2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月初旬。リスボア一日目。朝から宿探しに歩き回り、昼ごろようやく「高くて狭くて排水も悪いが地の利のよい」宿を取り……。





part196 ファドの店選び





要約: ポルトガルといったらファド。ファドが聴ける店をガイドブックで検討し、観光客相手の店ではあるが安全そうな店を予約した。リスボアの第一夜を記念して、名物の鰯料理も食べた。初日からなかなかリスボン、リスボンした一日であった。









宿も決まり、ようやくバックパックを下ろす。やれやれ。やっと身軽になり、改めて街へ繰り出す。





街は至る所で工事中だ。ドドドド、ガガガガ掘削音かまびすしく、人もぞわぞわ歩いているくせに、広場はどこか閑散とした雰囲気が漂っている。騒音が鳴り止まないのにうら寂しくて、太陽ばかりがギラつく街。土埃がもうもうと立って、埃幕越しにじりじりと陽に焼かれる。街を歩くだけで燻製にされてしまいそうだ。サディスティックな太陽よ。





生きとし生きるものを嬲り殺すような太陽がその矛を収め、大西洋の海原を血の色に染めながら沈む。まだ火照りの残る石畳の街を私はそぞろ歩いている。と、夕闇を縫うようにしわがれた歌声が流れてくる。





血の滴るような哀切極まりないその声に引かれるように路地を奥に進むと、小さなカンテラを灯しただけの小汚い飲み屋がある。店の一角では古ぼけた小さな木椅子に腰掛けて、老人が一心不乱に歌っている。





陶酔の只中にだけ生きているように、岬の突端で海の果てに想い馳せているように、やや首を傾げて。





滑らかな羊皮のごときまぶたが硬く彼の目を覆っている。泣いているように、怒っているように、諦めたように、絞るように、老人は歌っている。





私はふらりとテーブルに着く。鰯の酢漬けをつまみに、樽から注がれたワインをちびりちびりとやりながら、目を閉じる。老人の歌声と甘いギターの音色が臓腑に沁みていく。これがファドというものか……。





……なんていうふうにファドに出会いたかった。が、そんな出会いを求めていたら時間がいくらあっても足りない。ということで、今回ポルトガルに来た一番の目的、「ファド」が聴ける店をガイドブックで見繕った。





なになに、『ロンリープラネット』には 「Many Lisbon casas de fado (which are also restaurants) produce pale tourist imitations of fado at high prices. All have a minimum charge of 2000$00 to 4500$00. In the Bairro Alto, try Adega Machado,or the simpler Adega do Ribatejo.」とある。





「多くのファド店はまがいもののファドに高い値段で、旅人を青ざめさせる」のか?! そのぼったくりの「最大チャージ2,000~4,500エスクード(1,120~2,520円)」?! ……ってか? なんですとぉ? これって、「リスボンでは安っぽいファドを高い値段で聴く羽目になるぜ。まぁ、試したいなら、ましな所はバイロ・アルト地区の○○と▲▲ね。」って書き方だよね。





しかし、『地球の歩き方』には、「ファドの店が集中している通り」としてバイロ・アルト地区のトラヴェッサ・ダ・ケイマーダ(?)通りTravessa da Queimada を挙げ、そこにある“お手ごろな値段で、なかなかの評判”の店をいくつか紹介している。





つぶよりのファド・シンガーが出演する、リスボンでもトップクラスの店」とか、「シンガーのレベルも高い」とか、かなりな評価を下している。 ……本当か? 





『ロン・プラ』と『地球の歩き方』とでは推薦する店が一致していないので迷うが、 『地球の歩き方』で紹介されている店ならば、法外にぼったくることもそうそうあるまい? 一応信用がおけるのではないか? そこそこのファドに出会えるのではないか? 





(追記: ……などと、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」で、ひとたび築かれた信用という権力に、何度裏切られてもついつい靡く我々であった。)





紹介されている料金はどちらも同じような額だが、『ロン・プラ』では「高い料金」となっていても、『地球の歩き方』ではそうした批判めいたコメントは一切ない。なるほどね。まぁ、その「hight prices」が、“観光客がとりあえず安全に楽しめる店”の相場ではあるらしい。





店の営業は大抵21:30頃~翌2:00だが、本格的な公演は23:00過ぎてからだという。途中で切り上げて帰ってくるにしても、夜のリスボンを帰ってこなければならない。





昼は殺人的な太陽を乱反射させていた石畳が、夜は月明かりを浴びてどんなふうに光るのだろう。歴史の沁み込んだような石畳の夜の街を、こつこつと歩く……。想像しただけでうっとりする。





が、「夜の一人歩きは危険! 」という注意が『ロン・プラ』になされている以上、油断できない。





こちらは夫婦2人といえども、貧乏臭い格好をしているといえども、チンチクリンで“日本人丸出し”のくたびれた中高年。狙われたらイチコロだ。暢気にほろ酔い気分で夜の彷徨としゃれ込むわけにはいかない。迷わずにしゃかしゃか帰ってこなければっ。帰り道を頭に叩き込んでおかなければっ。





ということで、とりあえず『地球の歩き方』お勧めの店に、明るいうちに下見がてら予約しに行ってみることにした。





Travessa da Queimadaのあるバイロ・アルト地区は、街の中心地ロシオ広場のすぐ西の辺りに位置している。旧市街らしい。





バイロ・アルト地区は小高い丘の上にあるのだった。ロシオ広場から歩いてすぐかと思いきや、これがなかなかの坂道で、結構しんどい。燻し銀に光る石畳の坂道は実に自然に歪んでおり、なかなか歩きにくい。





ロシオ広場からその丘の上まではケーブルカーで行くこともできる。こんなに短い距離にわざわざケーブルカー? といぶかしく思っていたが、なるほど、ケーブルカーを使いたくなる坂である。





――アムステルダム、ブリュッセル、パリでは石畳がきっちり整っていて、私は“石畳だから道が歪まない”のか! と思っていた。





が、どうやら“石畳であること”がきっちり整った道路の理由ではないようだ。石畳も歪むのだ。一部だけ妙に落ち窪んだり、傾いたり、人がよく歩く辺りが磨り減って歪むのだ。落ち着いて考えてみれば、さもありなんだ。 





(……ってことは、今までの国は、石畳に相当徹底したメンテナンスを施しているというわけだね!)――





そうか、そうか。この歪み。このひねび具合。よく言えば、「あるがまま」の石畳を堪能させてくれるリスボアの石畳であるのだった。



味のある石畳をぽとぽと歩くのは実に楽しい。通りにはそれぞれ通り名が表示されていてわかりやすい。大抵の通りは「Rua ~」となっており、「Travessa ~」となっている通りは少ない。行けばすぐに見つかるだろう。





……と思ったが、これがなかなか見つからなかった。坂を上り切ってバイロ・アルタ地区に辿りついたものの、教会の前から入れるはずのTravessa da Queimadaが見当たらない。教会の前に立ってもよくわからない。





この地区は古い町並みをそのまま残しているせいか、細い路地がやや崩れた碁盤の目のように並んでいて、しかも微妙にずれているので、伸びているはずの通りがいきなり行き止まりになったり、いきなり違う名前の通りになってしまったりで面食らった。





しかも、いかにも「裏街」といったどこか陰惨な香りさえする、昼なお暗い静まり返った地区だった。ロシオ広場あたりの喧騒に耳をじんじんさせてきた我々の耳には、この界隈がいきなりしんと静まり返って感じる。みんなが息を潜めて固唾を呑んでいるような、妙な緊張感を俄かに感じるのだった。





どこをどう歩いているのかわからなくなる。振り返っても、もう今来た道を辿れない。そんな迷路感覚に襲われる。路地を圧迫するように立ち並ぶ古びた石の建物は、路地と同じく静まり返って、果たして人が住んでいるのかどうか……。





そうかと思うと、路地の向こうの角にいつのまに現れたのか、俯きがちな男が一人! おっ? と思って身を硬くしているうちに、すっと角を曲がっていく。なんだ、なんだ? 何者だったんだ? 我々をつけているのか?





(……だたの通りすがりの人だ……。我々の行く手を歩いているのに、「つけている」も何もないものだが、我々を狙っている賊の一人かと、つい勘繰ったりしてしまう。)





地図だと簡単そうに見えるけれど、こんなにわかりにくいところだったのだ。こんなに物騒な雰囲気のところだったのだ。前もって下見に来てよかった。当日何も知らずに来たら、夜の路地裏に迷い込んで危なかったかもしれない。





(追記: 今思うと、夜から深夜にかけて盛り上がる飲食店の多い地区は、むしろ夜に歩いたほうが、店の明かりが目印になって、わかりやすかったかもしれない。夜の街は昼は眠っているものだ。街が夜の化粧を落として、がっくり疲れたように鳴りを静めている時にうろついたから、かえって迷ったのかもしれない。)





さて、ぐるぐる歩き回って、何とも薄汚い不穏な路地裏が縦横に伸びた一画に、とうとう目指す店A Severaを見つけた。入り口がひっそりとしていて、通りに溶け込んでしまっているような店構えだ。





しんと静まり返っている。まだ開店前で誰もいないかもしれない? 恐る恐る店のドアを開けてみると、入ってすぐのところには受付のようなスペースがあり、きちんとベストを身につけた男性が愛想よく我々を迎えてくれた。外の通りの雰囲気とは違って、その店の中は落ち着いたレストランのようだ。





まだ開店していない店の奥では、ファドの関係者か、スタッフらしい人が数人和やかに何やら立ち話をしていた。その奥にあるらしい厨房では料理の準備が始まっている様子。店全体が、気取らないけれどしゃきっとした感じで、なかなかよい。よし、ここでファドを聴いてみることにしよう。





ファドを聴くなら「日曜日」は駄目だという話を聞いたことがある。盛り上がらないらしい。「金曜日」がよいのだそうだ。歌もさることながら、聴衆の盛り上がりが素晴らしく、全体的に熱いファドの世界を堪能できるのだそうだ。なるほどね。





しかし、曜日を選んでいる余裕は我々にはない。「明日の月曜日の晩、2人分のテーブルは空いていますか? 」と聞くと、「空いてます。空いてますとも。全然平気ですよ。」とおっしゃる。え? ひょっとしてがらがらなの? 実はそんなに流行っていないの、この店? と、こちらが少々不安になるほどにスムーズに予約は受け付けられたのであった。





予約が済んだ途端に、解き放たれた気分。いままで散々路地をさ迷ったくせに、もうこの地区の路地は知り尽くした気になって、帰り道は来た道とは違う坂を下りてみた。





坂の途中にもぽつりぽつりとレストラン兼飲み屋がある。途中平たい階段になっていて、その階段部分にテーブルを並べている店もある。その店の奥から大音量でファドが聞こえてきた。なかなか渋い……? 夕暮れの始まった丘の中腹で街を見下ろしながらファドを聴いて一杯やるのも気持ちよさそうだ。





しかし、残念ながら思いっきりテープレコーダーから流れている! という歌声。いわゆるimitations of fadoってやつか? やっぱりファドは生演奏で、本物を聴きたいよね。ああ、明日が楽しみ、楽しみ。





坂の途中でケーブルカーにも出会う。ゴトトトトゴゴゴ……。硬い音を立てて坂を上っていく。石畳の街によく合っていた。「リスボア」という音によく合っていた


             つづく


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