2016年秋 仙台・気仙沼旅行 5多賀城跡への道
南門跡から、北へ向って、多賀城跡を目指す。
南門からまっすぐ北に多賀城はあったようだ。
その道は奈良時代、平安時代にかけて作られた古い道らしいのだが、
今はまっすぐ通れなくなっていた。(「養生」中で縄が張られていた。)
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古道の脇には萩の花が咲き乱れていた。
で、ちょっと迂回するように細い道をいくと、
道端に傾いだ墓石。
なんとも静かな風景。
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多賀城への階段が現れる。
この道を坂上田村麻呂も歩いて通ったのか? いや、馬でご出勤だったか?
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広々した階段はみごとなまでに同じような大きさの石を並べて整えられていた。
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上りつめると、多賀城跡!
中央に位置しているのが「政庁跡」だそうで。
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ここで昔々の人々は「重要な政務や儀式」を行っていたという。
木靴など履いて、正装したお役人たちが立ち働いていたのだろうか。
都の睨みを利かせんとばかりに?
アテルイ好きの私としては、なんとも小憎らしいくらいの多賀城で、
政庁跡に降り立ってみて、
いかんともしがたい歯がゆい気持ちに襲われる。
それとは別に、滋賀県の多賀と絶対関係があるであろうこの多賀城。|д・)チラッ
当時多賀城建設に携わった人々は、
東北の地を滋賀の多賀のようにしたいと思ったんだろうなぁ。
ここが……。ここに……。ここで……。
むむむ~……などと考えていたら、
自分の影が思い切り真北に落ちていることに気がついた。
時は丁度お昼頃。
まさに南門から一直線に真北に、多賀城は建てられていたんだなぁ。
思わずパチリ。
――政庁跡の台に、俯いたまま、しばし仁王立ちしている女……はたから見たら、さぞ不気味だったろう。
我に帰って、さて帰ろうとしたら、
ゴミ一つ落ちていないと思われた政庁跡の端っこに
犬の糞を発見。
小型犬のものと思われる。
ちょっと乾燥し始めていた黒っぽい2片(本?)が
現実ってそんなもんワン と言っているようであった。(^◇^;)
つづく