昨日、温暖化問題の番組を見ていたら、井戸の水がかれてしまい、バケツ一杯の水を相等の値段で毎日買って生活する話がありました。それじゃ、風呂も入れないし、トイレも流せない・・・生きるために最低限の水・・・・こういうのを見ると、いちいち考えてしまいます。

朝起きて、花に水をやる。これも結構な分量。
洗濯は残り湯を使うけど、すすぎは清水。
子供達は皆、朝シャン、シャワー。

どこかに手を合わせてあやまらないといけないような気分になります。

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今朝、蓮が咲きました。うれしい・・
自然に・・感謝・・

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毎年どこからとなくこぼれダネで咲くピンクサルビア・・・今年は、玄関脇で咲きはじめました。
うれしい・・・久しぶりだね・・・と声をかける


昨日はどういうわけか、いろんな人が来て、いろいろおしゃべりしました。
このごろの事件の事、子供たちの事、大人の事、老後の事・・・書いたらきりがない


3丁目の夕日の頃の生活を、このごろすごく持ち上げるけど、じゃ、どうだったの?
私の家はその頃激貧で、おばあちゃんの働く保育園の給食の残りで生活したり、よその家に預けられたり・・・同居のおじおばは、皆、結核で、療養所。私も発病して、そこへ目を患って、父は胃がん・・・とんでもない・・・だけど、井戸端で洗濯機回しながら、よく母と歌を口づさんでました。電気がもったいないからと、すすぎはたらいの井戸水で・・・
曲は、「原爆の歌」「流浪の民」「ます」「花」・・・母が結婚前に合唱団で歌っていたレパートリー。
二人ともソプラノもアルトも歌えたので、常にハモってました・・・それが3.4歳。家に入ると、母の縫い物の残り布をもらってお人形の着物を作ったり・・・洗った茶碗を拭いたり、ちょっとしたお手伝い。

今の子と、違うのは、いつも母や祖母のそばにいたこと。
そして、その母や祖母は、いつも家族のために手を動かしていたこと・・・かな?

洗濯、掃除、買い物、調理、保存食作り、畑、田んぼ、縫い物、小さい子の世話、年寄りの世話、仏様への仕事、冠婚葬祭・・・たまに近所のおばちゃんとおしゃべり。その傍らでひっそりしていたっけ。
子どもは大人の邪魔をしないように・・・大きな子どもが小さな子どもを連れて、畑や田んぼの隅で遊んだりしてた・・・乳母車に妹や、いとこを乗せて、よく、牛を見に牧場へ行ったっけ・・

今は子どもが主役です。意のままに生活する。ままならないこと・・・我慢できないし、認めたくもない。不愉快なことは消去したい。親の苦労や辛抱を、じっと見て、自分のつまらなさに耐える・・なんて経験した事もないんでしょうね・・・・


私も3人の子育てをしています。えらそうなこと言って、そのうち家の子も何かしでかすかも・・・
それはわからないけれど、もう、かなりオトナに近づいている彼ら。何かあったら帰れる場所・・しばらくはそれに徹していよう・・・・

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今日の着物は、テト綿に、紗の半幅。
半襟をつけてしゃんとしたかった・・・・


友人(男性)が、幼い子2人と奥さんを残して、彼女と失踪したらしい・・・
こういう話もだらしないくらい溢れていますね。
ドラマは、そこで終わりだけど、実際の生活にはその先がある。
ゲームはリセットや消去ができるけど、生身の私たちはできないんです。

生きていくのは自分自身。イチローの3000本じゃないけれど、こつこつとした丁寧な毎日の積み重ね。これに飽きちゃいけませんね・・・


お向かいの新築現場・・・なんだか変・・・
まず、材木のにおいがしません。
釘を打つ音もしません・・・・パシッと、タッカの音はします。
のこぎりもカンナもノミもない現場。
新建材とボンドだけが、どーんと並べられています・・・・・見てると辛いです