2014年4月京都の春 2婆の旅
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
19 神泉苑(シンセンエン)の雨乞いバトル
神泉苑には善女龍王(ゼンニョリュウオウ)が祀られていて。ヽ(゚◇゚ )ノ
↑
多分、本来、この「拝殿」の奥に位置していたであろうご本殿が
倒壊の危機で大修繕工事中だったらしいのだが。
(工事の終わる時期は、不明だった。)
「天長元年(825)春の日旱りに、この池畔で
東寺の僧空海が善女龍王を祀って祈雨の法を修して
霊験があったと伝えられ、
以後当苑では名僧が競って祈雨の修法を行なうようになった。」
と。(ノ゚ο゚)ノ
それで「善女龍王」が祀られているのかー
……と一瞬納得しそうになったが、
正直なぜここで「善女龍王」なる聞き慣れない神様が出てくるのか
わからなかったので、
これも後日、調べたら、
空海さんが雨乞いして成功したという話には、
なんと、
この神泉苑で世紀の(?)雨乞いバトルがあったことがわかった!о(ж>▽<)y ☆
↓
神泉苑はどんな日照りのときでも涸れることがなく、
雨乞いの儀式が行なわれてきたという。(。-人-。)
特に説明板にちらと書いてあった
824年の
空海(弘法大師)が雨乞いは、
実は、
東寺(空海)VS西寺(守敏シュビン)の雨乞い対決として有名なお話らしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
参照:「善女龍王」
参照:「京都 神泉苑」
参照:「鎌倉手帳 京都 神泉苑」
↑
ざっくり粗筋をなぞると……(^o^;)
まず、西寺の守敏が7日間雨乞いをしたが、
ちょっと降っただけ。
成果としてはイマイチだった。
で、
ライバル空海に成功されたら困る
……ってんで、守敏は
全ての龍神を水瓶に閉じ込めてしまった。(゚_゚i)
(↑これだけでも、守敏って、すごい実力の持ち主じゃない? その力でもっと雨を降らせられそうなものだが……。ヽ(;´Д`)ノ)
守敏の仕業で、
次に空海が雨乞いを7日間しても、全然成功せず。
こりゃおかしい……と空海が法力で調べたら、
唯一、「善女龍王」だけは守敏の呪力から逃れ、
北インドの池にいるのがわかった。
そこで、空海はさらに2日間の延長を願い出て、
その善女龍王を急遽日本の神泉苑に呼び寄せ、
祀って雨乞いするや、
たちまち3日3晩日本中に雨を降らせるという大成功を収めた。
空海の大勝利!ヾ(@°▽°@)ノ
西寺の僧、守敏vs 東寺の僧、空海の対決は
空海の圧勝で終わったのであったよ。
(ネットより拝借、“善女龍王に空海が雨乞いするの図”)
つまり、
龍神にも色々いらっしゃって、(←このことも、驚き!どうやら8大龍王がいるらしい。)
この時、たまたま守敏の魔力(?)から逃れて無事だった龍神が
「善女龍王」なる神様だった、と。
だから、それ以後、神泉苑では「善女龍王」が祀られているわけだ。
このお話を知って、やっと
日ごろ聞き慣れない「善女龍王」なる神さまが祀られていることに納得がいったわ。
(ネットより拝借:「善女龍王 像 長谷川等伯 画」
日照りが続いた当時、雨乞いを命じられた僧は、
その実力が問われるところで、
僧としての評判を上げるも下げるもこの時!
……という物凄いプレッシャーがあったろう。
気象衛星も飛ばず、計測器もない時代、
僧侶の「法力」なる不思議なパワーを、平安当時の人々がどれほど信じ頼ったことだろう。
空海が雨乞いした後に、見事雨が降って、本当によかったねぇ。(-^□^-)
守敏も、一度大して成功しなかったからと言って諦めずに、
「もう少しやらせてくださいっ!」と申し出て、
あと数日頑張って雨乞いしていれば、
3日3晩雨が降ったかもしれないね?(´_`。)
この守敏対空海の雨乞いバトルのお話は、
守敏がろくな成果を上げられず、空海に負けたためか、
あるいは、
空海の足をひっぱるようなこずるいことをしてしまう守敏の性格のためか、
その後、西寺は廃れ、東寺は現在まで栄えている……との“落ち”までついていた。Σ(・ω・ノ)ノ!
(ネットより拝借 守敏僧都)
(ネットより拝借 空海)
注:守敏を「西寺」の僧とする説と、「奈良の山階寺(興福寺)」の僧とする説と存在した。
ここでは、東西対決がすっきりするので、「西寺」説を採った。(^^ゞ
神泉苑にはドラマが詰まっているのね~。
つづく
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
19 神泉苑(シンセンエン)の雨乞いバトル
神泉苑には善女龍王(ゼンニョリュウオウ)が祀られていて。ヽ(゚◇゚ )ノ
↑
多分、本来、この「拝殿」の奥に位置していたであろうご本殿が
倒壊の危機で大修繕工事中だったらしいのだが。
(工事の終わる時期は、不明だった。)
「天長元年(825)春の日旱りに、この池畔で
東寺の僧空海が善女龍王を祀って祈雨の法を修して
霊験があったと伝えられ、
以後当苑では名僧が競って祈雨の修法を行なうようになった。」
と。(ノ゚ο゚)ノ
それで「善女龍王」が祀られているのかー
……と一瞬納得しそうになったが、
正直なぜここで「善女龍王」なる聞き慣れない神様が出てくるのか
わからなかったので、
これも後日、調べたら、
空海さんが雨乞いして成功したという話には、
なんと、
この神泉苑で世紀の(?)雨乞いバトルがあったことがわかった!о(ж>▽<)y ☆
↓
神泉苑はどんな日照りのときでも涸れることがなく、
雨乞いの儀式が行なわれてきたという。(。-人-。)
特に説明板にちらと書いてあった
824年の
空海(弘法大師)が雨乞いは、
実は、
東寺(空海)VS西寺(守敏シュビン)の雨乞い対決として有名なお話らしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
参照:「善女龍王」
参照:「京都 神泉苑」
参照:「鎌倉手帳 京都 神泉苑」
↑
ざっくり粗筋をなぞると……(^o^;)
まず、西寺の守敏が7日間雨乞いをしたが、
ちょっと降っただけ。
成果としてはイマイチだった。
で、
ライバル空海に成功されたら困る
……ってんで、守敏は
全ての龍神を水瓶に閉じ込めてしまった。(゚_゚i)
(↑これだけでも、守敏って、すごい実力の持ち主じゃない? その力でもっと雨を降らせられそうなものだが……。ヽ(;´Д`)ノ)
守敏の仕業で、
次に空海が雨乞いを7日間しても、全然成功せず。
こりゃおかしい……と空海が法力で調べたら、
唯一、「善女龍王」だけは守敏の呪力から逃れ、
北インドの池にいるのがわかった。
そこで、空海はさらに2日間の延長を願い出て、
その善女龍王を急遽日本の神泉苑に呼び寄せ、
祀って雨乞いするや、
たちまち3日3晩日本中に雨を降らせるという大成功を収めた。
空海の大勝利!ヾ(@°▽°@)ノ
西寺の僧、守敏vs 東寺の僧、空海の対決は
空海の圧勝で終わったのであったよ。
(ネットより拝借、“善女龍王に空海が雨乞いするの図”)
つまり、
龍神にも色々いらっしゃって、(←このことも、驚き!どうやら8大龍王がいるらしい。)
この時、たまたま守敏の魔力(?)から逃れて無事だった龍神が
「善女龍王」なる神様だった、と。
だから、それ以後、神泉苑では「善女龍王」が祀られているわけだ。
このお話を知って、やっと
日ごろ聞き慣れない「善女龍王」なる神さまが祀られていることに納得がいったわ。
(ネットより拝借:「善女龍王 像 長谷川等伯 画」
日照りが続いた当時、雨乞いを命じられた僧は、
その実力が問われるところで、
僧としての評判を上げるも下げるもこの時!
……という物凄いプレッシャーがあったろう。
気象衛星も飛ばず、計測器もない時代、
僧侶の「法力」なる不思議なパワーを、平安当時の人々がどれほど信じ頼ったことだろう。
空海が雨乞いした後に、見事雨が降って、本当によかったねぇ。(-^□^-)
守敏も、一度大して成功しなかったからと言って諦めずに、
「もう少しやらせてくださいっ!」と申し出て、
あと数日頑張って雨乞いしていれば、
3日3晩雨が降ったかもしれないね?(´_`。)
この守敏対空海の雨乞いバトルのお話は、
守敏がろくな成果を上げられず、空海に負けたためか、
あるいは、
空海の足をひっぱるようなこずるいことをしてしまう守敏の性格のためか、
その後、西寺は廃れ、東寺は現在まで栄えている……との“落ち”までついていた。Σ(・ω・ノ)ノ!
(ネットより拝借 守敏僧都)
(ネットより拝借 空海)
注:守敏を「西寺」の僧とする説と、「奈良の山階寺(興福寺)」の僧とする説と存在した。
ここでは、東西対決がすっきりするので、「西寺」説を採った。(^^ゞ
神泉苑にはドラマが詰まっているのね~。
つづく