やっと、やっと書ける勇気が湧いた。

タイトルのスピリアリズム


これが私の中のベースであり、軸であり、道。

このスピリアリズムの道を貫く人生のために自分に必要、不可欠だったものが
タマラであり
タマラと出会ったから
スピリアリズムという概念が形となりつつある。

始めに言っておくと
スピリアリズムとは造語だと思われる。

ある日頭に浮かんだ。
「スピリチュアル&リアリズム=スピリアリズムじゃん」

ググってみると同じ感覚で捉えてる人たちがすでに使っている言葉で
それもまた嬉しくてワクワクした。


スピリアリズムってなんじゃっていうのは雰囲気で感じながら今後発信するものから掴んで貰えたら嬉しい。

その前にスピリチュアルへの私の葛藤の話から。


前の記事に書いた「分離」の原因は私のスピリチュアルへの意識の偏りが要因だ。
こだわりが強いくせに、
大切に思っているくせに
真正面から向き合うことから逃げた結果の偏り。

スピリチュアルワーカーという肩書きを付けた時、ある覚悟をした。

本当のスピリチュアルを探求し、
スピリチュアルの本質を伝えたいと
決めた。

ある行動に移すことで少しはチャレンジした時期もあった。

しかしイタチごっこだと感じた時に心が消沈した…気付かなかったけどやり切らないうちに諦めちゃっていたんだとやっと気づいた。


私がスピリチュアルと言われる世界に入った頃はまだ「スピリチュアル」という言葉はそれほど浸透しておらず、
本屋に行っても店の奥のマニアしか行かないような場所に
「精神世界」「ニューエイジ」というカテゴリが付けられ
暗めの表紙の色に重そうな怪しげなタイトルの本が並んでいた。
隣のカテゴリは「宗教」といのもお約束。

そのうち江原さんの登場でスピリチュアルとい言葉が知れ渡り
ネットが一般家庭に普及したことでブログやmixi、掲示板などで情報が拡散されていった。

本屋にも明るいイメージの本が増え
江原さんの著書はもちろん、
バシャールやシルバーバーチ
アロマ、カラー、パワーストーンなどセラピーに
オーラ、チャクラ、ヒーリングなど
キラキラ鮮やかなイメージになりバラエティ化していった。

今思えば私が足を踏み入れた頃の方がスピリチュアルの真意に近かったように思う。

私はよく「今のスピリチュアルはエンターテイメントだ」と言うけど
昨日話していた友人が
「日本で広まっているスピリチュアルはPOPカルチャーだよね」という言葉で
頭を殴られた気がした。

自分では散々いうくせに
そんな風に思われているなんて!!!!とショックと同時に
お前は何をやってんだとパンチを食らわされた気がした。


スピリチュアル、めちゃめちゃ好きです。

スピリチュアルの話なら一晩中できると思う。

でも現状は
自分の思うスピリチュアルと温度や色があまりにも違う。

まだ初期にかじったヨーロッパのスピリチュアリズムや神智学、エジプトの古書の方が腑に落ちるところがあった。

もちろん、タマラさんを始め
本質を伝えてくれている方もきちんといるし
札幌あたりは10数年前に比べると随分淘汰されてきたようにも思う。
選ぶ側の目が肥えてきたのだろう。

といいつつ
私は大きい声で自分が信じてるものを提唱する勇気がずっと持てなかった。

同業者の人たちや
お客様に嫌われたく無い気持ちがあったのかもしれない。
感覚で捉える自分の言葉でどこまで伝わるか自信もなかった。

間違えててもその人たちがそれでいい状態になるならいんじゃない?と思える自分もきれいごとではなくいた。
その人がいいならいいんじゃないかと。

本当のことを知らない方が幸せなことって人間には案外多くあるものだと言い訳して…。


確かミラクルカンバセーションを受けた後だったと思う。

一時期、私の中の暴れん坊が表面化した。

その暴れん坊は
何が⭕️でどれが❌か分かっちゃうやつで
❌を目の当たりにすると誰かれところかまわず「ちげーし」と投げつけそうになるもんだからそれを抑えるのに苦労した。

なんども暴れん坊を奥に閉じ込めた。

「言っても仕方ないんだよ。
相手に求められた時だけ出てきてくれ。」

そんな風に閉じ込めた。


先日ふと、気配を感じなくて探したら眠ってしまっていた感覚だった。

どれだけぶりだろう、対話をしてみた。

閉じ込めたのは私の覚悟が足りなかったから。

それでも閉じこもってる間に私なりに受け入れる準備をしていた。


暴れん坊にそう言われた気がした。

ここしばらくを振り返ってみると
確かにインプット時期だった気がする。

人とは、
生きるとは、
エネルギーとは、
みえない世界、宇宙の仕組みとは

まるで魂の中にある引き出しを開けて
中の本当の情報を自分のものにする為のような出来事がずっと続いていた。

もちろん、自身のためであり
ひとりでも多くの人と共有するためのものだろう。

知ってほしいなんて言えるほど
たくさんのことを知り得てはいない。

真理なんていうのは人間として生きてるうちに知り尽くせるほど簡単じゃないと思う。

だからこそ少しでも知ってることを伝えていくしかないし生涯探求し続けたい。

だから私の道はスピリアリズムだ。

スピリアリズムな話はまだまだあります。

伝えたいことはてんこもり。

毒舌満載にならないように気をつけますd( ̄  ̄)

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