2014年4月京都の春 2婆の旅

2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。


17 神泉苑(シンセンエン)歴史は満タン、水はカラカラ


二条城の南側に、ダウン
二条城のお濠に沿った押小路通
さらに1本南へ下る(?)と御池通
東西に平行に走っている。

その押小路通と御池通 に挟まれた一画に、
神泉苑はあった。

神泉苑
(↑ 御池通から見た神泉苑)

延暦13年(794)、桓武天皇が平安京の造営に当たり、
大内裏(ダイダイリ)の南の沼沢を開いて設けられた苑池で、
常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられた
。」

とな。(=◇=;)


訪れたときは説明板の文意がよくわからなかったが、あせる


後日、「平安神宮」について調べたとき、
平安京が作られた当時、実際に宮殿(大内裏)がどこにあったか
わかった(=多分、現在の二条城のやや北へ行った辺り)
今なら、納得である。チョキ


昔は相当な広さだったらしく、
歴代の天皇や貴族が、舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や遊宴を行ったといわれている。


つまり、

現二条城のすぐ南側の一画は、
平安京制定当時の平安神宮の広大な敷地の中の、
南側に作られた
常に清泉湧きいずる、
天皇一族とセレブリティのための“ウォーターパーク(?)”だったのだ。キラキラ
平安時代当初から池だった「禁苑」!(=◇=;)


それにしては、 なにか、様子が、変……。むっ

干からび1


水が全部干上がってしまっていますが?ヽ((◎д◎ ))ゝ
本当ならここ全部、清らかな水を湛えた池なのでは?あせる


工事中

あちゃー! ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
あからさまに「工事中」なり!


地盤の陥没著しく、本殿が倒壊の危機ゆえ、
大規模工事中らしい。叫び
さすが、1200年以上、あたり一面池だっただけはある!
地盤が緩いのねー。((゚m゚;)


底見え

それにしても、
底が見え見えですが、あせる
もともとこんなに浅い池なんでしょうか?はてなマーク


10人くらいは乗れそうな龍のお舟もありますが、
こんな大きな舟が漕ぎ進むことができるくらい深い池なのでしょうか?

龍の舟


干上がって工事中の神泉苑は
残念な風景だったが、汗
池に水が満たされた本来の姿は、
周りを木々や花々に囲まれて、
広々した池が陽を受けて輝き、キラキラ
そぞ美しかろう。




干上がった池の奥の方の一角は、仕切られて、池の水が保たれていた。
鯉やら亀やらがそこに避難させられていた。

亀

あひる・こいのエサ 1ケース100円

エサマシーン

……って。家鴨も普段なら、いるの?Σ(・ω・ノ)ノ!
この時は、見当たらなかった。(´_`。)


このエサマシーンには注意書きがあり、

僕たちはたべられません」と。Σ(・ω・ノ)ノ!

“池にいる「あひる・こい」を食べるな!”ということか?はてなマーク
あるいは、
“エサは、人間の食用ではない”、ということか?はてなマーク

          つづく