2011年広島・宮島旅行10 杓子定規でない杓子
さて、宮島と言ったら、杓子(杓文字)である。
「宮島の名物」というけれど、
なぜに杓文字? と、とても謎だった。
で、
宮島歴史民俗資料館を覗いてみた。
ここなら答えが見つかるはずだ!
↓
で、あっさり、答えが見つかった。о(ж>▽<)y ☆
(実は、私はぼんやり見過ごしてしまったのだが、友達が教えてくれたので、引き返して読んできたのであった。)
(以下引用)
寛政の頃(1789~1800)光明院(*coco注:厳島神社より、やや島の奥へ入った辺りにある寺院)の修行僧誓真(セイシン)によって作られ、島民に教えたのが初めです、
形は琵琶のかたちから取られ、材質は朴等(木の目なりに割って)を使うために飯に香がうつらず、杓子に米粒が付着せず、またあつい飯にもまがらない特徴をもっています、
各地で好評を呼んだのは日清戦争の時、全国から召集された兵隊が広島の宇品港から出征するのに敵をメシとるとばかり杓子に自分の名前を書いて厳島神社に奉納し、そして勝利の記念に故郷へのみやげに持ち帰ったのがはじまりです、
これがならわしになって、現在では商売繁盛を祈り、家内安全を願い、選挙にスポーツ等に勝をかけて奉納されたり家に持ち帰ったりされます、(後略) (以上、引用)
日常生活に使われる小さな道具でも、革新的な進歩を遂げることがある。
それは小さな進歩でも、生活が画期的に楽しくなるだろう。
米粒がべたべた張り付く杓文字は、見苦しい。
よそいにくい。
よそい終わった後、杓文字をどこに置いたらいいの?状態になる。
時には、杓文字に齧りついて、張り付いた米粒を歯でこそげ落とす……なんてことにもなりかねない。
鼻の頭にまで米粒が張り付くなんてことになりかねない。(んなのは、私だけ?)
しかし、
普通の木の杓子でも、しっかり湿らせてから使えば、相当“米粒の張り付き”は防げる。
宮島の杓子はそうした杓子以上に米粒が付かないのだろうか?
それほど、“魔法の杓子”なのだろうか?
(宮島の杓子を売る土産物店は多かったが、どこも“実演”をしていなかったので、未確認なり。( ̄* ̄ ))
それにしても、米粒が付かない“すっきり杓子”、それは素敵だ!
そんな売り文句を耳にしたら、フッ素樹脂加工の杓文字もない昔の人は、是非欲しいと思っただろう。
(私も現在、米粒の張り付かないフッ素樹脂加工の杓文字を使っている。
しかし、一応水で湿らせてから使うが、それでも米が多少張り付くときがある。杓文字に米粒が付かないということは、いまだになかなか至難の業なのである。)
誓真さんが“新杓子”を作る以前は、日本では(宮島では?)どんな杓子を使っていたのだろう?
「杓子」は「飯や汁を掬う道具」だが、
「杓子定規」という言い回しをチェックすると、
次なる説明を見つけた。
↓
「杓子」の柄は、古くはたいてい曲がっていました。
その曲がっている柄を「定規」代わりに使うということで、
誤った基準でものをはかろうとすることをいい、
転じて、融通のきかないやり方や態度をいうようになりました。
「杓子定規」って、曲がった柄を定規に使うことからきていたんですね。
参照:「言葉拾い」
杓子の柄は曲がっているものだった!?Σ(・ω・ノ)ノ!
現代の杓子は木製でも加工技術の発達ゆえ(?)、
柄が曲がるなんてことはないが、
昔は、使用しているうちに自然と反り返ったりして柄が曲がったのか?
だとしたら、
朴の木等の使用により、“曲がらない柄の杓子”を作り出したということなら、
画期的だ!
宮島では「杓子定規」なんて言葉は使えないね。(o^-')b
「朴(ホオ)」の木は「香がうつらない」?
朴と言ったら、
おにぎりを包んだりする大きな葉っぱ、
炭火を使って、朴葉の上で薬味や味噌を焼いた香ばしい「朴葉味噌」
などが思い浮かぶ。(⌒¬⌒*)
朴の葉のかすかな香りが食材に移って、余計美味しくなるのかと思っていた。
しかし、
木は香がうつらない?
材質は「軟らかく均質」なので、
現在も下駄の歯や家具の引き出しを作る材料になっているらしい。
つまり、
朴の木は
杓子などに細工しやすく、しかも変形しにくく、ニオイを移すこともない、
食事道具としてはスグレモノの材質ということだね。ほほお!
参照:朴の木(ホオノキ)
つまり、
それ以前の杓子は、米粒が張り付き、柄が曲がり、ニオイを移してしまうような……
ちょっとアンニュイな杓子だった……ということか。(=◇=;)
↑
「宮島杓子の祖」、誓真さん。
手に持つのはやはり柄のまっすぐ伸びた杓子であるね。( ´艸`)
臭いも移らず、米粒も張り付かない、使い勝手のよい新時代の杓子!
琵琶を模した優美なシェイプ。
曲がらず、定規にもなります!(イイスギ?)
杓子は宮島に限る!
こうして、宮島杓子は“ブランド”となったのであろう。(チガウカ?)
これに、「敵をメシとる」なんて駄洒落も加われば、鬼に金棒である。
猫も杓子も宮島杓子!である。
↑
「しゃもじ御輿(ミコシ)」まで作られちゃった!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
杓文字を担ぎ出して、祭り復興を狙ったものらしい。
「総けやき材による優美な御輿」……って、
やはり、宮島の方々は、この杓文字シェイプに「優美」を感じているのだわ。(^o^;)
それにしても、「寛政の頃(1789~1800)」、
フランスでは市民が立ち上がってフランス革命を起こしていた頃、
日本では、杓子の改革(?)が起こっていたとは……。Σ(~∀~||;)
さて、宮島と言ったら、杓子(杓文字)である。
「宮島の名物」というけれど、
なぜに杓文字? と、とても謎だった。
で、
宮島歴史民俗資料館を覗いてみた。
ここなら答えが見つかるはずだ!
↓
で、あっさり、答えが見つかった。о(ж>▽<)y ☆
(実は、私はぼんやり見過ごしてしまったのだが、友達が教えてくれたので、引き返して読んできたのであった。)
(以下引用)
寛政の頃(1789~1800)光明院(*coco注:厳島神社より、やや島の奥へ入った辺りにある寺院)の修行僧誓真(セイシン)によって作られ、島民に教えたのが初めです、
形は琵琶のかたちから取られ、材質は朴等(木の目なりに割って)を使うために飯に香がうつらず、杓子に米粒が付着せず、またあつい飯にもまがらない特徴をもっています、
各地で好評を呼んだのは日清戦争の時、全国から召集された兵隊が広島の宇品港から出征するのに敵をメシとるとばかり杓子に自分の名前を書いて厳島神社に奉納し、そして勝利の記念に故郷へのみやげに持ち帰ったのがはじまりです、
これがならわしになって、現在では商売繁盛を祈り、家内安全を願い、選挙にスポーツ等に勝をかけて奉納されたり家に持ち帰ったりされます、(後略) (以上、引用)
日常生活に使われる小さな道具でも、革新的な進歩を遂げることがある。
それは小さな進歩でも、生活が画期的に楽しくなるだろう。
米粒がべたべた張り付く杓文字は、見苦しい。
よそいにくい。
よそい終わった後、杓文字をどこに置いたらいいの?状態になる。
時には、杓文字に齧りついて、張り付いた米粒を歯でこそげ落とす……なんてことにもなりかねない。
鼻の頭にまで米粒が張り付くなんてことになりかねない。(んなのは、私だけ?)
しかし、
普通の木の杓子でも、しっかり湿らせてから使えば、相当“米粒の張り付き”は防げる。
宮島の杓子はそうした杓子以上に米粒が付かないのだろうか?
それほど、“魔法の杓子”なのだろうか?
(宮島の杓子を売る土産物店は多かったが、どこも“実演”をしていなかったので、未確認なり。( ̄* ̄ ))
それにしても、米粒が付かない“すっきり杓子”、それは素敵だ!
そんな売り文句を耳にしたら、フッ素樹脂加工の杓文字もない昔の人は、是非欲しいと思っただろう。
(私も現在、米粒の張り付かないフッ素樹脂加工の杓文字を使っている。
しかし、一応水で湿らせてから使うが、それでも米が多少張り付くときがある。杓文字に米粒が付かないということは、いまだになかなか至難の業なのである。)
誓真さんが“新杓子”を作る以前は、日本では(宮島では?)どんな杓子を使っていたのだろう?
「杓子」は「飯や汁を掬う道具」だが、
「杓子定規」という言い回しをチェックすると、
次なる説明を見つけた。
↓
「杓子」の柄は、古くはたいてい曲がっていました。
その曲がっている柄を「定規」代わりに使うということで、
誤った基準でものをはかろうとすることをいい、
転じて、融通のきかないやり方や態度をいうようになりました。
「杓子定規」って、曲がった柄を定規に使うことからきていたんですね。
参照:「言葉拾い」
杓子の柄は曲がっているものだった!?Σ(・ω・ノ)ノ!
現代の杓子は木製でも加工技術の発達ゆえ(?)、
柄が曲がるなんてことはないが、
昔は、使用しているうちに自然と反り返ったりして柄が曲がったのか?
だとしたら、
朴の木等の使用により、“曲がらない柄の杓子”を作り出したということなら、
画期的だ!
宮島では「杓子定規」なんて言葉は使えないね。(o^-')b
「朴(ホオ)」の木は「香がうつらない」?
朴と言ったら、
おにぎりを包んだりする大きな葉っぱ、
炭火を使って、朴葉の上で薬味や味噌を焼いた香ばしい「朴葉味噌」
などが思い浮かぶ。(⌒¬⌒*)
朴の葉のかすかな香りが食材に移って、余計美味しくなるのかと思っていた。
しかし、
木は香がうつらない?
材質は「軟らかく均質」なので、
現在も下駄の歯や家具の引き出しを作る材料になっているらしい。
つまり、
朴の木は
杓子などに細工しやすく、しかも変形しにくく、ニオイを移すこともない、
食事道具としてはスグレモノの材質ということだね。ほほお!
参照:朴の木(ホオノキ)
つまり、
それ以前の杓子は、米粒が張り付き、柄が曲がり、ニオイを移してしまうような……
ちょっとアンニュイな杓子だった……ということか。(=◇=;)
↑
「宮島杓子の祖」、誓真さん。
手に持つのはやはり柄のまっすぐ伸びた杓子であるね。( ´艸`)
臭いも移らず、米粒も張り付かない、使い勝手のよい新時代の杓子!
琵琶を模した優美なシェイプ。
曲がらず、定規にもなります!(イイスギ?)
杓子は宮島に限る!
こうして、宮島杓子は“ブランド”となったのであろう。(チガウカ?)
これに、「敵をメシとる」なんて駄洒落も加われば、鬼に金棒である。
猫も杓子も宮島杓子!である。
↑
「しゃもじ御輿(ミコシ)」まで作られちゃった!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
杓文字を担ぎ出して、祭り復興を狙ったものらしい。
「総けやき材による優美な御輿」……って、
やはり、宮島の方々は、この杓文字シェイプに「優美」を感じているのだわ。(^o^;)
それにしても、「寛政の頃(1789~1800)」、
フランスでは市民が立ち上がってフランス革命を起こしていた頃、
日本では、杓子の改革(?)が起こっていたとは……。Σ(~∀~||;)