清平の先祖祝福・・・両親が近親相姦や強姦、一夫多妻の場合はどうなるの? | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■現在、清平では420代前の先祖までさかのぼり、祝福結婚させていることは金儲け以外の何者でもない・・・

現役信者は疑問に思わないのだろうか・・・。

清平で行われている霊界の先祖祝福結婚で先祖の中には「両親が近親相姦や強姦、一夫多妻」の場合もあったでしょう。
昔は、日本でも「多夫多妻」の慣習があったという説もあり「二号、妾」といった第二夫人を持つ男性(または女性)が過去も現在も存在しています。
清平では純粋に両親が別々の家系から嫁いできて婚姻したと仮定して計算しているようですが、そう単純な問題ではないはずです。

昔の韓国(李氏朝鮮)での奴隷制度の中にあって、主(あるじ)が女の奴隷を強姦して、そこから生まれた娘も強姦してさらに子供が生まれるケースも少なくなかったわけですが、そうなると「夫婦が一対一」でない極端な近親相姦というケースもありえるわけです。

では「一夫多妻」の場合、相手はどこから連れてくるのでしょう。

霊界でマッチングしているとでも言うのでしょうか。
そうすると、自分の直系でない他の氏族の先祖も同時に祝福結婚させている計算になります。

であれば、かなり先祖がかぶるはずです。
そうでなくても、ほんの数十代前の先祖(両親の両親・・・という具合に)を数えただけでも物凄い人数になり、ここでも同じ民族であれば相当数の先祖がかぶることになります。

昨年(2013年)、アメリカの36家庭の金栄輝氏が清平の名代として、「人類歴史は5万年、1800世代」であり、その先祖たちの解怨・祝福結婚が必要だとアメリカの統一教会を巡回して清平の重要性(宣伝)を説教してまわっていました。

金栄輝氏はホモサピエンスの歴史を持ち出して来ていましたが、3万年前に絶滅したとされる「ネアンデルタール人」も含まれるというのでしょうか。

アダムとエバは裸でも寒くなく、周辺に食べ物があふれていたため何の仕事もしないでも飢えることもありませんでしたが、その息子のカインとアベルの世代になって、いきなり「農耕と牧畜」による神への捧げ物が登場します。

これは文教祖のみ言葉も聖書と同じ見解です。
しかし文教祖の主張する人類歴史の単位は何千万、何百万年単位の説教も多く存在し、何百万年前は「ホモサピエンス」は存在していませんし、氷河期が終わったのもほんの1万年前にすぎません。

<数千万年>
『海に行けば、鮫なども、その種が生じてから二億五千万年、鯨は二億年以上です。大きい動物は、そのような長い歴史時代を過ごしてきたのです。二億五千万年です。地球の年齢は、四十五億年から四十七億年までとされています。
 そこで、神様が万物の主人である人間をつくられるうえで、その必要条件として巨大な万物をつくられたのが二億五千万年前であるとしてみましょう。
 そうであるとするならば、万物の主人を迎える準備のために費やしたその二億五千万年を度外視して、アダム、エバを今から六千年前につくられたというのでしょうか? それは、見当外れも甚だしいことです。
 それでは、二億五千万年前に万物をつくられたとするならば、神様は万物をつくられた後、その主人たり得るアダム、エバを今から、何年前につくられたのでしょうか?
 動物の主人を立てるのですが、準備したその動物を管理することのできる主人をつくろうとすれば、管理者を直接、すぐに立てられたでしょうか、何億年も過ぎた後に立てられたでしょうか? 考えてみてください。そのように考えれば、人間の創造は、今から何千万年前のことなのです。
 このような根本的な問題を知らないのです。無知で堕落したので、無知の歴史を経て、数多くの蕩減的歴史を経てきました。そうして選民圏を立てるために、今から四千年前にイスラエル民族を立てたということを考えたならば、人類の誕生から四千万年以上の歴史が過ぎていったということを考えなければなりません。

(真の愛の主人に侍ろう 1999年6月13日 韓国本部教会)

<数百万年>
人類歴史は二百五十万年、一千万年とみなされているのですが、堕落したことが分からなくて、今日まで収拾できなかったのです。しかし先生の時代において、四十年の中で四千年の歴史をすべてひっくり返して、隅々まですべて繕って、根源から、心情のその行き違った道まですべて正しておいて、人類の解放圏まで提示しました。』
(「真の子女の生活2」より 1988年10月16日のみ言葉)

<数十万年>
人類歴史を考古学的な見地から見ると、およそ八十五万年から百五十五万年と見ます。そのような長い長い歴史過程であれば、誰もこれを解くことができず、解決する方法が分からないのです。人間は、山の頂上から、数十万年かけて転がり落ちてきたようなものです。果てしなく、限りなく下りてきたのです。』
(「真の子女の生活2」より 1984年6月20日のみ言葉)

<数万年>
堕落した人間始祖の血統を通して、数万年の繁殖があり、その結果として、今日の六十億の人類が生まれたのである。よって、すべての群れは、神様とは全く関係のない血統を持った者たちである。』
(「天地の大道」より 1987年10月4日のみ言葉)

これ(人類歴史4000万年)を語った頃(1999年)は、清平の先祖解怨の最盛期ですから、人類歴史ができるだけ長いほうがお金が儲かりますからね。
(参照:「人類歴史は4000万年」(by文鮮明)
清平の先祖解怨を210代すると解怨される先祖は天文学的人数になる
清平での210代の先祖解怨と先祖祝福(1)
清平での210代の先祖解怨と先祖祝福(2)
清平での210代の先祖解怨と先祖祝福(3)

もし文教祖の言う人類歴史が何百・数十万年単位であれば「北京原人」や「類人猿」は人類始祖(アダムとエバと同じ人間)ですか?

しかし文教祖は「北京原人」や「類人猿」に対してこのように語っています。

『なぜ神はできないか。神はいないのか。いるか、いないか、これが問題だね。神がいて、これを解決しなければ、神は神になれない。神はいるか。ならば何のために、こういうように、ならざるを得なかったか。だから、我々はそういう神を、ただ信じて行くんじゃないよ。神を信じるんじゃない。神によって行く。我々の生活の背後に住んでいる神を知っていく。君たちが、ちょっと深く入れば、みんな教えてくれる。教えてくれるよ。天は教えもしないで何やっているの? 天国から線をズーッと地上につな繋げれば、みんな通ずるだろう。地上が統一すれば神の直接圏。霊界があればこれは通ずる。これは原則である。だから、今、世界に数多くの人類が住んでいるけれど、三分の二以上がそういう世界がわからない。タイペイに行ったら、北京原人が人類の始祖だと、大騒ぎしているんだけど、それは霊界を知らない者たちだ。自分たちの親が死んでいるのか、生きているのかがわからない。それは少し入れば、誰でも体験する問題だ。』
(本部教会和動会でのみ言葉 1965年9月30日 松涛本部教会)

数十万年前の「北京原人」は人類始祖ではないそうです。
しかし文教祖が79歳のときには人類歴史は4000万年前だと述べていますが・・・。

何を根拠に自信満々に人類歴史は4000万年前だと思ったんでしょうか。

人類の歴史については諸説あると思いますが、一般的には
『地球の誕生から現在まで、50億年という月日が流れているが、人類は地質学上の新世代になって現れた。いまから400万年前に猿人が現れ、80万年前にジャワや北京に原人が現れ、次に15万年前にネアンデルタール旧人、3万年前にクロマニヨン新人が現れた。
このことから、人類らしきものが地球上に現れたのはせいぜい400万年前であり、地球の誕生から現在までを1日経過したと仮定すれば、人類は、ほんの1分前に現れたことになる。』

http://www.sado.co.jp/usami/ginruinomirai.htm

とネアンデルタール人でも15万年前、クロマニヨン人でも3万年前です。
猿人のような人類らしきものでさえ400万年前です。

では4000万年前は、何が地球に生息していた時期でしょうか。
4000万年前は新生代の古第三紀ですが、恐竜はこの前の時代で中生代の白亜紀です。
6500万年前に恐竜が絶滅して、このころ霊長類の始祖が発生したようです。
でも霊長類といっても猿でもなくネズミのようなそういうものでしょう。
文教祖はどうやらネズミのような霊長類を人類歴史としてカウントしているようです。

しかし「人間」として正式にカウントできるのは、聖書的に言うと「神が霊の息を吹き込んだとき」からです。統一教会的に言うと動物にない「霊人体」が付与され霊界と地上界を同時に主管できる立場に創造したときから、でしょうか。

ネズミはちょっときついのではないでしょうか。
そして文教祖が人類歴史をいつも適当に、そのときそのときの気分(?)で変えて語るのですが、わからないのであればわからないなりに語ればいいのですが、「自分の言葉は100%正しい」とという前提で信者に吹き込んでいますから、聞く時々で信者の見解もまちまちになる危険性があるのは、おかまいなしのようです。
どうせ入れ替えが激しい信者ですし、昔のみ言葉をほじくり出して比較する者もいないでしょうから安心して語っているのでしょう。

『たとえて言えば、猿と人、類人猿と人が結婚しても赤ちゃんは生まれません。』
(「文鮮明先生み言葉選集」370巻より)

『共産党がそのような相対的基盤で理論的な絶対価値が出ることを知りません。それで目的観がありません。共産主義は常に発展しなければならないというのです。進化論ではアメーバから何? 人間になったと? 数千の段階の愛の門を出て発展して出てきたのに、それを無視して、いっぺんにアメーバがどのように人間になりますか?
愛の門を通らなくては新しい命が生じないのです。種の区別というのは絶対なのです。猿の祖先は誰でもなれません。猿だけが猿の祖先であり、人間の祖先は人間だけです。
人間の子孫は人間だけであって、人間の第三の造作はできないのです。
皆さん、そのために氏族というのが貴いのです。自分の族属(※一門、家門)というのが貴いのです。 「文」氏でいうと、文氏の祖先から生まれれば一生、永遠に(姓が)「文」という名前です。 「文」を抜くことはきでません。根本を抜いてしまうことはできないのです。』

(天正宮訓読会でのみ言葉 2008年4月17日)

進化論全否定で猿と人間は結婚できないと本人も言ってるんですが・・・・(^^;
いくらなんでもアメーバからいっぺんに人間になるなど誰も考えないでしょう。
その人間の始祖は人間だけと言う割には、余りにも、その境界線の年代が荒唐無稽なことをいうので、妄想や想像の域を超えないと言えるでしょう。
(ここでも全てが文氏の姓が始祖、つまり文鮮明教祖から始まる「文王朝の万世一系」を強調したかったのでしょう。)

『アダムも一人息子でしょう?イエス様もひとり子ではありませんか。再臨主も、神様のみ旨から見れば一人息子と同じです。』
(真の御父母様の生涯路程10)

人間アダムは神の子(唯一の神の人間)で文教祖自身も人類中唯一の神の子で、文教祖以外の人間は悪魔の子孫なので万物以下だと原理でずっと教育(洗脳)してきましたよね。
統一教会の教義は、文教祖以外は万物以下です(^^;