2010年2月の長崎旅行記の続きです。
長崎さるく12 軍艦島周遊クルーズ
「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁
軍艦島クルーズ当日、
空は曇り勝ちなるも、なんとな~く薄日も差し、微風。
予定通り出航!
軍艦島(グンカンジマ)とは、
長崎港の沖に浮かぶ端島(ハシマ)の別称。
戦艦「土佐」にその姿が似てるということで、「軍艦島」と呼ばれるようになったそうだ。
(↑ネットより借用。軍艦「土佐」)
明治期から炭鉱の町として栄え、
日本初の鉄筋コンクリートアパートが建設され、
一時は人口密度世界一だったという。
島の面積0.06平方キロメートルに対し、人口約5000人(by『軍艦島の遺産』より)
……って、1人当たりの面積が0.000012平方キロメートル=0.012平方メートル????!!!
何かの間違いか? アリエナイ人口密集度だよねぇ?(((゜д゜;)))
「軍艦島」↑
には、「南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha」とある。
6.3ha=63000平方メートルだよね?
0.06平方キロメートル==60平方メートルだよね?
あれ?あれ?
わけわからん←(数字音痴)@@
と、と、とにかく、ゴチャマンと人々が犇いていたわけだ。
そして、1974年、正式に炭鉱は閉山。
それと共に島は廃れ、
いまや無人の廃墟の島と化している……。
「海上廃墟」、「朽ちていく巨大産業遺構」、
「近代の光も闇もすべて廃墟の沈黙の中にある」
なんてフレーズで、いまや観光地として復活しつつあるようだ。
私は廃墟というものに惹かれる。
あの空虚感。
沈黙感。
人々の生活の痕跡だけがうち捨てられたままの形で残っている空間、
そのリアルさ……。
昔、北海道を旅行したとき、
ある日突然皆が町からいなくなったという町を訪れたことがある。
家の中の子供部屋の勉強机は埃をかぶっているものの、今でも使えそうだし、
その机の前の壁には、
学校の授業の時間割りや、ポスターなどが張ってあるまま。
明日の学校の準備でもしていたのに、急に出て行った……みたいな、
忽然と人々が去った様子が亡霊のように漂っていた。
ぞっとした。
軍艦島は、ある日突然人々が消えたわけではないが、
一時にせよ世界一の人口密度を誇り
(これって、誇れることなのかどうか、ちょいと疑問だが……)、
学校はもちろん、病院、娯楽場、映画館などがあって、
当時は高価なテレビや冷蔵庫などを狭い家ながら多くの人々が持っていたらしい。
日本初の鉄筋コンクリート高層集合住宅も建てられていた。
特異な発展を遂げた島。
そんな近代産業で繁栄を謳歌した町が廃墟となると、
独特な廃墟感があるのではなかろうか。
繁栄のムクロ。
時流の歪。
こりゃ、行ってみたいでしょ!
ピアを離れ、
↓
↑
港湾工業地帯……って感じの長崎港。
長崎港は三菱が牛耳ってる?
軍艦島も三菱が島全体を買い取ってから、
炭鉱の町として猛然発展していったらしい。
参照:軍艦島
造りかけの橋
↓
外海に出て、波も潮風もややきつくなった頃、
軍艦島が見えてきた。
右隣にある大きめの島は高島。
(私の記憶が確かならば、ガイドさん曰く、
軍艦島では埋葬ができないから、死者が出ると、便のよい高島の方で弔ったとのこと。)
↓
端島(ハシマ)……確かに軍艦のような姿である。
↓
草木も生えぬ……のだろうか?
↓
ゴキブリもいないのでないか?
屹立した岸壁。「取り付く島がない」というより、「取り付く岸がない」。
↑
島の上部にポツンと突き出ているものは、神社(社)だったそうだ。
おぉ、多少緑も残っている。
以上、言葉を失い、ひたすら見入った軍艦島周遊クルーズでした。
つづく
長崎さるく12 軍艦島周遊クルーズ
「さるく」=「ぶらぶら歩く」の長崎弁
軍艦島クルーズ当日、
空は曇り勝ちなるも、なんとな~く薄日も差し、微風。
予定通り出航!
軍艦島(グンカンジマ)とは、
長崎港の沖に浮かぶ端島(ハシマ)の別称。
戦艦「土佐」にその姿が似てるということで、「軍艦島」と呼ばれるようになったそうだ。
(↑ネットより借用。軍艦「土佐」)
明治期から炭鉱の町として栄え、
日本初の鉄筋コンクリートアパートが建設され、
一時は人口密度世界一だったという。
島の面積0.06平方キロメートルに対し、人口約5000人(by『軍艦島の遺産』より)
……って、1人当たりの面積が0.000012平方キロメートル=0.012平方メートル????!!!
何かの間違いか? アリエナイ人口密集度だよねぇ?(((゜д゜;)))
「軍艦島」↑
には、「南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha」とある。
6.3ha=63000平方メートルだよね?
0.06平方キロメートル==60平方メートルだよね?
あれ?あれ?
わけわからん←(数字音痴)@@
と、と、とにかく、ゴチャマンと人々が犇いていたわけだ。
そして、1974年、正式に炭鉱は閉山。
それと共に島は廃れ、
いまや無人の廃墟の島と化している……。
「海上廃墟」、「朽ちていく巨大産業遺構」、
「近代の光も闇もすべて廃墟の沈黙の中にある」
なんてフレーズで、いまや観光地として復活しつつあるようだ。
私は廃墟というものに惹かれる。
あの空虚感。
沈黙感。
人々の生活の痕跡だけがうち捨てられたままの形で残っている空間、
そのリアルさ……。
昔、北海道を旅行したとき、
ある日突然皆が町からいなくなったという町を訪れたことがある。
家の中の子供部屋の勉強机は埃をかぶっているものの、今でも使えそうだし、
その机の前の壁には、
学校の授業の時間割りや、ポスターなどが張ってあるまま。
明日の学校の準備でもしていたのに、急に出て行った……みたいな、
忽然と人々が去った様子が亡霊のように漂っていた。
ぞっとした。
軍艦島は、ある日突然人々が消えたわけではないが、
一時にせよ世界一の人口密度を誇り
(これって、誇れることなのかどうか、ちょいと疑問だが……)、
学校はもちろん、病院、娯楽場、映画館などがあって、
当時は高価なテレビや冷蔵庫などを狭い家ながら多くの人々が持っていたらしい。
日本初の鉄筋コンクリート高層集合住宅も建てられていた。
特異な発展を遂げた島。
そんな近代産業で繁栄を謳歌した町が廃墟となると、
独特な廃墟感があるのではなかろうか。
繁栄のムクロ。
時流の歪。
こりゃ、行ってみたいでしょ!
ピアを離れ、
↓
↑
港湾工業地帯……って感じの長崎港。
長崎港は三菱が牛耳ってる?
軍艦島も三菱が島全体を買い取ってから、
炭鉱の町として猛然発展していったらしい。
参照:軍艦島
造りかけの橋
↓
外海に出て、波も潮風もややきつくなった頃、
軍艦島が見えてきた。
右隣にある大きめの島は高島。
(私の記憶が確かならば、ガイドさん曰く、
軍艦島では埋葬ができないから、死者が出ると、便のよい高島の方で弔ったとのこと。)
↓
端島(ハシマ)……確かに軍艦のような姿である。
↓
草木も生えぬ……のだろうか?
↓
ゴキブリもいないのでないか?
屹立した岸壁。「取り付く島がない」というより、「取り付く岸がない」。
↑
島の上部にポツンと突き出ているものは、神社(社)だったそうだ。
おぉ、多少緑も残っている。
以上、言葉を失い、ひたすら見入った軍艦島周遊クルーズでした。
つづく