みちのく三大桜ツアー2 サトウハチロー記念館
新幹線を集合地の北上駅で降り、ツアーバスに乗り込み、一路向かった北上展勝地。
北上展勝地での自由時間は、たったの90分。
その間に昼食も適当に済まさねばならない。
覚悟はしていたが、なかなか慌しい。。(´д`lll)
遠目にもとても咲いていなさそうな桜並木をとりあえず目指す。
ここまで来て、
天下に名高い北上展勝地の桜の木だけでも見ずには帰らりょか。
(咲いていようがいまいが……。)
と、北上展勝地の駐車場を出てすぐの所に、
サトウハチロー記念館なんてものがあった。
サトウハチローは北上出身だったの???
とにもかくにも、詩人の記念館ならば訪れねばだ!
桜は後回し。(^^ゞ
桜はどうやら期待できないと見た姉と母も、
さして興味もなさそうながら、一緒に入館。
館内には色とりどりの美しいガラスの壷やらランプやら絵画などが展示されていた。
サトウハチローのコレクションらしい。
透明感のある美しいものが好きだったんだね。
その中に、なにやら見慣れたものが……。Σ(・ω・ノ)ノ!
高さ25cmほどの緑色のガラスの入れ物。
金メッキの蓋。
これは確か蓋の部分にオルゴールが取り付けてあるのではなかったか?
確かめたかったが展示品なので、触るのは控えた。
これ、昔、実家に置いてあったものと全く同じ!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
どこからかの粗品か、頂き物だったのだろうと思う。
我が家では、一時キャンディーか何かを入れたりしていたが、
すぐに飽きて、何も入れられなくなり、
ただの置物として飾られていた。
こんな庶民の家にも飾られるもの、
サトウハチロー自身がわざわざ買い求めたとも思えない。┐( ̄ヘ ̄)┌
彼もたまたま誰かからもらって、まぁ、見た目、ちょっときれいなので捨てずに取っておいただけのものではなかろうか。
しかし、亡くなってしまうと、
「詩人のコレクション」として、
「詩人が愛した品々」として、
記念館に鎮座ましましてしまうのね。
詩人亡き後、彼のプライベートな細々した事情などはよくわからない人々によって選ばれ並べられて出来上がっている記念館という場所で、
我々はかなり勘違いな受け取り方をして帰るのかもしれない……。
それでも、詩人の大筋の人生なり、私生活の片鱗に触れることができ、やはりこうしたものはありがたいものだ。(。-人-。)
が、なぜに北上?
てっきりサトウハチローは北方生まれなのだろうと思ったら、
東京は牛込区だった。ナンジャソリャ!∑(-x-;)
参照:サトウハチロー
後日ざっと調べただけでは、彼と北上との関係は全然わからなかった。Y(>_<、)Y
なぜに北上にサトウハチロー記念館なのだろう……?
↑
サトウハチローの書斎。
しかし、彼は机の前に座って仕事することはなく、
床に布団を敷いて、ごろりと横になって仕事をしたらしい。
そーゆーとこ、好きだわぁ。
↓
↑
ピアノが2台並んでいた。
これ、なんと、サトウハチローの父、佐藤紅緑(サトウコウロク:作家、俳人)が、
妻と愛人にそれぞれ贈ったピアノだそうで。Σ(~∀~||;)
全く同じ品物を本妻と愛人に贈るって……
今も昔も、男って奴ぁ、すること同じである。(=◇=;)
ただ、贈ったものがピアノってところが
太っ腹な、さすが紅緑! とも思う。
(どうせなら、紅緑記念館も併設すればいいのに……。)
記念館にはこうした展示品などの目録などが売られていなかったので、
サトウハチローの小さな詩集を一冊買ってみた。
私は「ちいさい秋みつけた」♪の作者であるということくらいしかサトウハチローについては知らなかったのだ。
(目録とか、佐藤愛子の小説とかもあわせて販売しておけばいいのに……と思うのは、私だけ?)
詩集をぱらぱらめくると、まず、
人間の心の故郷は「母」であるね!と深くうなづきたくなるような、
母への恋慕、母への賛歌としか言いようのない詩がどっさり収録されていた。
「昔の母親」ってのは、こうだったのかなぁ。いいなぁ。
と、三丁目の夕陽的、赤々と沈む夕陽に夕餉の匂いを嗅ぎとるような、
あるいは、シャボンの匂いの中に甘やかな温もりを感じ取るような、
限りなく優しいモノたる日本の母親の典型を見る心持ちで読んだのであったが、
後日調べたら、
この社会的にはご立派で家庭的には不貞な(?)父ゆえ、思春期に不良少年になったハチローは、
母にも「実母に対しても愛情らしきものは示したことはなく」、
彼のじんわりとした母を想う詩の数々は
実はフィクションだ!
という話もあるっちゅーんだから、Σ(・ω・ノ)ノ!
なんとも滑稽で悲しい。
かなりベタな母賛歌を、フィクションであったと思って読むと、
彼がいかに温かな家庭に飢えていたかが忍ばれて、
まったく違う詩になることよ。(ノ_・。)
↑
ピアノの上には船越保武氏のデッサン(?)が飾られていた。
私はこの2月に長崎旅行で、彼の製作した「日本二十六聖人」のレリーフを見てきたばかりである。
彫刻家だと思っていたが、絵も描くのか!
思わぬところで意外な人に出会って、ちょっとびっくり。
(そういえば、彼は岩手の人だ。)
サトウハチローと船越保武……どんな関係なんだろう?
と思っていたら、
さらに、
「長崎の鐘」
↓
↑
後でゆっくり読もうと思って写真に撮ってきた説明文が、ちょちょ切れていて、。゚(T^T)゚。
内容がよくわからない。
が、察するところ、
サトウハチローは長崎の原爆で弟を亡くして(?)いるらしく、
長崎への思いはひとしお。
で、原爆被害のエッセイ「長崎の鐘」を書いた永井博士氏のためにも、
ハチローは「長崎の鐘」という詩を作ったらしい。(=◇=;)
(当時、大ヒットしたらしい。)
永井博士!
彼の名前は長崎旅行の下調べをした際、何度か目にした。
原爆投下のあたりに記念館もあったはずだ。
(今回私はそこを訪れなかった。)
永井博士……立派な人なんだろうなぁ?くらいであまり気にかけていなかったのだが、
今回ここ北上のサトウハチロー記念館で思いもかけず再び(名前だけだが)巡りあったので、
気になって調べてみたら……
参照:永井博士(医学博士)
なんと壮絶な人だ!!!
昭和20年8月9日、
長崎に原爆が投下され、爆心地傍の長崎医大で働いていて被爆した彼は、自らも「右側頭動脈という重症を負いながらも布を頭に巻くのみで、救いを求める人々の為に尽力する」。
翌8月10日、
「帰宅。台所跡から骨片だけの状態になった緑(妻)の遺骸を発見、骨片を拾い埋葬。」
こんな人が訴えようとしていた「長崎の鐘」の思いを、
引き受けたサトウハチローの詩は、
実に静かに悲しいものだった。
永井博士氏が書いたエッセイ「長崎の鐘」は、映画化もされたそうなので、機会があれば見てみたいものだ。
詳しくは知らないサトウハチローについて、
もう少し知りたいと、
ちょいと覗くつもりで入った記念館で、
船越保武、永井博士両氏の名前を目にし、
2月の長崎旅行の際、爆心地まで足を運ばなかったことが
やはり悔やまれたことであった。(>_<)
サトウハチローに関しては、
その詩からの優しいイメージしか持っていなかったが、
その実態は、
60個以上のペンネームを持ち、∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
奇行も多かったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ヒット曲は枚挙に暇がない。
「うれしいひなまつり」、「りんごの唄」などの作者でもあった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
彼の作品だなどとは知らずに口ずさんでいたよ。
やはり、彼の詩の言葉は単純で優しい。
現実にいかに問題のある行動を取ったとしても、
彼の言葉は彼の心そのものであるに違いないと思われる。
最後の展示室には、こんな額が掛かっていた。
↓
つづく
新幹線を集合地の北上駅で降り、ツアーバスに乗り込み、一路向かった北上展勝地。
北上展勝地での自由時間は、たったの90分。
その間に昼食も適当に済まさねばならない。
覚悟はしていたが、なかなか慌しい。。(´д`lll)
遠目にもとても咲いていなさそうな桜並木をとりあえず目指す。
ここまで来て、
天下に名高い北上展勝地の桜の木だけでも見ずには帰らりょか。
(咲いていようがいまいが……。)
と、北上展勝地の駐車場を出てすぐの所に、
サトウハチロー記念館なんてものがあった。
サトウハチローは北上出身だったの???
とにもかくにも、詩人の記念館ならば訪れねばだ!
桜は後回し。(^^ゞ
桜はどうやら期待できないと見た姉と母も、
さして興味もなさそうながら、一緒に入館。
館内には色とりどりの美しいガラスの壷やらランプやら絵画などが展示されていた。
サトウハチローのコレクションらしい。
透明感のある美しいものが好きだったんだね。
その中に、なにやら見慣れたものが……。Σ(・ω・ノ)ノ!
高さ25cmほどの緑色のガラスの入れ物。
金メッキの蓋。
これは確か蓋の部分にオルゴールが取り付けてあるのではなかったか?
確かめたかったが展示品なので、触るのは控えた。
これ、昔、実家に置いてあったものと全く同じ!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
どこからかの粗品か、頂き物だったのだろうと思う。
我が家では、一時キャンディーか何かを入れたりしていたが、
すぐに飽きて、何も入れられなくなり、
ただの置物として飾られていた。
こんな庶民の家にも飾られるもの、
サトウハチロー自身がわざわざ買い求めたとも思えない。┐( ̄ヘ ̄)┌
彼もたまたま誰かからもらって、まぁ、見た目、ちょっときれいなので捨てずに取っておいただけのものではなかろうか。
しかし、亡くなってしまうと、
「詩人のコレクション」として、
「詩人が愛した品々」として、
記念館に鎮座ましましてしまうのね。
詩人亡き後、彼のプライベートな細々した事情などはよくわからない人々によって選ばれ並べられて出来上がっている記念館という場所で、
我々はかなり勘違いな受け取り方をして帰るのかもしれない……。
それでも、詩人の大筋の人生なり、私生活の片鱗に触れることができ、やはりこうしたものはありがたいものだ。(。-人-。)
が、なぜに北上?
てっきりサトウハチローは北方生まれなのだろうと思ったら、
東京は牛込区だった。ナンジャソリャ!∑(-x-;)
参照:サトウハチロー
後日ざっと調べただけでは、彼と北上との関係は全然わからなかった。Y(>_<、)Y
なぜに北上にサトウハチロー記念館なのだろう……?
↑
サトウハチローの書斎。
しかし、彼は机の前に座って仕事することはなく、
床に布団を敷いて、ごろりと横になって仕事をしたらしい。
そーゆーとこ、好きだわぁ。
↓
↑
ピアノが2台並んでいた。
これ、なんと、サトウハチローの父、佐藤紅緑(サトウコウロク:作家、俳人)が、
妻と愛人にそれぞれ贈ったピアノだそうで。Σ(~∀~||;)
全く同じ品物を本妻と愛人に贈るって……
今も昔も、男って奴ぁ、すること同じである。(=◇=;)
ただ、贈ったものがピアノってところが
太っ腹な、さすが紅緑! とも思う。
(どうせなら、紅緑記念館も併設すればいいのに……。)
記念館にはこうした展示品などの目録などが売られていなかったので、
サトウハチローの小さな詩集を一冊買ってみた。
私は「ちいさい秋みつけた」♪の作者であるということくらいしかサトウハチローについては知らなかったのだ。
(目録とか、佐藤愛子の小説とかもあわせて販売しておけばいいのに……と思うのは、私だけ?)
詩集をぱらぱらめくると、まず、
人間の心の故郷は「母」であるね!と深くうなづきたくなるような、
母への恋慕、母への賛歌としか言いようのない詩がどっさり収録されていた。
「昔の母親」ってのは、こうだったのかなぁ。いいなぁ。
と、三丁目の夕陽的、赤々と沈む夕陽に夕餉の匂いを嗅ぎとるような、
あるいは、シャボンの匂いの中に甘やかな温もりを感じ取るような、
限りなく優しいモノたる日本の母親の典型を見る心持ちで読んだのであったが、
後日調べたら、
この社会的にはご立派で家庭的には不貞な(?)父ゆえ、思春期に不良少年になったハチローは、
母にも「実母に対しても愛情らしきものは示したことはなく」、
彼のじんわりとした母を想う詩の数々は
実はフィクションだ!
という話もあるっちゅーんだから、Σ(・ω・ノ)ノ!
なんとも滑稽で悲しい。
かなりベタな母賛歌を、フィクションであったと思って読むと、
彼がいかに温かな家庭に飢えていたかが忍ばれて、
まったく違う詩になることよ。(ノ_・。)
↑
ピアノの上には船越保武氏のデッサン(?)が飾られていた。
私はこの2月に長崎旅行で、彼の製作した「日本二十六聖人」のレリーフを見てきたばかりである。
彫刻家だと思っていたが、絵も描くのか!
思わぬところで意外な人に出会って、ちょっとびっくり。
(そういえば、彼は岩手の人だ。)
サトウハチローと船越保武……どんな関係なんだろう?
と思っていたら、
さらに、
「長崎の鐘」
↓
↑
後でゆっくり読もうと思って写真に撮ってきた説明文が、ちょちょ切れていて、。゚(T^T)゚。
内容がよくわからない。
が、察するところ、
サトウハチローは長崎の原爆で弟を亡くして(?)いるらしく、
長崎への思いはひとしお。
で、原爆被害のエッセイ「長崎の鐘」を書いた永井博士氏のためにも、
ハチローは「長崎の鐘」という詩を作ったらしい。(=◇=;)
(当時、大ヒットしたらしい。)
永井博士!
彼の名前は長崎旅行の下調べをした際、何度か目にした。
原爆投下のあたりに記念館もあったはずだ。
(今回私はそこを訪れなかった。)
永井博士……立派な人なんだろうなぁ?くらいであまり気にかけていなかったのだが、
今回ここ北上のサトウハチロー記念館で思いもかけず再び(名前だけだが)巡りあったので、
気になって調べてみたら……
参照:永井博士(医学博士)
なんと壮絶な人だ!!!
昭和20年8月9日、
長崎に原爆が投下され、爆心地傍の長崎医大で働いていて被爆した彼は、自らも「右側頭動脈という重症を負いながらも布を頭に巻くのみで、救いを求める人々の為に尽力する」。
翌8月10日、
「帰宅。台所跡から骨片だけの状態になった緑(妻)の遺骸を発見、骨片を拾い埋葬。」
こんな人が訴えようとしていた「長崎の鐘」の思いを、
引き受けたサトウハチローの詩は、
実に静かに悲しいものだった。
永井博士氏が書いたエッセイ「長崎の鐘」は、映画化もされたそうなので、機会があれば見てみたいものだ。
詳しくは知らないサトウハチローについて、
もう少し知りたいと、
ちょいと覗くつもりで入った記念館で、
船越保武、永井博士両氏の名前を目にし、
2月の長崎旅行の際、爆心地まで足を運ばなかったことが
やはり悔やまれたことであった。(>_<)
サトウハチローに関しては、
その詩からの優しいイメージしか持っていなかったが、
その実態は、
60個以上のペンネームを持ち、∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
奇行も多かったらしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ヒット曲は枚挙に暇がない。
「うれしいひなまつり」、「りんごの唄」などの作者でもあった。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
彼の作品だなどとは知らずに口ずさんでいたよ。
やはり、彼の詩の言葉は単純で優しい。
現実にいかに問題のある行動を取ったとしても、
彼の言葉は彼の心そのものであるに違いないと思われる。
最後の展示室には、こんな額が掛かっていた。
↓
つづく