「愛の裁判」

— ロベルトシューマンとクララヴィークの結婚 

これは19世紀ドイツ音楽界に於けるお話です。ドイツロマン派の作曲家R.シューマンは、大恋愛の末に、当時売れっ子の女流ピアニストであるクララ ヴィークと結婚します。しかし、その結婚には多くのハードルを乗り越えなくてはならない苦難の道程でした。「愛の力は鉄よりも強い絆である」ことを信条として渾身の努力の結果、最終的には1年以上に亘る裁判でその行方を争うことになりました。シューマンはありとあらゆる主張を繰り返し、クララとの愛が不変にして、唯一無二であることを訴え続けて、最終的に勝訴します。

 

このシューマンとクララの恋愛は、音楽史上のトピックスのひとつでありますが、19世紀のドイツには、愛を成就させるための裁判制度が存在したことは興味深いところであります。しかしながらあくまでも当事者にかかわることでありますから、裁判所は当事者の合意を得るべく、それぞれを呼んで合議の席に着かせました。

 

日本では家庭裁判所においても、結婚のための合意については、日本国憲法憲法に保障されているとおり裁判所が関わることはありません。現行の日本国憲法では、第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」とあります。

 

この「合意のみ」という文言は今後の憲法改正案では「のみ」という言葉が削除されるようです。つまり、当事者どおしがいくら合意してもそのことだけを権利として主張しても今後は婚姻は成立しませんよ・・ということを示唆しているわけです。これには様々な社会事情や時代環境、人間環境等の変化がもたらすものと推察されます。

 

ですから今後の日本国では、現行日本国憲法の下では許可された「当事者の合意のみ」誰も邪魔するな・・という発想は多分遠くに追いやられることになると推察します。特に、シューマンとクララのような場合には残念ながら、すべてに優るあふれんばかりの愛はあれども、法律的に有効な婚姻を成し遂げることが難しいケースも出てくるでありましょう。

 

シューマンとクララの結婚は1840812日、ライプチヒの裁判所の決定により認められ、晴れて婚姻証明にサインをすることができたわけです。結婚式は1940912日、クララの21歳の誕生日前日でありました。

 

 シューマンは子どもの頃から秀才であり、幼い頃から音楽も、詩も勉強も出来たエリートでした。将来有望な行政官にするために、母親は一生懸命に教育に励むのでした。そしてそのかいあって、当時、ドイツでわずかしかない国立の法科大学に合格します。彼は母の願い通りに一般社会で、社会的な地位を目指す環境が整いました。

 

ところが、親の期待に応えて大学に入っても子どもの頃からの音楽への思いを捨てきれず、大学で全く勉強しないばかりか、ついに母親に、音楽の道へ進ませて欲しいと懇願します。母は、大変困惑しながらも、当時ピアノ教師として有名であったフリードリッヒ・ヴィーク(クララの父)に相談します。ヴィークは「おたくの息子は才能がある」と回答します。

 

 

これにより、シューマンは一気に、ピアノを目指して猛練習をします。しかしながら、ピアニストになるのはスポーツ選手と同様、子どものうちから組織的、機能的な修練を積んで行かなくてはならない厳しい道ですが、法律家を目指していたシューマン家にあっては、そのような訓練は行ってきませんでした。ただ音楽が好きでほとんど自己流で、ピアノを弾いてきたわけです。

 

フリードリッヒ ヴィークに入門を許されたシューマンは、遅咲きピアニストを目指して、尋常の練習では間に合わないと判断し、指を拡張する機械を作り、無理に無理を重ねた結果、指を痛めてしまい、ピアニストの道を断念せざるを得ない状況に陥りました。シューマンのピアニストとしての夢はここで断たれるわけです。

 

 その一方でヴィークの娘クララは、すでに早期教育のかいあってまだ10代の娘でありながらすでにヨーロッパで認められるだけの腕を持っていました。これにはヴィークの独特な教授法が功を奏したのでした。ヴィークは、ただ機械的に楽曲を弾かせるだけでなく、ピアニストとしてのテクニックの訓練のほかに、楽曲を美しく歌わせる基礎能力を育成していました。いわゆる声楽の訓練をピアノの練習と平行して子どもの頃からやっていたわけです。ですから、クララのリサイタルのプログラムには自作の歌を含めて、自ら弾きうたいすることもしばしばだったようです。

 

 クララが10代後半になるとすっかり娘らしくなり、そのピアノの演奏技術にも磨きがかかってきます。一方、シューマンの方は、指を痛めて今後の音楽家としての将来に不安を抱きつつ、ピアノに向かって、いくつかの楽想を具現化していくのですが、それを見て、ヴィークは、その非凡さを見抜き、作曲家になることを勧めます。こうしてヴィーク家に出入りするようになったシューマンは、クララの音楽性に惹かれていき、やがて、それは恋愛感情に発展していくのであります。

 

その事態に気づいたヴィークは、悩みますが、結局この恋愛を認めるわけにいかない。ましてや絶対に精神的に問題のあるあの男には嫁にはやれないと確信していくのであります。それは、シューマンのレッスンを通じて、彼が躁鬱傾向が強いこと、クララは、自分が育てた娘でありこれからもヴィーク家の収入と名声を得る大事な存在であることが大きな理由でした。しかし、クララは違いました。シューマンは自分にない部分を全てもっていると感じたのです。だから、二人は強く愛し合います。その結果、結婚は「裁判」での決定という泥沼になってしまいます。

 

 20歳代のシューマンは作曲家として地歩を占めつつありましたが、まだその音楽は一般には認められてはいなかったのです。それはあまりに、常識を越えた音楽の書き方だったからでした。当時、メンデルスゾーンや、ショパンは天才として世間に名が通っていました。特にショパンはピアノ音楽にかけては現代でも聖典となっております。ただし、ショパンの結婚も彼が不治の病に冒されているという理由から相手側の親戚の猛烈な反対にあい、やむなく孤独の人生を歩むことになったのであります。

 

明るく見える響きは孤独と哀しみの裏返しなのです。メンデルスゾーンやショパン、その自然で優れた音楽書法は当時のシューマンにどのように影響を与えたか計り知れないものがあります。ショパンのようにならずに、メンデルスゾーンのようにでもなく、いかにして自分の世界を形成していくかが彼の若い頃の課題でもあり、ひたすら難解にして不可解な書式を試みるのであります。

 

それが後にいわゆるシューマンらしさに繋がっていくわけですが、ただ音楽の書き方は難解であったにせよ、そこには文学的な要素や、哲学的要素が投入され、シューマン自身の音楽家としての生き方が確立されていくわけです。しかし当時は誰もこの難解な音楽に耳を傾ける者はいませんでした。

 

 クララの父、フリードリッヒ・ヴィークはクララとシューマンの結婚を頑なに反対し続けます。そして、ついに、シューマンとクララは、特にクララにとっては実の親になるわけですが、1年以上にわたる裁判でついにシューマンが勝訴して、二人は、晴れて結婚することが出来ました。

 

神の名のもとに絶対なる愛が勝利しましたが、文字通りシューマンとヴィークの争いは「愛の裁判」と呼ばれる音楽史上、有名な事件となったわけです。

 

シューマンの妻となるクララ・ヴィークはヨーローッパ随一のピアニストとして、脚光を浴びていました。彼女こそはヨーロッパ初の女流ピアニストとして、後の音楽界に大きな影響を与えていく人物なのです。そしてシューマンの音楽が後の世に残ることになったのは演奏活動において必ずシューマンの作品を披露し、機会があれば繰り返し世間の人々に訴えかけていったクララの情熱的な啓蒙活動に支えられたものでした。

 

こうして泥沼の裁判を勝ち抜いたシューマン夫妻ですが、まもなくヴィークが心配したとおり、躁鬱病は結婚直後からだんだんひどくなり、彼が創作する音楽も一般の人には理解しがたい偏屈な境地に達することになります、そしてその精神の異常をクララは一生懸命支えていくことになりますが、結婚生活が幸福であったのはほんの数年に過ぎず、晩年は、夫の精神的病から自殺を防止するため常に監視下に置くといういわゆる介護生活状況であったわけです。

 

クララはそんな夫の姿を世間にさらしたくないとして、精神異常をきたした数年間の彼の作品を上演禁止にしたり封印したりしています。

 

 シューマンがドイツ音楽界で成功を収めた頃、ヴィークはシューマンに和解を申し入れる手紙を書いています。これも、卑怯な父親という解釈がありまし たが、私はむしろ逆でシューマンの精神疾患がひどくなる前に、父として何か出来ないか、考えたのではないか。その頃、クララはシューマンの曲を広めようとヨーローッパ中を演奏旅行で回っていました。そして子供が次々に出来るわけです。

 

夫は部屋にこもって作曲ばかり。子育ては すべてクララ。とにかくお金がありませんでした。メンデルスゾーンなどから援助を受けながらどうにか、クララは夫と子供を支えます。クララには天才作曲家 シューマンの曲は、私が広めるしかない、という自負があったのでしょう。あれほど世間を騒がした結婚の行く末はあまりにも気の毒な状況に陥ってしまったのであります。

 

これを見る限りでも「愛は鉄より強い絆」であっても、夫婦間の相互の、生活バランス感覚こそが健康なる結婚生活の礎となることがおわかりいただけるでしょうか・・。シューマンの終焉地を訪問すると今でも胸が痛みます。21世紀の医療なら救える命が若くして散ってしまったのです。

 

クララが健全であっても彼の精神錯乱は救うことができなかったわけです。ですから音楽家は心身健康にして、頭脳明晰が21世紀には求められていくことと思います。特に将来ある若い音楽家たちには充実した幸せな結婚生活を心から願っています。

 

ちなみに日本国憲法第24条には次のように定められています。

 

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

 

これを読む限り、日本においては愛を成就させるための裁判制度はありません。結婚は当事者同士の合意をもって成立するが、仮に結婚に至る過程での様々な制約や事情があったとしても法律はそこまでは介入しませんよ・・ということを現行の憲法では言っているのであります。したがって「私たちを結婚させて下さい」と訴えても日本の裁判所は受け付けないのであります。