数日前のタマラさんのブログ「才能」。


才能というと、とてつもなく特別なことをイメージしがちで
「私はなんの才能もありません」という人が多い。

そういいながらも「才能」を探し求める訳なんだけれども、自分が当たり前にできることはみんなが出来るんだと思い込んでしまっているせいで自覚がなかったり

せっかく「好きなこと」があるのに、
〔人に言わない〕=〔世に出せてない〕=〔活かせてない〕
という簡単なことに気付いてなかったりする。


そんな中、自身の「才能」をみつけて
いわゆる「開花」したという言葉がぴったりな状態にある方たちに
ここ最近立て続けに会っている。

「才能」は一人にひとつじゃないし
その人達もこれまでもいくつかの「才能」を活かして生きてきていた。

魂のプログラミングの上で
進路変更して選択し直す時期だったり
成長したお陰で【その時】が来て新たな能力が開花するようだ。

彼女たちもそこに来るまでは大変だった。
何か新しいものの気配を感じて探し求め
時に迷子になったり
足掻いたりしてるのをみてきた。

開花する人たちの共通点がいくつかあるように思う。
まず、今やるべきことは手を抜かずやること。
自分の可能性、未来への希望を持ち、決して諦めないこと。

例え違ってもひるまない。
トライして違うとわかれば次へと進む。

コレと決めたらたとえ初めはうまくいかなくても、自分で納得するところまではやめるという選択をしない。

そして何よりも感覚を大切にしている。

◯か✖️か、何がどう違うのか。
魂と共鳴するってどんな感覚なのか…

初めは私と何度も会って「感覚」の答え合わせをしてその感覚を磨いていき、自分の感覚を信じることができるようになるとそこからは進むスピードが速くなる気がする。

自分の才能を知る=自分を知ることによって「自分」が確立されることや、その過程で得られる色んなことが重なり成長となり、「その時」を迎える準備が出来るんだろうなと思う。

☆ ☆

才能って言われるものは
過去世で似たような経験していたりする。

だから例えば本やネットで知識を学べば
まるで知ってたかのようにぐんぐん吸収するし

はじめての事なのに「手」や身体が自然に動いたりする。

いわゆる「なんでかわからないけど『わかってる、知ってる』感覚」だ。

気付いたら時間が経っていたなんてなるほど好きで夢中になれる場合も多い。

最近そんな姿を見せてくれた方々に共通しているのは
エネルギー状態が抜群にいいということ。

魂と共鳴してるからかエネルギーが大きくなり、喜びのエネルギーで輝いている。

全体のエネルギーバランスが取れていて
肉体の疲労があっても、エネルギー的にきちんとケアされているからさほど影響がない。

聞くと、ご本人たちも口を揃えて
「すごく心身の調子がいいんです!」
ということになる。

私にとって石がそれと同じでとてもよーくわかる。

最近、一日1時間でも隙があれば石と触れ合っている。



繋ぐだけじゃなくて、石にまつわる事務的作業やPC作業もしてるんだけど
苦手なはずのことも
石が絡むと集中してる自分がいて
その後の心身がフラットになる。
これもひとつのセルフヒーリングだなと思う。



誰にでも「才能」と言われるものはあるはずなのになぁと改めて思う。

お料理、整理整頓
畑仕事、ものづくり
身体を動かすこと
書くこと
伝えること
アート
動物
子供…

世の中で人間が携わっていることは
無限にあるはずだから。

自分の好きなこと、得意なこと。

思い当たるものがあったら
誰かに話してみたらどうでしょう。

誰でも出来ることだし…
と思ってるのはあなただけかもしれないですよ^ ^