2014年4月京都の春 2婆の旅
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
8 六盛(ロクセイ)と六勝寺
お昼は姉お薦めの、
平安神宮のすぐそばの六盛(ロクセイ)なる食事処へ。
途中、郵便ポストが
「ペンキ塗りたて 注意」と。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
「ペンキ塗りたて 注意」……って、昔は結構あった気がするけれど、
最近はとんとお目にかかったことがなかったわ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ペンキ塗りたてのベンチに座っちゃって……なんて笑い話は
遠い昔になっていたけれど、
京都では、こんなものさえ、息づいているのかと、感心。о(ж>▽<)y ☆
それにしても、いつのまに「ペンキ塗りたて」を見かけなくなったのかしら?
どして?
最近はペンキを塗ることが少なくなったのかしら?
六盛は、なにやら見るからに格式が高そうであったが、
予約なしでも15分ほど待って、席に着けた。
お客さんは沢山入っていたけれど、テーブルの間隔がたっぷり取られていて、
ゆったりと静かにお食事できる。
贅沢な食事処。
「木桶に四季の京料理を盛り込んだ『手をけ弁当』が有名」
ということで、「手をけ弁当」にしてみた。
↓
京料理はきれいどすなぁ~。
鶏肉が特においしゅうございました。
飾られていた青々とした葉っぱ(食べられない)も可愛くて、
名前を聞いたけど、もう忘れちゃった。
で、
後日ググッたら、
こうしたお料理に添える葉っぱなどのことを
「カイシキ(植物の場合=青掻敷(青かいしき)」
っていうのだと知った。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「季節の料理に添える“かいしき”の表現」
日本料理の素晴らしいところよねー。^^
で、
ついでに「六盛」についてググッたら、
↓
「器につかう木桶、実は人間国宝・中川清嗣氏がひとつひとつ丹精を込めて作り上げる貴重な京の逸品です。材料である木曽さわらは、数年寝かしたのち安定した木材のみ厳選し使用しております。完成までに長い時間をかけ手間を惜しまず作り上げる伝統工芸品とともに四季の京料理をお楽しみください。」
って。
人間国宝が作った桶!?Σ(~∀~||;)
そんなご大層な桶を使って食べていたのかと、びっくり。
天麩羅もちょっぴり頼んでみたら、
「桜塩」が添えてあって、桜色できれいだった。
(でも、天麩羅は関東人の我々には、イマイチだった。)
↓
人間国宝の桶で食べていたことなど気づかないまま食事を終えたのだが、(/ω\)
お店のエントランスホールには、瓦なんぞが展示してあって、Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
なぜにお食事処で古ぼけた瓦の展示なのかというと、
このお店の土地から、瓦がざっくざく出土したというのだった。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
平安神宮辺りに、昔「勝」の付くお寺が6つあって、
それらを総称して「六勝寺」というのだそうで。(=◇=;)
それらは戦乱やら火事やらで消滅してしまったらしいのだが、
それらのお寺の瓦が、一箇所にまとめて埋められ(捨てられ?)たらしい。
その上に建ったのが、六盛だったわけだ。(=◇=;)
我々は、知らず知らず、
歴史の上に立っているんだね~と思わせる古都であることよ。
お腹いっぱいになって南禅寺方面へ散歩。
平安神宮の周りにたっぷりと琵琶湖疎水が流れている。
↓
この水は南禅寺の水道からずっと続いているのね?
疎水にそって、
「六勝寺」のひとつ、「延勝寺」跡もあった。
↓
延勝寺があった頃は、ここにこんな大きな疎水が引かれるとは
想像もしなかったことだろう。(^_^;)
疎水を、小船で楽しむこともできるようだ。
↓
再び平安神宮の鳥居を眺める。
↓
昔(明治以前)は、この辺りには、この朱色の鳥居も平安神宮もなく、
院政華やかなりし(?)11~12世紀ごろは、
6つのお寺が繁栄を極めていたのねー。
戦乱がなかったら、今も続いていたかもしれないのにねー。(/_;)/~~
しかし、もはや取り戻せない過去にしがみついていない京都。
↓
六勝寺よりも、今は
琵琶湖疏水を引いたその功績を讃える。
題して、「巨大な輝き」!
水門を開ける男と、水門からキラキラあふれ出る琵琶湖疏水を現しているらしい。
疎水隧道を作り上げたパワーと、琵琶湖からの恵みに対する感謝のオブジェ。(。-人-。)
琵琶湖疏水の水門は、京都にとって、近代への門でもあったに違いない。
そして、今も、京都を潤し続けているんだねー。
つづく
2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。
8 六盛(ロクセイ)と六勝寺
お昼は姉お薦めの、
平安神宮のすぐそばの六盛(ロクセイ)なる食事処へ。
途中、郵便ポストが
「ペンキ塗りたて 注意」と。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
「ペンキ塗りたて 注意」……って、昔は結構あった気がするけれど、
最近はとんとお目にかかったことがなかったわ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ペンキ塗りたてのベンチに座っちゃって……なんて笑い話は
遠い昔になっていたけれど、
京都では、こんなものさえ、息づいているのかと、感心。о(ж>▽<)y ☆
それにしても、いつのまに「ペンキ塗りたて」を見かけなくなったのかしら?
どして?
最近はペンキを塗ることが少なくなったのかしら?
六盛は、なにやら見るからに格式が高そうであったが、
予約なしでも15分ほど待って、席に着けた。
お客さんは沢山入っていたけれど、テーブルの間隔がたっぷり取られていて、
ゆったりと静かにお食事できる。
贅沢な食事処。
「木桶に四季の京料理を盛り込んだ『手をけ弁当』が有名」
ということで、「手をけ弁当」にしてみた。
↓
京料理はきれいどすなぁ~。
鶏肉が特においしゅうございました。
飾られていた青々とした葉っぱ(食べられない)も可愛くて、
名前を聞いたけど、もう忘れちゃった。
で、
後日ググッたら、
こうしたお料理に添える葉っぱなどのことを
「カイシキ(植物の場合=青掻敷(青かいしき)」
っていうのだと知った。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「季節の料理に添える“かいしき”の表現」
日本料理の素晴らしいところよねー。^^
で、
ついでに「六盛」についてググッたら、
↓
「器につかう木桶、実は人間国宝・中川清嗣氏がひとつひとつ丹精を込めて作り上げる貴重な京の逸品です。材料である木曽さわらは、数年寝かしたのち安定した木材のみ厳選し使用しております。完成までに長い時間をかけ手間を惜しまず作り上げる伝統工芸品とともに四季の京料理をお楽しみください。」
って。
人間国宝が作った桶!?Σ(~∀~||;)
そんなご大層な桶を使って食べていたのかと、びっくり。
天麩羅もちょっぴり頼んでみたら、
「桜塩」が添えてあって、桜色できれいだった。
(でも、天麩羅は関東人の我々には、イマイチだった。)
↓
人間国宝の桶で食べていたことなど気づかないまま食事を終えたのだが、(/ω\)
お店のエントランスホールには、瓦なんぞが展示してあって、Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
なぜにお食事処で古ぼけた瓦の展示なのかというと、
このお店の土地から、瓦がざっくざく出土したというのだった。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
平安神宮辺りに、昔「勝」の付くお寺が6つあって、
それらを総称して「六勝寺」というのだそうで。(=◇=;)
それらは戦乱やら火事やらで消滅してしまったらしいのだが、
それらのお寺の瓦が、一箇所にまとめて埋められ(捨てられ?)たらしい。
その上に建ったのが、六盛だったわけだ。(=◇=;)
我々は、知らず知らず、
歴史の上に立っているんだね~と思わせる古都であることよ。
お腹いっぱいになって南禅寺方面へ散歩。
平安神宮の周りにたっぷりと琵琶湖疎水が流れている。
↓
この水は南禅寺の水道からずっと続いているのね?
疎水にそって、
「六勝寺」のひとつ、「延勝寺」跡もあった。
↓
延勝寺があった頃は、ここにこんな大きな疎水が引かれるとは
想像もしなかったことだろう。(^_^;)
疎水を、小船で楽しむこともできるようだ。
↓
再び平安神宮の鳥居を眺める。
↓
昔(明治以前)は、この辺りには、この朱色の鳥居も平安神宮もなく、
院政華やかなりし(?)11~12世紀ごろは、
6つのお寺が繁栄を極めていたのねー。
戦乱がなかったら、今も続いていたかもしれないのにねー。(/_;)/~~
しかし、もはや取り戻せない過去にしがみついていない京都。
↓
六勝寺よりも、今は
琵琶湖疏水を引いたその功績を讃える。
題して、「巨大な輝き」!
水門を開ける男と、水門からキラキラあふれ出る琵琶湖疏水を現しているらしい。
疎水隧道を作り上げたパワーと、琵琶湖からの恵みに対する感謝のオブジェ。(。-人-。)
琵琶湖疏水の水門は、京都にとって、近代への門でもあったに違いない。
そして、今も、京都を潤し続けているんだねー。
つづく