文教祖の高校時代 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

先生の学生時代には、日本に双葉山という横綱がいたのですが、今も生きていますか? もしも先生が相撲をやったら一度やりたいですけどね。(笑) 暇がなかった。先生は相撲をよくやりますよ。本当は中学時代、高校時代は全校で一等だった。先生は負けるとそのままではすまない。負けては寝ない。(笑) 人に殴られたら一年、二年、三年、それはもう脳に突き刺さってなくならない。何とかして両手をついて謝るのを見ないと修まらない。そういう性質を持っている。だから相撲なんか負けた時には夜も一人で裏庭へ行って、木を持ってやるんですよ。柔らかい木をエーイ!とやるんですよ。一ヶ月ほどやる。それを倒してからは寝る。良い気分で寝ちゃう。そういう気持ちはそれをやらないと分からない。それを練習してサタンにぶつかったんですよ。それが必要である。だからそういうふうに考えるんですね。一度手を付ければ、勝利の決定をしなければならない。君が敗れるか、君が私のその一つの肉になるか? 喰うか、喰われるか、そうなっているんです。力比べが勝敗を決定する。これは善の世界も同じである。
(「信仰と生活 第四集 先生の歩まれた道」1965年10月 聖日和動会に於けるみ言)

  
先生の学生時代には、日本に双葉山という相撲のチャンピオンがいましたが、今も生きているでしょうか。もし先生が相撲をしたならば、一度競ってみたかったのですが、暇がありませんでした。先生は相撲が上手です。中高生の時代には全校で一番でした。高等学校の時、先生は相撲のチャンピオンでした。高跳びとか、どんな運動でもできないものがありません。ボクシングまでしました。悪い人は、とんと押せば、すっと転がっていくのです。そのような訓練までしたのです。なぜそうしたのでしょうか。けんかをするためではありません。偉大な革命をしなければならない、世の中を正して、天理に合う平和の世界をつくってみようという所信をもった以上、それには体が健康でなくてはならないのです。大きなことができません。皆さんに、自己保身法も教えてあげなければなりません。忙しければ、瞬時にたぐり寄せて転ばせるのです。そのような訓練をすべてしたのです。それはなぜですか。自分がたくさん食べて豊かに暮らすためですか。国を生かすために、世界を生かすためにです。怨讐が、悪党がもし道をふさげば、脇腹をけってでも行かなければなりません。行くべき道が決められていたなら、絶対に行かなければなりません。
(真の御父母様の生涯路程(1) 第一章真のお父様の誕生と内的準備 第五節日本東京留学時代(一九四一・四~一九四三・九)二 早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科修学(一九四一・四・初~一九四三・九・三〇))

 
先生の学生時代に、日本には、横綱双葉山がおったんだけどね。今でも生きているの? 先生は、もしも相撲をやったら、ひとつやるんだけどね。暇がなかった。やれば、そうなるかも知れないよ。先生はね、相撲はよくやるよ。ほんとはね、中学時代、高等学校時代には、全校で一等だった。先生は負けたらすまない。負けては寝ない。人に殴られたら一年、三年、四年、それはもう、胸になくならないんだね。なんとかして両手で手をつきながら謝るのを見ないと気がすまない。そういう先生だ。だから相撲なんか負けた時にはね、夜も、練習しなけりゃ、一人で裏庭へ行って木を持ってやるんだよ。柔かい木を、「ええい」、曲げるんだね。それでちょっと強い奴を、「ええい」。やるんだよ。やって一カ月やる。それ倒してからは寝るんだね。いい気になって寝ちゃうよ。その気持はそれやらないとわからないんだよ。そういうように練習してね。サタンにぶつかったんですね。だからそういうふうに考えるんだね。一度手をつければ、君が破れるか、君が私のその一つの肉になるか。食うか食われるか。そうなってるよ。力、その力を比べて、実力比べでもって勝敗を決定する。こういう事は伝道しても同じ。
(夜の和動会での御言1965年10月3日本部教会(東京都渋谷区松涛町))


今、統一青年達は、君達は先生が苦労したのをよく知っておるでしょう。で、顔を見たら苦労も何もない、手なんか見ても柔らかだ、今もそうなんだよ。今も、ボキボキボキボキ(指を曲げながら)先生の骨は運動するんだね、いつも。昔、運動する時はね、ウーン(全身に力を入れる)とやったんですよ。体を鍛えなきゃ、時間がない。大変な使命を果たすには、目的を無理してでも引っ張って行く。全てが、一億国民が反対しても、その反対する一億を立ち退けて引っ張っていく体力を造らなきゃならない。今でも先生は、飛び込んで捕まえられれば越えるよ。男としてはね、横道で思わざる事があったら飛ばすような手業が必要である。先生は相撲なんかしてもね、高等学校時代はね、一等である。負けたら寝ない。負けたら寝ることも分からない。何とかして、それを押し込めなければ済まない。そういう性質があるんだね。
(「信仰と生活 第四集 先生の歩まれた道」1965年10月8日 早成寮にて語られたみ言)


ある日、「どれくらい食べることができるのか、試験してみよう」と思い、やってみました。戦争時代のその時には、食券というものがありました。その食券があったので、「何杯くらい食べられるか、よし、一度食べてみよう」と友達を連れて食堂に行きました。高田馬場をずーっと下りていけば寺がありますが、そこから食堂がずーっと立ち並んでいます。そこで先生は、親子丼を七杯も食べました。七杯も食べてたので首が回りませんでした。それは、腹が減ることよりももっと苦痛でした。動くこともできませんでした。そのようなこともしてみました。しかし、先生が常にそのようにしたと思えば、大きな間違いです。先生は常に腹が減っていました。しかし、なぜそのようにしたのでしょうか。自分の腹だけを満たしていれば、自分から民族が遠く逃げてしまうためです。神様も自分から遠く逃げてしまいます。腹が減って食べたいけれど、それ以上に民族と神様を愛さなければならないと考えました。それが真理であり、先生の信条でした。これからおよそ四年間、二食主義を実行しなさい。みなしなさいというのです。先生は三十歳まで、高等学校時代から二食主義です。三食を食べずに暮らしました。それで腹の減らない日がありませんでした。御飯一食を世界のために犠牲にしなさい。それは貴いことです。(早稲田時代の話 真の御父母様の生涯路程(1) 第一章真のお父様の誕生と内的準備 第五節日本東京留学時代)


中学、高校時代には、冷たい部屋で寝ました。その時は、今より寒かったのです。寝る時も、楽に寝てはならないというのです。先生がこの道を築いていく時には、すべてのものが未完成だったので、まっすぐに寝転がって寝ることができず、横になって寝ました。私が父のみ旨を知ってからは、私の体をむやみに見せませんでした。足を伸ばしては寝ませんでした。まだ道を極めることができず、責任も果たしていないのに、足を伸ばして寝ることができますか。先生はそのようにしてきました。
(真の御父母様の生涯路程(1) 第一章真のお父様の誕生と内的準備 第五節日本東京留学時代)


まあ、そのくらいにしましょうか。地区長たちはもう今日帰るという話を聞いたんですがね。ちょっと手を上げて下さい。降ろして。はつらつ溌剌たるその若者たち、先生もその青春ですよ。先生は、もう四十以上歳をとっておるという気持はないんです。今でも相撲やったらここのすべての人に勝つ自信がある。本当なんだよ。本当だよ。運動といえばもう、できないものがないというんですね。相撲をとれば、高等学校の時代におきまして、校内で一等だった。運動をやれば、いざやるという時には、一、二、三等以内に入らない運動はない。それはもう、入るのは決まっておるんです。もしも入れなかったら命懸けでやる。そうなんです。先生は負けるのが大嫌い。大嫌いです。先生がひとつ掴んで、これには命を懸けて訴えるというふうになれば、その問題は成就しなければならないということになるんです。そういう精神を持っている。だから神がよく選びましたということになるんですね。まあ、これは冗談だけどね、そういう気持。そういう性質を持っておるんです。だから、幼い時からそういう人に頭下げるのは大嫌いである。だから大学に行ってもね、先生の講義を聞くというと、その講義が耳に入らないんです。何故一に二を足すと三になるか。それは誰が決定したか。それが謎の話みたいに聞こえる。数学の公式なんか解いていけば、五プラス何々と言ったら、それがどうしてそういうようになるかと。その本来の因縁と説明はいかにして、誰がそういうように決めてそういうようになったか。やってみればそういうようになったかと、それが頭に浮かんでね。だから先生が説明すれば、学校の先生はどうにもこうにもならない。だから、一番先生たちが怖がっていたというんです。だから学生時代の同級生同士もね、非常に怖がっておったんです。大概の若者たちはね、放課後の掃除というのは大嫌いなんですよ。そうでしょう。ほうき箒を持って、机を動かして何かするのは大嫌い。そうなんでしょ。君たちも体験したでしょう。そうすると、「君ができなかったら、嫌だったら、私一人でやる」。黙々とやってしまう。そういうことをよくやったんですよ。それで同級生同士が、「ああ、あれはもう阿呆みたいだ」と。話はしない。無言でもってズーッとやったんだから、その当時の担当している先生よりも先生を怖がったんです。便所なんかスーッと行けばね、同級生も道をあける。牢屋の中に入ってもそうなんです。そういうことがありますね。それで、頭下げるのが大嫌い。だから、今統一教会の人は、「先生がそうだから、我々もそうならざるを得ない。だから、統一教会の先生に対して頭下げない」と訴える人もおるかも知れない。まあ、それでも結構である。そういう自信があれば、やってみな。しかし、君たち一人もそういう所に届かないというんです。先生を超えられないから、頭を下げざるを得ないという結論になる。だから幼い時からそういう性質だったんですね。だからうちの母は、非常に御苦労なさったわけなんです。喧嘩するのをみれば、そういうことをやってはいけないという。その部落、村におきましてもね、子供の大将になる。自分より三歳、四歳、五歳、七歳上の十五歳、二十二、三歳の人たちと相手する。
(本部教会での御言1965年1月30日本部教会(東京都渋谷区南平台))


この内容をみてみると文先生が「高校時代」と言っているのは「早稲田留学時代」のことのようですね。でも、「だから大学に行ってもね、先生の講義を聞くというと、その講義が耳に入らないんです。」ということは、「同じ敷地内」の早稲田大学にこっそり聴講しに行っていたのでしょうか?
私の認識ではソウルの京城商工実務学校時代だと思っていたのですが、出てくるのは日本に関連したようなことばかりですね。


【双葉山】
四股名 双葉山 定次
本名 龝吉 定次
愛称 不世出の横綱
相撲の神様
昭和の角聖
生年月日 1912年2月9日
没年月日 1968年12月16日(満56歳没)
出身 大分県宇佐郡天津村布津部
身長 179cm
体重 128kg
所属部屋 立浪部屋→双葉山相撲道場
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
(成績)
現在の番付 引退
最高位 第35代横綱
生涯戦歴 348勝116敗1分33休
幕内戦歴 276勝68敗1分33休(31場所)
優勝 幕内優勝12回
(データ)
初土俵 1927年3月場所
入幕 1932年2月場所
引退 1945年11月場所
引退後 日本相撲協会第3代理事長