2016年6月 秩父の蛍旅行
秩父神社
ホテルの部屋は谷川に面していて、
↓
川のせせらぎにずっと耳を澄ませていられる幸せ♡ 贅沢な時間だ。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
窓のすぐそばの木に鳥が来てくれれば……と待っていたら、
来た! と思うと、ヒヨドリとかシジュウカラ。
それだけ。
彼らは私がカメラを構えると、あっという間に飛立ってしまうのであった。
白鷺があっという間に横切って、視界から消える。(°Д°;≡°Д°;)
向こうの茂みの方では、キョロロロロ(?)と、
もしやアカショウビンでは?と思われる声も聞こえるのだが、姿は見えず。
(私の勘違いだろうか。)
ホキョッ! と、もう鳴くのもだるいと言わんばかりのウグイス(?)の声なども聞こえるのだが、姿は見えず。
バードウォッチングならぬ、バードリスニングだ。それも仕方なし。それで十分。
耳福、耳福。
秩父線の秩父駅から徒歩で5分ほどの
秩父神社へ参拝してみた。
落ち着いた佇まい。ご社殿のお屋根がいい感じ。
天正20年(1592年)、徳川家康が「大旦那」となって、
当時の代官(成瀬吉衛門)に命じて再建させたものらしい。(=◇=;)
↓
が、神社自体は、「二千有余年の歴史を持つ関東屈指の古社」だそうで。
秩父市の中央、「柞の森に鎮座」しているのであった。(=◇=;)
「柞」って、何?
と、後日ググッたら、
「イスノキ」とも、「ハハソ(=コナラの別名)」とも読むようで。∑(-x-;)
どっちの木なのか、わからん~。┐( ̄ヘ ̄)┌
どうして別の木を同じ漢字で表わすままにしているのだろうか?
参照:
(ネットより拝借:イスノキ)
↓
(ネットより拝借:ハハソ=コナラ)
↓
社殿の周りにはカラフルな彫刻で飾られていた。
左甚五郎によると伝えられている「つなぎの龍」
↓
「その昔、夜な夜な近くの池に現れたために鎖で繋ぎ止められたという伝説」の龍らしい。( ´艸`)
本物の鎖が彫刻の龍にも!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
夜な夜な池に現れたからって、なぜに繋ぎ止められちゃったのかしら。
龍って、神様の遣いじゃないのか……?
「つなぎの龍」以外も左甚五郎によるものなのかどうか、よくわからなかったが、
どれもひとつひとつ物語性があって、面白かった。(・∀・)
子育てしている子宝の虎。「子宝・子育ての虎」。
子虎のヤンチャで甘えん坊さんな様が、可愛らしい。
↓
日光の「見ざる・言わざる・聞かざる」に対抗してか、
こちらの三猿は、「よく見て・よく聞いて・よく話す」の元気な
「お元気三猿」ですと。
↓
「北辰の梟」
↓
フクロウが見つめている真北側は「柞の森」?
その他、
大熱唱してるかのごとき、鳳凰。
↓
一角獣? 空を飛ぶ……というより、海の中を行くように見え、
背中に見えるは、羽というより甲羅に見えるのだが……?
↓
キメラのような鳥も。
↓
どの彫刻も青が印象的で、表情がしっかりあって、楽しい。
見応えのある彫刻に飾られた神社だからか、
絵馬も立体的で、そんじょそこらにある絵馬ではない!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
境内に大きな銀杏が何本かあったのだが、
なにやらコブが垂れたような銀杏が!Σ(・ω・;|||
↓
「乳銀杏」(チチイチョウ) とな!
私なら、「タラチネ銀杏」と名づけるが……。ボソ(´0ノ`*)
「銀杏は原始的な植物のためか、『乳銀杏』のほか、『お葉付き銀杏』(葉の上に種子ができる)など、変わった性情のものが表れることがあります」……とな!
珍しい銀杏の木に出会えて、満足なのであった。
しかし、この銀杏、「秩父宮両殿下」の「お手植え」のうち、
奥様が植えた方の銀杏ですと。
秩父神社はどうやら皇族の方々と関係が深いのか、
やたら宮様たちが植えた木だの、なんだのがあった。
昭和天皇の弟の秩父宮の名前に取られるほど、
秩父と天皇家との間には、どんな縁があるのやら?
――だいたい、「秩父宮雍仁(チチブノミヤヤスヒト)親王」が秩父神社の「ご祭神」として祭られている!
境内には、
「皇紀二千六百年記念」と刻まれた石柱が。( ̄□ ̄;)
↓
「皇紀二千六百年」って、1940年(昭和15年)。
日本の初代天皇である神武天皇の即位から、2600年目ってことね。
なんでこんな石柱が? と後日ググッたら、
↓
「西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年目に当たるとされたことから、
日本政府は1935年(昭和10年)に『紀元二千六百年祝典準備委員会』を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進した。
1937年(昭和12年)7月7日には官民一体の恩賜財団紀元二千六百年奉祝会(総裁・秩父宮雍仁親王、副総裁・近衛文麿、会長・徳川家達)を創設。
『神国日本』の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事は押し並べて神道色の強いものであった。」(ウィキ)
政府の仕業かっ!(当時は高橋是清が総理大臣。細川護熙のおじいちゃんね。)| 壁 |д・)
ここ秩父神社にも、お達しが来たことだろう。
でもって、この石柱が建てられたのだろう。
つまり、見方を変えれば、
この石柱は、
天皇を中心として、日本は神の国だぞ! 強いぞ! 神風が吹くぞ!ってなイメージを日本中に根付かせようとした証の柱であるのだ。
皇紀2600年……下2桁の「00」に因んで、ゼロ戦が作られた年。
さらなる戦争へと日本がズンズン進んでいっていた頃であるよね。
…………。(-"-;A
なんなんだっ。
おしまひ
秩父神社
ホテルの部屋は谷川に面していて、
↓
川のせせらぎにずっと耳を澄ませていられる幸せ♡ 贅沢な時間だ。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
窓のすぐそばの木に鳥が来てくれれば……と待っていたら、
来た! と思うと、ヒヨドリとかシジュウカラ。
それだけ。
彼らは私がカメラを構えると、あっという間に飛立ってしまうのであった。
白鷺があっという間に横切って、視界から消える。(°Д°;≡°Д°;)
向こうの茂みの方では、キョロロロロ(?)と、
もしやアカショウビンでは?と思われる声も聞こえるのだが、姿は見えず。
(私の勘違いだろうか。)
ホキョッ! と、もう鳴くのもだるいと言わんばかりのウグイス(?)の声なども聞こえるのだが、姿は見えず。
バードウォッチングならぬ、バードリスニングだ。それも仕方なし。それで十分。
耳福、耳福。
秩父線の秩父駅から徒歩で5分ほどの
秩父神社へ参拝してみた。
落ち着いた佇まい。ご社殿のお屋根がいい感じ。
天正20年(1592年)、徳川家康が「大旦那」となって、
当時の代官(成瀬吉衛門)に命じて再建させたものらしい。(=◇=;)
↓
が、神社自体は、「二千有余年の歴史を持つ関東屈指の古社」だそうで。
秩父市の中央、「柞の森に鎮座」しているのであった。(=◇=;)
「柞」って、何?
と、後日ググッたら、
「イスノキ」とも、「ハハソ(=コナラの別名)」とも読むようで。∑(-x-;)
どっちの木なのか、わからん~。┐( ̄ヘ ̄)┌
どうして別の木を同じ漢字で表わすままにしているのだろうか?
参照:
(ネットより拝借:イスノキ)
↓
(ネットより拝借:ハハソ=コナラ)
↓
社殿の周りにはカラフルな彫刻で飾られていた。
左甚五郎によると伝えられている「つなぎの龍」
↓
「その昔、夜な夜な近くの池に現れたために鎖で繋ぎ止められたという伝説」の龍らしい。( ´艸`)
本物の鎖が彫刻の龍にも!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
夜な夜な池に現れたからって、なぜに繋ぎ止められちゃったのかしら。
龍って、神様の遣いじゃないのか……?
「つなぎの龍」以外も左甚五郎によるものなのかどうか、よくわからなかったが、
どれもひとつひとつ物語性があって、面白かった。(・∀・)
子育てしている子宝の虎。「子宝・子育ての虎」。
子虎のヤンチャで甘えん坊さんな様が、可愛らしい。
↓
日光の「見ざる・言わざる・聞かざる」に対抗してか、
こちらの三猿は、「よく見て・よく聞いて・よく話す」の元気な
「お元気三猿」ですと。
↓
「北辰の梟」
↓
フクロウが見つめている真北側は「柞の森」?
その他、
大熱唱してるかのごとき、鳳凰。
↓
一角獣? 空を飛ぶ……というより、海の中を行くように見え、
背中に見えるは、羽というより甲羅に見えるのだが……?
↓
キメラのような鳥も。
↓
どの彫刻も青が印象的で、表情がしっかりあって、楽しい。
見応えのある彫刻に飾られた神社だからか、
絵馬も立体的で、そんじょそこらにある絵馬ではない!Σ(=°ω°=;ノ)ノ
↓
境内に大きな銀杏が何本かあったのだが、
なにやらコブが垂れたような銀杏が!Σ(・ω・;|||
↓
「乳銀杏」(チチイチョウ) とな!
私なら、「タラチネ銀杏」と名づけるが……。ボソ(´0ノ`*)
「銀杏は原始的な植物のためか、『乳銀杏』のほか、『お葉付き銀杏』(葉の上に種子ができる)など、変わった性情のものが表れることがあります」……とな!
珍しい銀杏の木に出会えて、満足なのであった。
しかし、この銀杏、「秩父宮両殿下」の「お手植え」のうち、
奥様が植えた方の銀杏ですと。
秩父神社はどうやら皇族の方々と関係が深いのか、
やたら宮様たちが植えた木だの、なんだのがあった。
昭和天皇の弟の秩父宮の名前に取られるほど、
秩父と天皇家との間には、どんな縁があるのやら?
――だいたい、「秩父宮雍仁(チチブノミヤヤスヒト)親王」が秩父神社の「ご祭神」として祭られている!
境内には、
「皇紀二千六百年記念」と刻まれた石柱が。( ̄□ ̄;)
↓
「皇紀二千六百年」って、1940年(昭和15年)。
日本の初代天皇である神武天皇の即位から、2600年目ってことね。
なんでこんな石柱が? と後日ググッたら、
↓
「西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年目に当たるとされたことから、
日本政府は1935年(昭和10年)に『紀元二千六百年祝典準備委員会』を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進した。
1937年(昭和12年)7月7日には官民一体の恩賜財団紀元二千六百年奉祝会(総裁・秩父宮雍仁親王、副総裁・近衛文麿、会長・徳川家達)を創設。
『神国日本』の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事は押し並べて神道色の強いものであった。」(ウィキ)
政府の仕業かっ!(当時は高橋是清が総理大臣。細川護熙のおじいちゃんね。)| 壁 |д・)
ここ秩父神社にも、お達しが来たことだろう。
でもって、この石柱が建てられたのだろう。
つまり、見方を変えれば、
この石柱は、
天皇を中心として、日本は神の国だぞ! 強いぞ! 神風が吹くぞ!ってなイメージを日本中に根付かせようとした証の柱であるのだ。
皇紀2600年……下2桁の「00」に因んで、ゼロ戦が作られた年。
さらなる戦争へと日本がズンズン進んでいっていた頃であるよね。
…………。(-"-;A
なんなんだっ。
おしまひ