との会見
『(1965年)2月10日午後2時に真の御父様は羽田に到着され、直ちに本部に戻られて着替えをされ、三笠宮殿下との会見に臨まれました。
 翌11日午後5時に笹川良一氏と会食され、午後8時半、本部に帰られました。』

(「日本統一運動史」より)


(前列左から文鮮明教祖、三笠宮崇仁親王殿下、崔元福女史(文教祖の妾)、後列右から三番目は常陸宮妃華子様?、四番目は高松宮妃喜久子様?、五番目は三笠宮妃百合子様?)

三笠宮崇仁親王01
(三笠宮崇仁親王殿下(昭和天皇の弟))

19650923アメリカ赤十字社前の三笠宮家
三笠宮崇仁親王02
(三笠宮ご一家)


(皇室)



文鮮明教祖と三笠宮崇仁親王殿下との記念写真は、米国CIAエージェント(岸信介)のお膳立てで実現?
1960年代、日本統一教会本部は、岸信介氏の首相官邸時代の建物を使用し、同じ敷地内(?)、お隣同士の間柄だったといいます。
(こんな写真まで世に出るとはね。撮影時期は、文教祖が第一次世界巡回した1965年ごろと推定。この時に文教祖はアイゼンハワー元大統領とも会見している)

『1965年度(世界巡回時)に先生が日本に立ち寄った際、日本のある高位層の人に会って話をしたことがあります。』
(御言選集22巻「全世界はみ旨を早急に要求する」1969年5月2日 韓国・前本部教会)


1965年は、まだ勝共連合(反共組織)設立前のことで弱小・反日韓国宗教を時の首相がここまで優遇する理由はありません。

これも文教祖も岸首相同様、米国CIAエージェントだからなせる業でしょう。
会食しているようなセッティングであり、皇族の方とたまたま会ったときに撮ったスナップ写真ではないことは一目瞭然。
さらに宮家の妃殿下たちを立たせて、文教祖と妾の崔元福女史が座っているという前代未聞の位置関係。
日本では考えられません。

この写真の撮影されたあと、三笠宮崇仁親王殿下のご長男の寬仁殿下と、麻生元首相の実の妹がご結婚されます。

「赤の宮様」と言われた三笠宮崇仁親王殿下。
三笠宮崇仁親王殿下のご長男の寬仁殿下の奥様(信子様)は、麻生元首相の実の妹。
麻生首相と岸信介元首相、安倍晋三首相とは姻戚関係ですから、安倍首相と三笠宮も姻戚関係ということになります。
(米CIAと皇室の姻戚関係が実現)


三笠宮は昭和天皇の弟(傍系)ですが、文教祖(米CIA・反日韓国人)は直系の皇族の改宗も企んでいました。
恐ろしいことです。

文教祖は天皇をひざまずかせ

天皇が来て、ひざまずいて這いながら慟哭するのを見るまでは、私がしばらく行かないというのです。私がそのように生きています。わかりますか?(「はい」)』
(「文鮮明先生御言選集」383巻より)

自分(文教祖)が天皇に代わって崇拝されることを目論んでいました。

『昔は韓国が(日本の天皇に向かって)東方遥拝をした。しかし、今はあなた達は、父母様のいらっしゃる韓国に対して西方遥拝をしなければならない。日本人に対して気持ち悪いことを言うけれど、蕩減復帰の立場から、一八〇度反対の道を行かなければならない。』
(完成と解放 1992年4月11日)

『日本人たちは東方遥拝ではなく、西方遥拝をするようになります。そうしないと日本がペチャンコになって、太平洋の底に沈むことになります。』
(「文鮮明先生御言選集」355巻より)

そして最終的には、自分の子供や孫たちと天皇家を婚姻させ、自分が日本の王になることを無謀にも計画していたのです。

『日本と韓国の怨讐中の怨讐が最頂点の王です、王。そう、日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければなりません。』
(「文鮮明先生御言選集」346巻より)

『それでは、その(文教祖の)息子、娘を中心として後孫(子孫)が三代になったら、すべて国際結婚する時が来ます。ですから国境で怨讐(敵)になっていた人たちを中心に結婚するのです。怨讐(敵)の国の人と結婚するのです。日本の皇室と(文教祖の)孫たちが結婚する時が来て、すべての国の王権の代表者たちと結婚する時代に入るというのです。
(「文鮮明先生御言選集」328巻より)

『日本の皇室の貴重な娘たちが韓国の農村に入って、漁師の妻になり、農夫の妻になると自ら申し出ることができるそのような時が来れば、日本が解放されるという考えをしなければなりません。』
(「文鮮明先生御言選集」333巻より)

『文先生にとって日本の国は最初の怨讐の国でした。日本の(皇居の)二重橋を自分の手で破壊してしまおうと思いました。裕仁天皇を私が暗殺しようと決心したんです。自分の国(韓国)を愛さない人は、世界を愛することができません。』
(第40回真の万物の日のみ言葉 2002年6月11日 清平修練院)

『堕落してサタン側に立つエバがアダムを主管することによって、どのようになったでしょうか? 天地が引っくり返ったのです。ですから一つの国家を中心に見る時にも、エバ国家である日本に韓国が支配されてばかりいたら滅んでしまいます。(韓国が日本に)主管を受けた後には、どうしなければなりませんか? 韓国が支配された立場とは逆に日本を支配するところまでいかなければなりません。でなければ、復帰が出来ません。
(哀れな復帰の役軍たち 1969年6月8日 前本部教会)


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<統一教会(日本)での活動>
1971年1月8日、日本全国公演をしていたリトルエンジェルスを天皇皇后両陛下(当時皇太子殿下夫妻)、秩父宮妃殿下等がご観覧。同年5月14日、久保木会長が蒋介石総統と会見。同年6月16日、久保木会長がローマ法王(パウロ6世)に拝謁。
1972年12月26日、リトルエンジェルス公演を皇后陛下(美智子妃殿下)、常陸宮殿下夫妻、秩父宮妃殿下らがご観覧。なお、皇后陛下の恩師・助野健太郎・聖心女子大名誉教授は文師の深い信奉者である。』



(皇太子殿下御夫妻(現天皇皇后両陛下)がリトルエンジェルスをご観覧、賛辞を贈られた。1971年1月8日)
http://www.chojin.com/moon/nihon.html
※このとき文教祖は韓国にいたので、皇太子夫妻には会ってない。
※リトル・エンジェルスは、慈善公演にも数多く出演しているが、とりわけ1972年12月、オランダのヘイグで開かれたユニセフ基金募集の為の祝祭に参加
http://www.beato.co.jp/page/beato/2a/0la.html

『皆さんも知っていますが、私たち統一教会の基盤は堅固です。子供舞踊団が日本の佐藤首相に会ったのは、新聞を通して見たでしょう? それはただそうなるのではありません。
皆さん、日本で岸首相といえば日本で第一人者です。彼らは兄弟同士(岸、佐藤)で首相を、4選もしましたが、10年以上してきました。彼ら兄弟(岸、佐藤)が今の日本を支配しているのです。
これから韓国の運命のために、この兄弟(岸、佐藤)をどのように捕まえるかということにおいて、私は7年前から工作をしてきたのです。
・・・昨日(1/8)は日本の天皇の息子と岸首相を中心とした官僚3百人たちが私たちの子供舞踊団の公演を見ました。そのようなことはただなんとなくできますか? そんなことをするのは、ひたすら国(韓国)を生かそうとする一念でしていることなのですが、いまだに大韓民国は夜中です。夜中。呆れるというのです。』

(御言選集39巻「み旨が行くべき道」1971年1年9日 韓国・江陵教会)





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でも皇室も文教祖もメーソン握手してるんだけどね↓
http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=96