2007年 枯れ紅葉の京都
22 愛人生活と新しい愛人と捨てられた愛人生活-5
(祇王寺を訪れたので、『平家物語』「祇王」に脱線中。)
新しい女仏御前の出現により平清盛にあまりに突然捨てられ泣き暮らしていた祇王の元へ、傷心も癒えぬうちに清盛から手痛いお呼びがかかった。
「いかに、其後何事かある。仏御前が余りにつれづれげに見ゆるに、参って今様をも歌ひ、舞なンどをも舞うて、仏をなぐさめよ」と。
(おい。その後どうだ。仏御前が退屈そうだから、来て歌でも歌って舞など舞って仏御前を慰めろ。)
ムムム……。これが3年間ずっと一緒に暮らしていた男の言葉だろうか? ほんの数ヶ月前までは自分を「最愛」してくれていた男の言葉だろうか? と祇王は思ったに違いない。情けなかったに違いない。
彼女は使いの者に返事もできずにいた。すると追って清盛が言ってきた。
「なんで返事を寄越さないのだ。参上しないならしないでその訳を言って来い。オレ様にも考えがあるぞ。」と。
縮み上がったのは祇王の母親だ。(((゜д゜;)))
権力を我が物顔に振りかざして、したい放題の清盛。しかも、その人格については、よからぬ評判の方が多い。何をされるかわかったものではない。
当の祇王はもう捨て身の覚悟(っていうか、もう捨てられてますから……)。
「あの清盛さまが『考えがある』というからには、我々を都から追放するか、そうでなければ殺すか。この二つの他は考えられない。私は都を出されたって構わない。殺されたってもうどうだっていいわ。」
と、やはり返事さえしようとしない。
しかし、母はビビッた。
「この日本に住んでいる限り、あのお方に逆らっちゃだめよぉ!」
「捨てられたと言ったって、そもそも男女の仲は定めなきものと相場が決まってるのよ~。3年思われただけでも、ありがたいお情けってもんじゃないの~!」
「呼ばれて参上しなかったからって、まさか命までお取りになりはしないでしょうけれど、都追放でしょうね……。」
「若いあなたは岩の間でも木の間でもどこでも暮らせるでしょうけど、年老い衰えた(45歳)私は都以外のところで生きていくなんて考えられないわ。お願いっっ。私を死ぬまで都で暮らさせるのが現世、来世での親孝行と思って~!」
祇王をくどく、くどく。くどいほど口説く。来世まで持ち出してくどく、くどく。( ̄□ ̄;)
母はもう親であるという自覚を失っているようだ。自分の保身しか頭にないようだ。縋る縋る。Σ(~∀~||;)
時代と言えば時代なのだろうが、こんな母に反抗して己を貫くこともできない祇王はやはり心優しく心弱い娘だったのだろう。
今様の(?)ヤンキー娘なら、「うっせー、ババァ! てめーの勝手ばっか言ってんじゃねーよっ!」と「年老い衰えたる母」を蹴り倒しそうなものだが、(平安時代にも“平安ヤンキー”はいたんじゃないかと私は思うのだが……)祇王は泣く泣く清盛の館へと、住み慣れたかつての愛の巣へと、参上するのだった。
しかし、平家物語の概略だけ読んでいたのでは、こうした細かい事情がわからないから、祇王がなぜわざわざ自分を捨てた男の呼び出しに応じたのかわからなかったが、その裏事情には「弱い母」の来世までかけた哀願があったのだね。
この時代の人は「先の世」を考えるとき、現代人のように純粋に「将来」、「未来」像を想像することって出来なかったんだ?( ̄□ ̄;)
「先の世」といったら、「来世(らいせ)」。死後の世界。あるいは生まれ変わった次の世界のことだけ。自分がそこでどうなっているかということだけ。自分の人生を離れた未来予測図などありえなかったということだよね。w川・o・川w
「死」がそれほど怖かったということだろうか。そして、生きることが、現世においてそれほど辛かったということなんだろうか……。ヽ((◎д◎ ))ゝ
追記:
祇王の母親が平清盛をかくも恐れたのは、もしかしたら夫=祇王たちの父親に関係があるかもしれない? とも思う。
今回祇王を読むに当たり、祇王の父親は「罪を得て」不在とする説と、「保元の乱で死亡」としている説とを目にした。
もしかしたら、祇王たちの父親は平清盛にとって敵側の人間だったのかもしれない?
清盛のご機嫌を損ねたら、そのことを調べられたりして、余計に厳しい仕打ちを受けかねないことを恐れていたのかもしれない? (((゜д゜;)))
でも、そうとは言えず、わざと「私は都の外では生きていけない」などともっともらしい弱音を吐いて見せて祇王に清盛に逆らわないようにさせようとしたのか……なんてことも想像してみたが、それなら祇王も承知のことだろうね。辻褄が合わない。Oo。。( ̄¬ ̄*)
となると、
やっぱり、祇王の母親は都の外へ出ることをマジで恐れたということだろう。
「都の外」は、当時の都人にとって、どれほど怖ろしい山奥に感じられたことだろう。
まだろくな地図などない時代。『地球の歩き方』もない時代。
都育ちの人が都の外へ出るということは、野蛮な土地に落ちていくという空恐ろしさがあったんだろうね。まして年をとってからではなおさらだ。恐れおののいて、嫌がる娘をかき口説くのも、まぁ、仕方ない……かな。
(21へ) つづく (23へ)
22 愛人生活と新しい愛人と捨てられた愛人生活-5
(祇王寺を訪れたので、『平家物語』「祇王」に脱線中。)
新しい女仏御前の出現により平清盛にあまりに突然捨てられ泣き暮らしていた祇王の元へ、傷心も癒えぬうちに清盛から手痛いお呼びがかかった。
「いかに、其後何事かある。仏御前が余りにつれづれげに見ゆるに、参って今様をも歌ひ、舞なンどをも舞うて、仏をなぐさめよ」と。
(おい。その後どうだ。仏御前が退屈そうだから、来て歌でも歌って舞など舞って仏御前を慰めろ。)
ムムム……。これが3年間ずっと一緒に暮らしていた男の言葉だろうか? ほんの数ヶ月前までは自分を「最愛」してくれていた男の言葉だろうか? と祇王は思ったに違いない。情けなかったに違いない。
彼女は使いの者に返事もできずにいた。すると追って清盛が言ってきた。
「なんで返事を寄越さないのだ。参上しないならしないでその訳を言って来い。オレ様にも考えがあるぞ。」と。
縮み上がったのは祇王の母親だ。(((゜д゜;)))
権力を我が物顔に振りかざして、したい放題の清盛。しかも、その人格については、よからぬ評判の方が多い。何をされるかわかったものではない。
当の祇王はもう捨て身の覚悟(っていうか、もう捨てられてますから……)。
「あの清盛さまが『考えがある』というからには、我々を都から追放するか、そうでなければ殺すか。この二つの他は考えられない。私は都を出されたって構わない。殺されたってもうどうだっていいわ。」
と、やはり返事さえしようとしない。
しかし、母はビビッた。
「この日本に住んでいる限り、あのお方に逆らっちゃだめよぉ!」
「捨てられたと言ったって、そもそも男女の仲は定めなきものと相場が決まってるのよ~。3年思われただけでも、ありがたいお情けってもんじゃないの~!」
「呼ばれて参上しなかったからって、まさか命までお取りになりはしないでしょうけれど、都追放でしょうね……。」
「若いあなたは岩の間でも木の間でもどこでも暮らせるでしょうけど、年老い衰えた(45歳)私は都以外のところで生きていくなんて考えられないわ。お願いっっ。私を死ぬまで都で暮らさせるのが現世、来世での親孝行と思って~!」
祇王をくどく、くどく。くどいほど口説く。来世まで持ち出してくどく、くどく。( ̄□ ̄;)
母はもう親であるという自覚を失っているようだ。自分の保身しか頭にないようだ。縋る縋る。Σ(~∀~||;)
時代と言えば時代なのだろうが、こんな母に反抗して己を貫くこともできない祇王はやはり心優しく心弱い娘だったのだろう。
今様の(?)ヤンキー娘なら、「うっせー、ババァ! てめーの勝手ばっか言ってんじゃねーよっ!」と「年老い衰えたる母」を蹴り倒しそうなものだが、(平安時代にも“平安ヤンキー”はいたんじゃないかと私は思うのだが……)祇王は泣く泣く清盛の館へと、住み慣れたかつての愛の巣へと、参上するのだった。
しかし、平家物語の概略だけ読んでいたのでは、こうした細かい事情がわからないから、祇王がなぜわざわざ自分を捨てた男の呼び出しに応じたのかわからなかったが、その裏事情には「弱い母」の来世までかけた哀願があったのだね。
この時代の人は「先の世」を考えるとき、現代人のように純粋に「将来」、「未来」像を想像することって出来なかったんだ?( ̄□ ̄;)
「先の世」といったら、「来世(らいせ)」。死後の世界。あるいは生まれ変わった次の世界のことだけ。自分がそこでどうなっているかということだけ。自分の人生を離れた未来予測図などありえなかったということだよね。w川・o・川w
「死」がそれほど怖かったということだろうか。そして、生きることが、現世においてそれほど辛かったということなんだろうか……。ヽ((◎д◎ ))ゝ
追記:
祇王の母親が平清盛をかくも恐れたのは、もしかしたら夫=祇王たちの父親に関係があるかもしれない? とも思う。
今回祇王を読むに当たり、祇王の父親は「罪を得て」不在とする説と、「保元の乱で死亡」としている説とを目にした。
もしかしたら、祇王たちの父親は平清盛にとって敵側の人間だったのかもしれない?
清盛のご機嫌を損ねたら、そのことを調べられたりして、余計に厳しい仕打ちを受けかねないことを恐れていたのかもしれない? (((゜д゜;)))
でも、そうとは言えず、わざと「私は都の外では生きていけない」などともっともらしい弱音を吐いて見せて祇王に清盛に逆らわないようにさせようとしたのか……なんてことも想像してみたが、それなら祇王も承知のことだろうね。辻褄が合わない。Oo。。( ̄¬ ̄*)
となると、
やっぱり、祇王の母親は都の外へ出ることをマジで恐れたということだろう。
「都の外」は、当時の都人にとって、どれほど怖ろしい山奥に感じられたことだろう。
まだろくな地図などない時代。『地球の歩き方』もない時代。
都育ちの人が都の外へ出るということは、野蛮な土地に落ちていくという空恐ろしさがあったんだろうね。まして年をとってからではなおさらだ。恐れおののいて、嫌がる娘をかき口説くのも、まぁ、仕方ない……かな。
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