2014年 花巻散策&早池峰登山&遠野散策
3遠野散策「おしらさま」
岩手3日目。早池峰登山の疲れも、二日酔いもなく、元気。
で、
帰りの新幹線の時間まで、レンタカーで遠野を周遊。ヾ(@°▽°@)ノ
学生の頃、柳田國男の『遠野物語』を読んでから、
いつか行きたいと思い続けていた遠野に、やっと……! なのであった。(ノv≦。)
(どうせなら1週間くらいは滞在したい遠野である。)
「遠野」は当て字で、
「トオ」は「湖・池・沼」、「ノ(ヌップ)」は「野・丘」の意味だとか。Σ(・ω・ノ)ノ!
盆地になっている地はかつて水を満たした湖だったらしい?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
(柳田國男の『遠野物語』の他、京極夏彦の『遠野物語拾遺retold』も面白そう。)
さて、
猿ヶ石川を渡って、遠野へ入る。
「傳承園」やら「遠野ふるさと村」を見学して、昔の家々や村の雰囲気を味わう。
レンタカーで回ったので、どこがどこだったか、記憶が曖昧なので、あしからず。
どこの萱葺き屋根の上にも、オレンジ色の花々が咲いているのであった。(山百合かな?)
どの屋根の上も同じ花だったので、きちんと植えられたということか?
↓
伝承園(多分?)で語り部さんから「おしらさま」(馬に恋した娘の話)などの遠野の昔話を聞かせていただいた。
(『遠野物語』を読んだはずなのに、全然覚えてなかったわ。)
↓
なんといっても、生きた方言でお話が聞けるのだから、ありがたい。
まったりと温かい遠野弁(?)で聞く物語は、一層味わいがあるというもの。
語り部さんもほっこりした笑顔で、しっとりと語ってくれる。
でも、
これって有料なの。
結構なお値段がした。(確か30分ほどで、5000円くらいだったか。)
で、
我々が拝聴しているとき、何も知らない他の観光客さんがやってきた。
お話の最中だったから、その人は中には上がらず、戸口に腰を下ろして拝聴しようとしたようだったが、
有料で聞いている我々のためか、語り部さんはわざわざお話を中断して
そのお客様にはお引取り願っていた。
ちょっと世知辛いなぁ……。
でも、有料にしている手前、そうやって割り切らないと、示しがつかないのかなぁ。
座敷に上がりこまなければ、端で聞いていてもいいことにしてもいいんでないかい?
あるいは、最初から、有料の話のときは、出入り口をきっちり締め切るとか、工夫したらよいんでないかぃ?
昔話って、もっと大らかに誰彼なく話して聞かせてこそ……と思うので、
そんなことがあって、
なんだか世知辛い気分になっちゃって、この後はもう、話があまり頭に入ってこなくなってしまった。o(_ _*)o
↑
「おしらさま」の人形(おしらさまのお雛様?)。
「おしらさま」の話はこちらに詳しい。
↓
参照:「遠野の曲り家とオシラサマ伝説 」
ざっくり要約すると、
貧しい家の美しい娘が、その家で飼っている馬を愛し、
とうとう夫婦になってしまったので、
父親が怒り、
その馬を木に括って生皮剥いで殺してしまったら、
悲しんだ娘は、その馬の皮を纏って天に昇ってしまったとか、
馬の首を斧で切り落として殺してしまったら、娘はその馬の首に乗って天に昇ってしまったとか、
そんなオドロオドロシイ事件の後に、
娘が夢枕に出てきて、
親不孝してごめんなさいと謝り、
家が裕福になるように
馬の顔をした虫(=蚕)をプレゼントして、
蚕の育て方から絹糸のとり方、織り方を教えたと。
「おしらさま」とは、“首だけ(あるいは皮だけ?)になった馬と娘”がそのまま“神”とされたものなのね。(=◇=;)
蚕の育て方などを教えてくれたから、「お知らせ」→「おしらさま」となったのか?
↑
敷地の奥に小さな蔵があって、「おしらさま」人形がたくさん祀られていた。
これだけ集まると、ちょっと怖ひ。(^_^;)
「おしらさま」は、いまや「蚕の神、農業の神、馬の神」(byウィキペディア)とされているようなので、
生活の安泰などを願ってのことだろうが、
こんなに「おしらさま」が集まっているということは、
みなさん、「おしらさま」が好きなんだよね?
蚕が無事に育つように、いい絹がとれるように、絹織物がいい値で売れるように、
馬が健康でよく働くように、農作物がうまく育つように……
そんな祈りを込めて奉納するのだろうが、(。-人-。)
そうしたリアル生活のことは別として、
地元の人々は、この娘の物語をどう思っているのか、
ちょっと聞いてみたいことであった。
だって、
“娘が夜な夜な厩に行って、馬と仲良く笑い合っている”とか、“人間の娘が馬と夫婦になる”って話は
突飛だけど、
ペットを人間同様、いや、人間以上に愛する人って、今もいるだろうし、
思春期の多感な少女には案外ありうることでは? と私は思うのだ。
しかし、それに対し、父の怒り方が尋常ではない。| 壁 |д・)
貧しい家であったならば、なおのこと、馬は宝であったはず。
その馬を殺しちゃうことの方が尋常ではないと思える。
ということは、
この物語の裏には、
なにか父親の腹黒い思惑(?)か、
表立っては語られぬ何かが潜んでいたのではなかろうか……
などと勘ぐるのは、私だけ?(^^ゞ
とにもかくにも、「おしらさま伝説」の地には、蚕の好物の桑畑が広がっており、
葉を青々と茂らせていた。
↓
高さ1mほどくらい。
こんな背の低い桑の木は、初めて見た。
桑って、高いものは15m、そうでなくても、数メートルほどの高い木のはず。
ここの桑畑は、観光のために植えられているだけなのだろうか。
「おしらさま」の蔵の手前には、
繭などに関する詳しい説明などが掲示されていて、絹糸ができるまでを学習することもできる。
↓
庭に咲くノウゼンカヅラの美しさが、「おしらさま」になってしまった娘の美しさを感じさせるわ。(´□`。)
↓
「早池峰神社」への道の絵が飾られていた。
どなたが描かれたのかわからなかったが、見ているだけで吸い寄せられるような気がした。
あぁ、早池峰神社が私を呼んでいる?って感じ。
早池峰神社は「伝承園からすぐですよ」と言われたのだが、
いやいや、結構遠いぞ……ということで、今回は寄れず。残念であった。(ノ_・。)
↓
長くなったので、つづく
3遠野散策「おしらさま」
岩手3日目。早池峰登山の疲れも、二日酔いもなく、元気。
で、
帰りの新幹線の時間まで、レンタカーで遠野を周遊。ヾ(@°▽°@)ノ
学生の頃、柳田國男の『遠野物語』を読んでから、
いつか行きたいと思い続けていた遠野に、やっと……! なのであった。(ノv≦。)
(どうせなら1週間くらいは滞在したい遠野である。)
「遠野」は当て字で、
「トオ」は「湖・池・沼」、「ノ(ヌップ)」は「野・丘」の意味だとか。Σ(・ω・ノ)ノ!
盆地になっている地はかつて水を満たした湖だったらしい?∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
(柳田國男の『遠野物語』の他、京極夏彦の『遠野物語拾遺retold』も面白そう。)
さて、
猿ヶ石川を渡って、遠野へ入る。
「傳承園」やら「遠野ふるさと村」を見学して、昔の家々や村の雰囲気を味わう。
レンタカーで回ったので、どこがどこだったか、記憶が曖昧なので、あしからず。
どこの萱葺き屋根の上にも、オレンジ色の花々が咲いているのであった。(山百合かな?)
どの屋根の上も同じ花だったので、きちんと植えられたということか?
↓
伝承園(多分?)で語り部さんから「おしらさま」(馬に恋した娘の話)などの遠野の昔話を聞かせていただいた。
(『遠野物語』を読んだはずなのに、全然覚えてなかったわ。)
↓
なんといっても、生きた方言でお話が聞けるのだから、ありがたい。
まったりと温かい遠野弁(?)で聞く物語は、一層味わいがあるというもの。
語り部さんもほっこりした笑顔で、しっとりと語ってくれる。
でも、
これって有料なの。
結構なお値段がした。(確か30分ほどで、5000円くらいだったか。)
で、
我々が拝聴しているとき、何も知らない他の観光客さんがやってきた。
お話の最中だったから、その人は中には上がらず、戸口に腰を下ろして拝聴しようとしたようだったが、
有料で聞いている我々のためか、語り部さんはわざわざお話を中断して
そのお客様にはお引取り願っていた。
ちょっと世知辛いなぁ……。
でも、有料にしている手前、そうやって割り切らないと、示しがつかないのかなぁ。
座敷に上がりこまなければ、端で聞いていてもいいことにしてもいいんでないかい?
あるいは、最初から、有料の話のときは、出入り口をきっちり締め切るとか、工夫したらよいんでないかぃ?
昔話って、もっと大らかに誰彼なく話して聞かせてこそ……と思うので、
そんなことがあって、
なんだか世知辛い気分になっちゃって、この後はもう、話があまり頭に入ってこなくなってしまった。o(_ _*)o
↑
「おしらさま」の人形(おしらさまのお雛様?)。
「おしらさま」の話はこちらに詳しい。
↓
参照:「遠野の曲り家とオシラサマ伝説 」
ざっくり要約すると、
貧しい家の美しい娘が、その家で飼っている馬を愛し、
とうとう夫婦になってしまったので、
父親が怒り、
その馬を木に括って生皮剥いで殺してしまったら、
悲しんだ娘は、その馬の皮を纏って天に昇ってしまったとか、
馬の首を斧で切り落として殺してしまったら、娘はその馬の首に乗って天に昇ってしまったとか、
そんなオドロオドロシイ事件の後に、
娘が夢枕に出てきて、
親不孝してごめんなさいと謝り、
家が裕福になるように
馬の顔をした虫(=蚕)をプレゼントして、
蚕の育て方から絹糸のとり方、織り方を教えたと。
「おしらさま」とは、“首だけ(あるいは皮だけ?)になった馬と娘”がそのまま“神”とされたものなのね。(=◇=;)
蚕の育て方などを教えてくれたから、「お知らせ」→「おしらさま」となったのか?
↑
敷地の奥に小さな蔵があって、「おしらさま」人形がたくさん祀られていた。
これだけ集まると、ちょっと怖ひ。(^_^;)
「おしらさま」は、いまや「蚕の神、農業の神、馬の神」(byウィキペディア)とされているようなので、
生活の安泰などを願ってのことだろうが、
こんなに「おしらさま」が集まっているということは、
みなさん、「おしらさま」が好きなんだよね?
蚕が無事に育つように、いい絹がとれるように、絹織物がいい値で売れるように、
馬が健康でよく働くように、農作物がうまく育つように……
そんな祈りを込めて奉納するのだろうが、(。-人-。)
そうしたリアル生活のことは別として、
地元の人々は、この娘の物語をどう思っているのか、
ちょっと聞いてみたいことであった。
だって、
“娘が夜な夜な厩に行って、馬と仲良く笑い合っている”とか、“人間の娘が馬と夫婦になる”って話は
突飛だけど、
ペットを人間同様、いや、人間以上に愛する人って、今もいるだろうし、
思春期の多感な少女には案外ありうることでは? と私は思うのだ。
しかし、それに対し、父の怒り方が尋常ではない。| 壁 |д・)
貧しい家であったならば、なおのこと、馬は宝であったはず。
その馬を殺しちゃうことの方が尋常ではないと思える。
ということは、
この物語の裏には、
なにか父親の腹黒い思惑(?)か、
表立っては語られぬ何かが潜んでいたのではなかろうか……
などと勘ぐるのは、私だけ?(^^ゞ
とにもかくにも、「おしらさま伝説」の地には、蚕の好物の桑畑が広がっており、
葉を青々と茂らせていた。
↓
高さ1mほどくらい。
こんな背の低い桑の木は、初めて見た。
桑って、高いものは15m、そうでなくても、数メートルほどの高い木のはず。
ここの桑畑は、観光のために植えられているだけなのだろうか。
「おしらさま」の蔵の手前には、
繭などに関する詳しい説明などが掲示されていて、絹糸ができるまでを学習することもできる。
↓
庭に咲くノウゼンカヅラの美しさが、「おしらさま」になってしまった娘の美しさを感じさせるわ。(´□`。)
↓
「早池峰神社」への道の絵が飾られていた。
どなたが描かれたのかわからなかったが、見ているだけで吸い寄せられるような気がした。
あぁ、早池峰神社が私を呼んでいる?って感じ。
早池峰神社は「伝承園からすぐですよ」と言われたのだが、
いやいや、結構遠いぞ……ということで、今回は寄れず。残念であった。(ノ_・。)
↓
長くなったので、つづく