本日、続けての投稿。今はちょっと体調が悪く、毎日グータラな生活を送っているので、暇を持てあましている状態。暫し私の事を知っていただくお時間を下さいませ。
まずは生い立ちからという事で両親の話。
父は既に18年前に他界しています。父は戦前昭和9年茨城の笠間市生まれ。産めや増やせよの時代、6人兄弟の長男として、国鉄職員の父と専業主婦の両親のもとに生まれました。
上に長女がいましたが、既にその長女である叔母とすぐ下の弟の叔父は40代後半で他界しており、生まれてまもなく一番下の妹も亡くなっています。現在は4人の弟がいます。
父は長男という立場であり、戦時中は叔母と共に汽車(時代ですね)に乗り、私の祖母の実家がある栃木までお米や野菜を貰いに行ったそうです。戦後の混乱期、何処の家でも大変な時代、それでも食料を貰えただけでも良かったと思います。
そんな苦労をしながらも父は高校大学と進学。大学は東京まで通いながら、母方の親戚が経営していた紙の卸業社に勤め、卒業まであと1年というところで、中退し、仕事に専念したと聞いています。
一方は母はこちらも同じ笠間の出身ですが、生まれは東京。母今年の1月に亡くなったばかり。
母の父親である祖父は元教員で、志願兵になり、戦犯ギリギリまで出世をし、毎日白馬で部下が家まで迎えに来ていたと聞きました。まるで「ハイカラさんんが通る」のような生活をしていたのでしょうか?その後は近衛兵(現在で言うところの皇宮警察)抜擢されたとか。終戦間際には南方へ行き、砲弾を肩に受けながらも命からがら帰還したとよく子供の頃聞かされました。
面白い祖父で94歳まで生き、母方の祖父母は私の結婚式にも出席してくれました。なんと祖父はもらった勲章を礼服に付けて出席したのです。
祖母も負けず劣らずユニークな性格で、私はこの祖父母が大好きでした。祖父はひ孫にも会い、その数年後にこの世を去りました。
祖母は信心深ぃj人で、私の事も良く神社にお願いをしてくれてました。きっと今も私の事を見守ってくれていると思います。
両親の話に戻りますが、父は親戚の会社に長年勤め、私が中学生の時に独立し、社長となりました。
両親は結婚当初から恵まれた生活をしていたようで、私が2歳の頃現在私達が住む土地を買い、居最初の家を建てました。
その後も会社は順調で、私が子供の頃は祖父母を度々食事に連れて行ったり、親戚一同旅行にも連れてってくれました。祖父母との食事は父が病気になるまで続いたのでした。
そんなわけでバブルも手伝って私も妹も私立の大学まで出してもらえたのです。
さて生い立ちはこの辺で。
その後の話はまた次回にしましょう。