2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月半ばのバルセロナ3日目。闘牛観戦日記最後のページです。




part242 闘牛④ 理屈じゃない、血なまぐさい!




要約: 闘牛場を去るとき、恐ろしく血生臭い通路に差し掛かった。戦慄を覚える生温かい塩っぱい臭いだ。そこは殺された牛の搬出通路だった。闘牛とは……つまるところ、文化なのか、動物虐待なのか……。つまるところ、スペインなのだ!









街の通りを、牛を追って走る祭りがあるのは、確かスペインではなかったか? 今までの街(マドリッド・セヴィーリャ・ヴァレンシアと、ここバルセロナ)にはなかったが、確か「牛追い祭り」(?)なるものが、スペインにはあるはずだ。




街なかの石畳の坂道を、牛の群れがドドドドドォーッと走っていく。その脇を人間が一緒に走り、牛に突き上げられたり、踏みつけられたり、角で刺されなどして、毎年死者も出ているはずだ。




それと同様、「闘牛」というのも一種の祭りなのだろう。理屈ではないのだ。人間の中に日ごろ眠っているある種の激情―それは残虐でエゴイスティックなものなのだろうが――を解き放つ場であり、それを代表して演じてくれるマタドールはやはりスターなのだろう。




牛は十中八九殺される運命にあるとはいえ、闘牛には人間が命を懸けて闘うというヒロイズムがある。(女性の闘牛士もいるらしいから、ヒロイニズムともいうのかしらん?) 恋の矢




動物愛護団体などからすれば、これは無意味な嗜虐性の祭りに過ぎないのだろう。グー




動物愛護団体の非難が激しくて、スペインでは闘牛が開かれる数がぐっと減っていて、街によっては闘牛場が閉鎖になったところもあるらしい。




しかし、“闘いっぷりに重きを置いている”闘牛は、やはり単なる弱いものいじめではなく、動物虐待ではなく、「闘って生きる」というスタイルの鼓舞であり、スペイン人の生き様なのかもしれない?




スペインの伝統文化なのだとは思う。実際に闘牛を見るまでは、まぁ、こうした伝統はなくなっても仕方ないんじゃないか? 時代に淘汰される伝統もあるさ……と軽く考えていたが、こりゃ、続けていって欲しいものだとも思えてきた。宇宙人




まぁ、インターネット社会で、デスクの前でじっとしていて巨額の富を作り出す人々がいる今の世の中で、マタドールになるんだい! なんてことはもはや若者の「夢」にすらなりえないのかもしれない。




“いかに強者と闘うか”、“いかに勇姿を見せつけるか”ということより、“いかに周りの状況を判断して金を稼ぐか”、“いかに融資をとりつけるか”がワクワクドキドキの世界となりつつあるのも、闘牛が非難され衰退していくのも、時の流れというものか。





しかし、とにかくスペインにおいて、ここバルセロナにおいて、アンダナーダ席のおっさんたちにおいて、闘牛は胸躍る熱いものだということは真実だ。キラキラ




闘牛が終わると、観客はそそくさと席を立っていく。特に下方の“値段の高い方の席”は、我々がそろそろ行こうか~と腰を上げた頃には、誰も残っていなかった。来るのは遅く、帰るのは早い。ちょっと嫌味な席である。えっ




帰り際、建物の円周に沿ってコンクリートが敷かれてできた廊下を歩いていたら、むっと生臭い臭いが鼻を突いた。ぞっと頭の地肌にまで鳥肌の立つような、不愉快な臭いであった。今まで嗅いだこともないような、ただごとではない異臭がそこだけ立ち込めていた。ガーン




見ると、脇にある暗い通路が闘牛場の舞台に向かって延びていて、開いた鉄柵の向こうには砂の舞台が見える。キラキラ




瞬時に理解した。そこは丁度、死んだ牛が引かれて出て行く柵扉の裏通路の出口だったのだ。アンダナーダ席からは暗い洞窟のように見えた通路だ。鉄柵の裏はコンクリートの通路になって、そのまま外へ牛を運び出せるようになっていたのだ。ドクロ




“円周廊下”をぐるぐると歩いていたので、その“死体搬出通路”の終わりのところにぶちあたったのだ。走る人




いままで何の臭いも感じなかったのに、その通路の辺りだけが異様に臭っていた。ガーン




この生温かいような、しょっぱいような臭いは……血だ! 血の臭いだ! ああ、これが血の臭いなのか。殺された生き物の血の臭い……。なんと生臭く温かいのだろう。血の臭いというのは、こんなにずっと臭っているものなのだね……。ガーン




生温かいような、すえたような、獣の臭い……。「血生臭い」とはこういう臭いをいうのか。臭いだけで戦慄させられる。爆弾




昔、横浜大空襲で母が焼け焦げた死体がごろごろと転がる道を必死で歩いたという話を聞いたとき、「辺りが臭くて」という言葉を聞き流していたが、「臭い」とはきっとこういう「臭さ」だったのだろう。いや、これよりももっと臭かっただろう。ガーン




「血の臭い」そのものがいかに人間を戦慄させるか、我ながらびっくりした。臭いは視覚よりもリアルだ。死体を見なくとも、殺し合いを見なくとも、この死を伴った血の臭いを嗅いだだけで、人はもう恐怖を感じるのではなかろうか。ドクロ




その通路が特に血まみれになっているわけではなかった。殺された牛が転がっているわけでもなかった。通路の奥の鉄柵の向こうに掃き清められた砂の闘牛場が見える。あの砂の舞台から馬に引きずられた牛たちの葬送の臭いが、血と砂塵の臭いが、通路には染み付いているのだった。ガーン




血の臭いと断末摩の牛の呻き。マタドールの勇気、華麗な戦いぶり。未体験の感動があった。正直、私は楽しんだのだ。しかし、また見たいかというと、そうではない。やはり、どうも好きになれない。殺されるために生まれてくる牛。殺すために育てられる牛。人間の度胸試しのためにのみ存在する命なんて、あっていいものか。はてなマーク




……いいのかもしれない。ただ嫌だと思うばかりだ。しょぼん




 ヘミングウェイは闘牛を見てスペインに魅了されたというが、私は闘牛はごめんだ。ごめんだと思うと、確かに面白く見た闘牛も、太古から続く人間の嗜虐性を見る思いになる。




一見華麗なる勇気を見せるようではあるが、とどのつまりは獣を殺すショーだと思えてもくる。パンチ!




だが、スペイン人のおっさんたちは本当に楽しそうに声援を送っていた。彼らには彼らなりの理屈も伝統もあるのだろう。ニコニコ




スペインは不思議だ。理屈では説明できない情熱の爆発に人生をかけた芸術家を何人輩出したことだろう。つまるところ、理屈じゃない!――ってことが「スペイン」なのかもしれない?オレンジ





つづく


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