数年ぶりに哲学(?)(2020.10.17) | ききみみずきんのブログ

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今までに学んだことや✏️経験したことで、読んで下さる方の役に立つようなお話や、元気が出るようなお話をお伝えしたいと思います。文体は断定的ですが、心は柔らかく優しいので、いつでもコメントをお願い致します‍。

冒頭から暗い話で申し訳ないけれど、もう10年以上前に自分の価値に疑問を感じ、人生を終えようかと迷ったことがあった。とかなんとか言って、そうそう簡単な話ではないことくらいわかっていた。

 

その頃様々な本を読み漁った。哲学や宗教関連のものなど。しかしここ数年で心に迷いがなくなったのかも知れないし、考え方も僅かに変わったのかも知れないが、その類の読書量がめっきりと減った。

 

そのような中で、ここ最近ある人のお陰で、改めて自分の生き方を反省する機会をいただいた。

 

 

哲学や宗教を否定したり非難したりする人は多い。それはなぜかと考えると、おそらくみなさんが宗教を嫌うのは、宗教そのものを嫌うのではなくて、それを強引に勧められるその手法と、入信したら「お布施」という形でお金を巻き上げられるという先入観から、宗教というものに対するイメージが悪くなっているだけだろう。

 

私もその点は同感である。そこには宗教を毛嫌いする充分な理由がある。しかし、物事や人間にはすべて、長短所やメリットデメリットがあるように、上記の宗教の短所はさておき、長所があることも考えると、それを見てみることで人生は拓けると確信している。

 

人間で例えるなら、ある人の嫌いなところを見つけたら、その人の人格全てを否定するようなものである。その人には、その短所を上回る長所があるかも知れない。見つけられないとしたら、それは自分のせいかもしれない。

 

そこで話は少し逸れるが、「相手に長所はない」という見方をする人は、それが相手のせいであり、自分を振り返ってはいない。その時に限って言えば、自分中心の考え方をしていることになる。こういう人もいつも自己中だとまでは、私は言わない。

 

逆に、「この人に長所が見えないのは、自分の感性が研ぎ澄まされていないからかも知れない」と自分を振り返って考える人は、相手に対する思いやりがあり、融和の精神を備えている人である。

 

話を戻すと、私は周りの人に宗教を勧める気持ちもないし、勧める立場や資格を持ち合わせていないが、何かの宗教に入信せずとも、宗教的考え方は学ぶことができる。私が言いたいのはその点である。もっと言うと、「信じる者は救われる」「だから、○○教に入りませんか?」って言うけれど、「信じる者が救われる」なら、「入らなくても信じたらいい訳でしょ?」という理論になる。私はそういう考え方である。だから、私は敢えて宗教には入らない。

 

少しつかみどころのない話になってしまったけれど、私は今、十数年か数十年ぶりに、自分を振り返るという作業を毎日行っている。繰り返すが、私も「宗教」(勧め方とお布施に関して)は嫌いである。ただ単に、人間としての生き方を勉強をしているだけである。

 

なので、日々の学びの中に、何か心に響いた話やエピソードがあれば、またここに投稿したいと思う。

最後に、文体が断定的で偉そうに感じたら、お詫びを申し上げます。