2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月半ばのバルセロナ3日目、日曜日。




part235 「坊や」が「くそガキ」に変わる時




要約: 宿替えをした。ホテルをチェック・アウトする際、またも待たされる。ゴーイング・マイ・ウェイ、“人のことなど知ったこっちゃない”スタイルを貫く白人を見ていると、日本人は“気の遣い過ぎ”ではないかとさえ思えてくるのだった。









欧米人は他人を意に介さない。全く介さない。完膚なきまでに介さないっ。むかっ









“天井落ち”3つ星ホテルをチェック・アウトする時、レセプションには既に先客がいた。中年の白人女性であった。どうやらスペイン人のようだ。彼女はチェック・インするでもチェック・アウトするでもなく、何やらレセプショニストに細々尋ねているようであった。ナゾの人







我々が順番を待っている間に、次の客がチェック・アウトに下りてきた。また横入りされたらたまらない。すかさず先客との間を詰め、カウンターの隙間を塞ぐようにすると、果たせるかな、その客は我々の後ろに並んだ。よしっ。くつ




と、次々にチェック・アウトの客が大きな荷物を持ってやってきて、狭いレセプションの辺りはチェック・アウト手続きを待つ客で一杯になった。




しかし、先客の女性はそんなこと微塵も意に介さないご様子。長々と何やらレセプショニストに聞いている。レセプショニストは待っている他の客を多少気にかける様子で、彼女の問い掛けが終わらぬ先から即座に答えて行くのだが、その度に彼女はさらなる質問をレセプショニストに浴びせ続けるのだった。ガーン




レセプショニストが「もういいでしょ」ってな感じでカウンターの奥の方へそっぽを向くと、女性は「待たんかいっ!」ってな勢いで、カウンターにのしかからんばかりに上体を伸ばしてレセプショニストを呼び戻し、何やかや言い続ける。みごとな粘り腰だ。祝日




我々の次に来た白人男は、隙あらば横入りしようとばかりに、我々を押しのけるようにしてレセプションのカウンターに身を乗り出し、アピールしようとする。




くぉのぉぉぉっ。重いだろうがっ。寄っかかってきなさんな。横入りは許さんけんねっ。ぐぐぐっと相手を押し戻すように足を踏ん張り、腕を突っ張る。冷静を装いながらも、つい鼻の穴が広がる。鼻息荒く、カウンターに手をついて肘を垂直に立て、ガードを固める。むっ




行列を作って待っている我々の水面下(?)の攻防など知ったこっちゃなく、先客の用件はまだまだ終わらない。いい加減にしてよ~。むかっ




と、そこに先客の女性の幼い息子が彼女の所にとっとっとーとやってきた。ほっぺたが桜色のかわいらしい坊やだ。ママがなかなか戻ってこないから心配になったのかもしれない。坊やはママの膝に抱きつくようにしてママを見上げ、何やら訴え始めた。男の子




日本なら、「あ~。ママは今忙しいんだからっ。あっちで待ってなさいっ。」とか言って追い払いそうだが、彼女はレセプショニストとの話を中断して、身を屈めて息子の話を聞いてやり、ゆっくりと言葉を交す。




息子がさらに何か話し続けても、それに対し丁寧に答えてやる。何を呑気にやっているんだ? と、待たされているこちら側はジトッとその様子を窺っているのだが、彼女は微塵も慌てる様子はない。




周りのピリピリした空気など読むこともなく、悪びれもせず、息子とひとしきり会話する。




息子は何やらぐずぐず愚図っている。こ~の、くそガキっ。とっととさっきいた場所に戻りなさいっ。それでなければ、このママをとっとと連れていっておくれっ! メラメラ




桜色の頬の美しい「坊や」が「くそガキ」に変わる頃、坊やは再びとっとっとーっとどこやらホテルのロビーの奥の方へ消えていった。男の子




ママは相変わらず、他の客が待っていることなど一切自分には関係ない! という風に、レセプショニストに質問を始めたのだった。




「自分の聞きたいことはどんなに小さなことでも、この際、聞き逃さないわよ。全部聞いていくわよっ! 」とばかりに、しつこくしつこくしつこく、レセプショニストに尋ね続ける。




「どんなに行列ができようが、何人待ってようが、何時間待たせようが、私のしたいことはするわよっ。」と思っているに違いない。




こうした“他人を省みない態度”は、日本以外では当たり前のように目にする。大したものだと思う反面、人のことを気にする細やかな心遣いは、日本独特の美点だとも思う。しかし、……本当か?シラー




我々は、自分の後ろに列ができてしまったら、相当焦る。自分は全然悪くなくとも、自分の後ろに並んでしまった人を自分のせいで待たせてしまっているような、罪悪感に似たものを感じてしまう。




例えばスーパーのレジで、「商品の値段がわからない」と言い出して、レジ係りが確認をしに店の棚まで走っていってしまったときなど、げに恐ろしい。




私の後ろに誰も並んでいないときは、まだいい。レジ係りの人に対して「早くして~」と苛つくだけだ。どうして値札をちゃんとつけていないのさっ? と、店側の手落ちを腹立たしく感じるだけだ。この場合、私は「怒る」側なのである。




しかし、私の後ろに1人でも誰か他の客が並んでいた場合は違う。この場合、たちどころに私は「責められる」側になるのである。




手落ちは値札をちゃんとつけていない店側にある。私だって、待たされて“迷惑”を受けている側なのだ。それなのに、私の後ろに並んでいる人の深~いため息が、なんと背中に痛いことかっ! 後ろの人に対して、なんと罪悪感を感じてしまうことか! ガーン




この罪悪感はおかしい! おかしいと思っても感じてしまう。こうした感じ方は私だけではないはずだ。はたしてこれが「日本人の美徳」だろうか? 




私の中で「坊や」が「くそガキ」変わった時は、私が“周りに気を遣わない人間”を貶めた時だ。そして私自分も同時に落ちていく。




こんな風に私の人格までシフトチェンジさせる「気遣い」が「美徳」だろうか? こんな風に考えてしまうのは、私の精神修行がたりないためだけか?




思うに、日本の場合、周りの人に気を遣い過ぎるのだ。筋違いのことに気を遣い過ぎるのだ。(一般的・“善良な”日本人に限るが。)天使




――それは、ある意味、日本が筋違いの非難をし易い、受け易い社会であるということでもある。ワイドショーやニュース番組を見ていても、筋違いの追求、筋違いのコメントがなんと多いことか。――パンチ!




この“筋違いの気遣い”は、全く別の文化圏に来たからといってそうそう抜けるものではなく、ついつい我々は気を遣い過ぎる。NG




後ろの人のことが気になって、早く自分の用件を終わらせなければ……とすぐ無駄に焦ったりする。で、自分の聞きたい肝心なことなどを十分に聞かないままに切り上げてしまうことがある。しょぼん




これはやはりまずいだろう。結局己に損が出て恨みが残る。不健全だ。その点、「まず大切なのは自分!」と言う欧米のスタイルは、実に徹底している。自分に損がない。だから、次の一歩を軽やかに踏み出せるというものだ。ロケット




 さて、15分ほど経って、ようやく女性は満足げにレセプションから離れていった。行列の方など見向きもしない。本っっっ当~っに人のことなど知ったこっちゃないんだなぁ~。日本人なら「お待たせしました」とか「どうも~」などと一声かけそうなところだが。……見習うべきか、否か。……。かお




おっと、感心している場合ではない。ようやく我々の番だ。横入りはさせじ! ずりりっとカウンターを擦るように前に進む。で、我々のチェック・アウトは数秒で終わったのであった。 ――とっとと横から腕を伸ばして、ルームキーを渡しちゃえば済んだ話だったかもしれない? ――えっ




           


つづく


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