先日何日かの休みを利用して信州松本まで足を伸ばした。松本は小澤征爾の記念フェスティバルが行われる都市であるが、私の家からは中央線、「スーパーあずさ」一本でいけるので地の利がよい。一度行ってみたかった「旧制高等学校記念館」を訪問した。かつての旧制高等学校の生徒達がどのような姿勢で学問に取り組んでいたのかがよくわかるのである。

彼らは決してガリ勉一本槍の青年達ではなかった。ほどほどに余裕もあり、寮生活を楽しみ、また講義においては教授との人間交流も豊かにあったように見うけられた。それは旧制のことだから規律も厳しかったに違いないのだが、彼らは規律を守ることに関してそんなに抵抗があったわけでもないように見うけられた。

旧制松本高校の生徒達は、花街にあってもよくもてたそうである。学問の道を志す多くの若者達もここから巣立っていったが、彼らは学問に夢を抱き、人生にロマンを抱く、そして深い思考への道を辿る「音楽家たるものもかくありたい」と思える羨ましい存在感を感じたのである。

 

旧制高校では多くの学問情報は留学経験のある教授達によって生徒達に伝えられていった。そして生徒に慕われ尊敬される教授達に共通なことは「人間としてどう生きていくべきか、なんのために学問をするのか」ということを明確に示すことができたことである。

これが現代においても教育の根幹に据えられていなくてはならない。芸術の研究も教育もまた表現活動に至る過程にあって、「私は何をこの中に見いだしていこうとするのか、それは人々の幸福に繋がるものなのか・・」という基本的命題に立ち返らなくてはならないだろう。

私の大学時代の恩師がある日語った「音楽はやはり死なないだろう・・」という言葉の意味を改めて重く感じている昨今である。大学教授たる者は「曲学阿世の徒」であってはならぬ。悪いことや、やましいこと、出世のことばかりを考える者、人を陥れて満足し、なんの反省もない不逞な輩への警鐘と受けとめられたい。残念ながら学者らしい学者の姿をそこに見ることは難しい。それは忌むべきことである。

若い学究の徒は、実力を身につけ、真面目に努力し、教育研究に励み、そして人格の陶冶に励んでいれば早かれ遅かれ自ずから自分にふさわしい職位に就くことができるはずである。あまりに人格が悪いと「おまえはそんなことのために音楽芸術に挑んだのか・・」と嘆かわしくなる。人格が悪い者は、教育研究職に在ってはならない・・と私は確信するのである。