日本の大和主義は天宙復帰に第一条に必要な要件であり国民性はいい所がある(by文鮮明) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

『心情基準は絶対に侵されるな。目的観念におきましては、左右に動かすことができる。しかし絶対位置となる心情基準は絶対に侵されない。良心を超えても残るものがある。すべてのものを代表してぶつかっても、余るものがある。何をやっても、我はそれを残したものを中心として世界に讃えるものがある。そういう理想を持っておれば、最高の男である。日本の西郷隆盛が青年の意気を隆こして何をやってそういう基準に立ったか、それを思うべきである。もしもそういう男たち、ああ、そういう、大和魂と言うでしょう。大和魂。大和というのは何かというと、大家、大家、大家主義。日本の精神というのは本当に大和魂か? いずれにも応じて一体となる。そうだったらそれは世界を統一する。
 そういう、そこに、そこにだけ、世界を差し向けたら、何て言うか? それだけあれば、その大和主義は天宙復帰に第一条に必要な要件である。日本の国民性はね、いい所があるんですよ。

(我々は中心を求めて一つになろう1965年2月7日東京教会)



文教祖は日本の「八絋一宇の理想」=「神様の理想」だと語っています。

<「八絋一宇(または「八紘為宇」)」・・・(人間は根が同じであるから)天の下では全ての民族は平等である。天下を一つの家のようにしよう。(「八紘というのは、天地の四方八方あらゆる方角で世界中みんなということであり、一宇は一家のことであり、世界中の人々が一家族のように仲良く相和し、扶け合い、生かし合って生きていくという意味」)>
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11031856753.html

『日の字だよ。太陽をなしたという。その名前自体が証明、そういう名前を持っておる。それ何かというと、天宙におけるそのいわゆる天のお父様の象徴の名である。おもしろいだろう。日本もそういうふうな意味があるんだよ、日本も。日本も、日の本もそうでしょう。そういう日本におきましては八絋一宇とか、そういう思想もこれは天の摂理から実にその意義ある名前である。
(原理大修練会、再臨講義後における御言1967年6月30日)



『その精神が一致するのです。愛を中心として、方向が反対になったのと同じように、行動も同じ行動でもって、これまでは反対の方向に行くように、サタンは利用してきました。八紘一宇の精神は、天宙統一の精神と同じなのです。大東亜共栄圏というのも、神様の栄光の世界と同じです。
(女の道1994年1月21日済洲研修院(日本の女性に日本語で語られたもの))



『将来、日本はこういうその、国粋主義の日本であるべきでない。国粋主義は知ってるでしょう。(「はい」)。大日本帝国、大東亜共栄圏、まあそれは一時はいいよ。万世一系の天皇、八紘一宇とそのそれは天的使命の一面を象徴しているというんだね。そういう象徴されたという基準を立たせるには必要だけど、それが万民に通ずるというのは、そういうのは神以外にない。』
(原理大修練会、摂理的同時性講義途中における御言1967年6月26日)



『それから父母圏復帰が自動的に、地上ばかりではなく永遠の国の王圏まで、地上圏と天上圏。それは日本がまさしく、サタンのほうで乗っ取って、万世一系の天皇を、八紘一宇の理想、これは神様の理想です。よくも唱えていますね。それを皆、消化するのです。』
(本郷人集会での御言1991年1月21日)




八絋一宇の理念は一時期大東亜戦争時の日本のスローガンに利用されましたが、文教祖はそれをわかっていても「八絋一宇の理想」=「神様の理想」というのはなぜでしょうか。日本をサタン国扱いする割には思想や国民性はすばらしいと珍しく誉めています。

意外にも韓国には「八絋一宇」や「大和(和を持って尊しとなす)」のような思想はありません。文教祖は韓国人にない「天の思想」を持った日本人がうらやましいのでしょうか。それとも韓国人にこの思想があったらと悔しがっているのでしょうか。

大地震のとき暴動も起きず、理路整然と列をついて順番を待っている日本の避難民を見て、世界の人がどれだけ驚いたことでしょう。この「八絋一宇」や「大和」という精神は知らずに日本人の遺伝子に刻みこまれているのです。

ですから、日本人は自分の国(日本)をもっと誇りに思ったらいいと思います。文教祖も今はもう言いませんけど、日本の国民性や思想を誉めてくれているのですから。

1965年日韓基本条約の締結をし、戦後賠償をもらったことを韓国の国民に隠すようになった1960年代後半ごろからは文教祖も韓国も反日路線になってしまいました。

いまは韓国では「親日家」は法律で処罰され、非国民扱いされます。


日本統一教会の開拓者の36家庭の西川先生はこのように日本の「八絋一宇」のことを語っています。

『人間というものはですね。人間でありながら人間の価値を知らないとですね。生きる気持ちがしないんです。例えて言えばダイヤモンドでありながらダイヤモンドの価値を知らない黒人はですね。石ころ………………猫に小判だから捨てる気持ちにしかならないんです。だから人間がどうして生きる気持ちがなくいろいろな自殺したり嫌になってしまう。厭世的になってしまうか、と言うと、人間として人間の価値を知らないんです。だからそうなってしまう。だからまず私たちは人間の価値を知る事一番大切だから宗教であろうがすべて学問の目的は人間とは何ぞやというこの問題を第一におくんですね。だから一番知らなければならない問題、一番知らないんですね。だから今までの宗教は今までの哲学はですね、理論こうであろう。ああであろうというこの理論はあるけれどもね。理論はあるけれども定義はないんですね。だから人生観の定義を一つぎゅっと掴んでですね。人間は最上の存在であるという。自分の存在を知るこの尊い者という値なき一本も尊重するようになるというんですね。そして人間は本当に天宙左右する一つの主管する先生おっしゃってますね。
 私は日本の道をですね。何億光年向こうに星がありますね。ああいう星と私と何の関係あるか。何か関係ないようであります。光でもって一秒間に地球を七回半回る。光でもってそこに届くにしても何億兆光年とかかるのに、そういう者と私たちとどういう関係あるか。全然関係ないように思うでしょう。しかしそれも私たちにみんな関係ある。関係ないの造らないんです。心情の世界というの光の速度よりももっと早いんです。思いの世界というのはだから心情だけあればそういう世界を全部自分というものと具体的な関係があるんです。だから関係ないものは何一つもないっていう。そのように自分が心情的な人間になり真理に徹した人間になれば本当に心情と真理とによって全部関係あるものです。光の高速度も問題ないっていうですね。だからそのように人間というもの知れば知る程素晴らしいんです。
 だからこれから一つ原理をうんと勉強されてですね。勉強しても深く知り、深く知り、広く知るという事が、だから私達は愛と誠といっても愛、真理といってもね、私たちはもともと兄弟を愛する隣人を誰でも愛せる。そんなの隣人とか妻を愛するとか子供を愛するとか親を愛する。天のお父様まで愛するという。この広い高い深さの愛でもって初めて価値があるわけなんですね。だから日本でいう八紘一宇の精神というものは、そういう宇宙精神なんですね。そのような愛を持つ真理も利己主義とかこういう小さい自己中心の真理でなくてですね、全宇宙をその包むような真理。それで人間の価値があるんですね。
(北海道(札幌)巡回時1965年2月8日)



日本人はもっと自信を持ったらいいと思います。自分の国(日本)をもっと好きになったらいいと思います。