2014年4月京都の春 2婆の旅
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
21 神泉苑(シンセンエン)でフォーリンラブ
神泉苑で雨乞いに大成功したのは空海だったが、
善女龍王も祀られ、
神泉苑は「雨乞い」をするところとして定着したらしく、
静御前も神泉苑で雨乞いの舞いを舞ったという。Σ(・ω・ノ)ノ!
で、
雨乞いの儀式で舞う静御前を、
源義経が見初めた、とさ!
Yes, falling loveの神泉苑でもあるのだった!Σ(・ω・ノ)ノ!
朱も鮮やかな法成(ホウジョウ)橋で舞う静御前の姿は
清らかな法成池の池面に映えて、
龍王だけでなく、義経の心をも揺さぶるように美しかったのかもしれない。
(ネットより拝借:静御前の画像)
(ネットより拝借:静御前画像)
で、
後日、そのことをググって調べたら、
こんなサイトに辿り着いた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
参照:「こがナビ」
なんと京都から遠く離れた古河(コガ)(茨城県古河市)のサイト。
古河が静御前の終焉の地だとされていて、
古河に静御前のお墓まであるのだった。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
で、
“静御前が神泉苑で雨乞いをした”ときのエピソードが載っていた。
↓
「光了寺は元は久喜市(旧栗橋町)にあり、
静を葬ったので、その遺品が寺宝として保存されています。
その一つが『蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣』。
後鳥羽院の寿永2年に大変な日照りに見舞われ、
高僧を招き雨乞いをしても雨が降らないので
百人の舞姫を集め次々に雨乞いの舞を舞わせ
百人目の静が踊ろうとした時、天皇が静に御衣を与え、
その御衣で舞ったところ、
たちまち大雨が降ったという。
この衣が『蛙蟆龍の舞衣』で、今も光了寺に保存されています。」
とな。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
他のサイトでも、
“多くの僧に雨乞いの祈祷させても効果なく、
多くの白拍子に雨乞いの舞いを舞わせても効果なく、
静御前が1人で舞ったら、たちまち雨が降った“
という同様の物語を伝えている。
(衣の話まで言及されているのは、古河だけだったが。)
面白いのは、空海も静御前も、
彼らが神泉苑で雨乞いすると
“たちまち雨雲が湧き、3日間雨が降り続き、みな大喜びした”
と、パターン化されているということ。
雨乞いに成功したものの、雨が止まず、
そのまま逆に水害に見舞われた……なんて話はないのね。
物語とは、首尾よくできているものだ。
異常気象が続く昨今の日本、
自然は人間のコントロールなどあっさり打ち破る。
人事を尽くしたら、神に祈るしかないのは、古今変らないね。(。-人-。)
雨乞いの祈祷も雨乞いの舞も
自然なる神に人間が願い祈りひれ伏している真摯な姿なんだろうと思う。
ゴイサギをひれ伏させて喜んでいた醍醐天皇だったが、
もともと人間こそ、自然にひれ伏すしかないんでないかしら。
おまけ:
今でも、こんな風に舞われているみたい?
↓
(……ちょっと違うかもしれない?)
つづく
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
21 神泉苑(シンセンエン)でフォーリンラブ
神泉苑で雨乞いに大成功したのは空海だったが、
善女龍王も祀られ、
神泉苑は「雨乞い」をするところとして定着したらしく、
静御前も神泉苑で雨乞いの舞いを舞ったという。Σ(・ω・ノ)ノ!
で、
雨乞いの儀式で舞う静御前を、
源義経が見初めた、とさ!
Yes, falling loveの神泉苑でもあるのだった!Σ(・ω・ノ)ノ!
朱も鮮やかな法成(ホウジョウ)橋で舞う静御前の姿は
清らかな法成池の池面に映えて、
龍王だけでなく、義経の心をも揺さぶるように美しかったのかもしれない。
(ネットより拝借:静御前の画像)
(ネットより拝借:静御前画像)
で、
後日、そのことをググって調べたら、
こんなサイトに辿り着いた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
参照:「こがナビ」
なんと京都から遠く離れた古河(コガ)(茨城県古河市)のサイト。
古河が静御前の終焉の地だとされていて、
古河に静御前のお墓まであるのだった。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
で、
“静御前が神泉苑で雨乞いをした”ときのエピソードが載っていた。
↓
「光了寺は元は久喜市(旧栗橋町)にあり、
静を葬ったので、その遺品が寺宝として保存されています。
その一つが『蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣』。
後鳥羽院の寿永2年に大変な日照りに見舞われ、
高僧を招き雨乞いをしても雨が降らないので
百人の舞姫を集め次々に雨乞いの舞を舞わせ
百人目の静が踊ろうとした時、天皇が静に御衣を与え、
その御衣で舞ったところ、
たちまち大雨が降ったという。
この衣が『蛙蟆龍の舞衣』で、今も光了寺に保存されています。」
とな。Σ(=°ω°=;ノ)ノ
他のサイトでも、
“多くの僧に雨乞いの祈祷させても効果なく、
多くの白拍子に雨乞いの舞いを舞わせても効果なく、
静御前が1人で舞ったら、たちまち雨が降った“
という同様の物語を伝えている。
(衣の話まで言及されているのは、古河だけだったが。)
面白いのは、空海も静御前も、
彼らが神泉苑で雨乞いすると
“たちまち雨雲が湧き、3日間雨が降り続き、みな大喜びした”
と、パターン化されているということ。
雨乞いに成功したものの、雨が止まず、
そのまま逆に水害に見舞われた……なんて話はないのね。
物語とは、首尾よくできているものだ。
異常気象が続く昨今の日本、
自然は人間のコントロールなどあっさり打ち破る。
人事を尽くしたら、神に祈るしかないのは、古今変らないね。(。-人-。)
雨乞いの祈祷も雨乞いの舞も
自然なる神に人間が願い祈りひれ伏している真摯な姿なんだろうと思う。
ゴイサギをひれ伏させて喜んでいた醍醐天皇だったが、
もともと人間こそ、自然にひれ伏すしかないんでないかしら。
おまけ:
今でも、こんな風に舞われているみたい?
↓
(……ちょっと違うかもしれない?)
つづく