2011年広島・宮島旅行9 生も死も穢れの厳島

もうね、まとめようという気力さえない、
ダラダラ日記なり。
適当にスルーしてくださいね。オバケ




宮島(厳島)には観光スポットが多く、水族館まである。うお座
厳島神社よりも創建は古いという「大元神社(オオモトジンジャ)」。(=◇=;)
“神道”の島かと思いきや、やはり寺院もある。
五重塔もある。
自然の遊歩道も何種類もあり、
天然記念物弥山(ミセン)原始林」には“パワースポット”もあるらしい。チョキ
1日だけではとても味わい尽くせない。あせる

参照:宮島観光協会




厳島神社以外は特にお目当てもなく歩いたので、
漫然と目に付いたところに寄ってみた。走る人


夫婦世界旅行-妻編-厳島神社遠景


夫婦世界旅行-妻編-五重の塔
(五重塔)


厳島神社のすぐ脇の丘には、五重の塔千畳閣
この丘は古戦場でもあるらしい。




夫婦世界旅行-妻編-陶氏の古戦場


毛利元就(モウリモトナリ)が陶晴賢を襲撃した厳島合戦の古戦場である。
弘治元年(1555)9月21日晴賢は大軍を率いて上陸し、ここに本陣を構え、毛利方の宮尾城を攻撃した
。(後略)」


杓文字型の看板(?)が、さすが宮島!である。( ´艸`)
小高い丘からの眺めは普通に現代の住宅が広がり、
丘の上は千畳閣と五重塔くらいしかなく、
この丘と「古戦場」という言葉がどうも噛みあわない。
(島の東側の山の中、博打尾(バクチオ)なるところに、
毛利軍の古戦場」があるらしい。
戦は神々の島だろうがどこだろうが、繰り広げられるものなのね。血
よく厳島神社が戦禍を受けなかったものだ。汗(受けたのかしら?汗


豊臣秀吉が建立を命じた千畳閣
秀吉が途中で逝去したので、未完の建物であるらしい。

夫婦世界旅行-妻編-千畳閣(豊国神社)

「千畳」というだけあって、本当に畳1000枚敷き詰められるのかも?
しかし、秀吉はなぜにこの宮島に、この千畳閣の建立を命じたのかしら?(「戦死者の供養のため」ということになっているみたいだけど。)
中国地方に自分の権力を誇示するためでないかい?

(現在、千畳閣の正式名称は「豊国神社」。明治時代に豊臣秀吉と加藤清正が祀られたらしい。建立を命じた人が、そこの「神さま」になっちゃってる。)




丘の途中には、「龍髯(リュウゼン)の松」。

夫婦世界旅行-妻編-龍髯の松

樹齢210年。キラキラ
その樹齢も大したものだが、何が凄いって、
1本の松の枝の長さである!

夫婦世界旅行-妻編-髯~~~~

ずずずい~っと横に長く伸びた枝!
(もっと俯瞰して撮ればよかった!)
なぜに「龍の髯」と名づけたのか、不明だが、
その長さには一驚である。(=◇=;)





1本の松の木なのに、こんなに枝分かれ(幹分かれ?)している松などもある。

夫婦世界旅行-妻編-蛸松?


ところどころに、
枯れ果てた巨木の幹が展示?されている。

夫婦世界旅行-妻編-巨木展示

皇族の誰が手植えの松だとか何だとか……。サーチ
1本の木でも、“誰が手植えしたか”で
いきなり価値が出るのであるぞ。汗



「おお!杓子!?」 っと見るものは皆叫ぶ(ウソ)にひひ
「大杓子(0shakushi」。

夫婦世界旅行-妻編-大杓子


杓子としては、たまげる一品だが、
商店街の道端に柵を設けて展示してあって、
「貴重なもの」感、ゼロ。0
よくぞ作った……とも思うが、
こんなに大きな杓子を何のために作ったのか……。
いくら杓子発祥の地といえども……と思うのは私だけかもしれない。
これを作るために、相当な樹齢の木を使ったはずだよね?


後記:
後日、調べたら、樹齢270年のケヤキの木で作られたらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ モッタイナイ!
長さ7.7m、最大幅2.7m、重さ2.5t







夫婦世界旅行-妻編-大願寺

大願寺(ダイガンジ)

ここら辺を歩いているときには、
前夜の睡眠不足が効いてか、疲れもピークで、あせる
何がどーでもいい感じで、つらつら歩いていた。
と、その時、
数人の小さなグループを率いるガイドさんの口上が聞こえてきた。耳

この島には、“ないもの”が4つ、あります。1つはお墓! それから、信号機! コンビニ!……」と。耳


なんと! 墓がない?Σ(・ω・ノ)ノ!
寺はあるのに墓はない?
ということは、火葬場もないということだよね?メラメラ

そーいう話がとっても気になる!!!о(ж>▽<)y ☆ラブラブ

が、ご一行におもむろに近寄っていくのも憚れ、(^_^;)
耳を必死でダンボにしてみたものの、耳
最近は耳も遠くなってのぉ……聞こえなんだ。すまんのう
「4つ」のうちのあと1つは何なのか? 
あぁ、気になる。ヽ(;´Д`)ノ



後記:

墓がないということを後日調べてみた。

「桃源児の桃源日乗」


ウィキペディア「厳島」

あじさいケガレの忌避

島全体が神域(御神体)とされたため、血や死といったケガレの忌避は顕著であった。

•島に死人が出ると、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬る(房顕覚書)。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかった。「~の向こう」と言うと「あの世」を連想するため、「~の前」と言い換えていた。この風習は第二次世界大戦頃までは続いていた。棺桶

•島には墓地も墓も築いてはならない。現在でも1基もない。お墓

•島の女性に出産が近づくと、対岸に渡って出産後、100日を経て島に戻るしきたりであった。「婦人、児を産まば、即時に、子母とも舟に乗せて、地の方に渡す。血忌、百日終わりて後、島に帰る。血の忌まれ甚だしき故なり。」(房顕覚書) 厳島神社の外宮を地御前神社(廿日市市地御前)というように、「地の方」とは対岸の本州を指す。産


•女性は生理の時期には、町衆が設けた小屋に隔離されて過ごした。「『あせ山』とて東町・西町の上の山にあり。各々茅屋数戸を設けたり。「あせ山」は血山なるべし。島内婦人月経の時、その間己が家を出て此処に避け居たりし。」(房顕覚書)生理



あじさい耕作・機織りの禁止

鉄の農具を土に立てることを忌み、耕作は禁じられた。また、「女神の御神体内」であることから、古来より女性の仕事の象徴とされた機織りや布さらしも禁忌とされていた(山の神を参照)。「絶えて五穀を作らず、布織り布さらす事を禁ず」(房顕覚書)。
特に耕作が禁じられていることはよく知られ、島に生活する人のために対岸から行商人が船を出す光景は第二次世界大戦後まで続いた。廿日市(二十日の市)は鎌倉時代、厳島のために立った市場から発展した町である。

                         (以上、ウィキペディアより引用)




宮島(厳島)って、かなり独特な風習があったのだ!Σ(~∀~||;)
「生」も「死」も許さない地……。
そう考えると、
ちょっと怖くさえある。ガーン

それにしても、
女神の御神体内」という意識が、
なぜ、女の生理を「穢れ」としたり女性の仕事を禁忌としたりする意識と結びつくのか、
私にはよく理解できない。┐( ̄ヘ ̄)┌


「島」という独特な自然環境が、そうした風習、慣習を作り上げていったのかもしれない?ひらめき電球
(あるいは、代々厳島の神官、佐伯氏の主観が相当働いていたりして……?汗





宮島には「ないもの」がある反面、
宮島にしかないものも相当あったのだね。グー

そういえば、
宮島には「宮島暦」という独特な暦もあったらしい。Σ(・ω・ノ)ノ!
特に日々、潮の干満とともにある宮島は、波
「月・女神・潮の満ち引き」……そんなキーワードで結ばれる島ではないか。新月やや欠け月半月三日月満月
ならば、
女の生理は穢れ……とせずにいて欲しかった……と思うのは、私だけ?むっ
戦の血を染み込ませるより、神聖な血を受け入れて欲しいものだが……。(-"-;A

参照:「宮島暦」



夫婦世界旅行-妻編-鹿から守られている花