「生きる意味」を「生きる価値」とか「生き甲斐」とつい読んでしまう人がいることでしょう。
「生きる意味なんてないよ。」を「生きる価値なんてないよ。」「生き甲斐なんてないよ。」
と読んでしまう人がいるでしょう。
何か違和感を感じませんか?
「生きるという現象に意味を見出すことができるのか?」という問いと
「Aさんが生きる価値がない」、「自分の生きがい」という価値論がどうもごっちゃになりやすい。
あえて、主語をつけないのも、「ごっちゃになりやすい」を増長しているのではないでしょうか?
それで、生きるという現象に意味を見出そうとすると、人に特定せず、あらゆる生物について考える必要があるでしょう。
注意するべきは、「意味」というのは、「別の解釈」と読むべきなのです。
意味を問うとは「その言葉だけじゃよく理解できないから、別の言葉で理解しやすいようにする」ということなのです。
生きるは現象をあらわす言葉です。生命活動をもっとよく理解するには、
少なくともアミノ酸由来の生物ではない生物を見つけて共通点を探す必要があるでしょう。
最近そのような生物が地球上で見つかったそうですね。
もちろん、それだけでは一視点にしか過ぎません。あらゆる生命活動を観察して初めてわかることでしょうから
全てを理解するのは難しいでしょう。マクロな世界では地球ですら生命活動していたりするのかもしれませんし。
ミクロな世界でも生命活動に近いものが存在していたら面白いです。
こうして考えると生は随分と謎なのですが、何か共通していえそうなことは自律的活動なんじゃないかと思うわけです。そう考えると物理法則にその鍵があるんではないかと。
じゃあ神がいるとしたらそれは物理法則そのものですね。
生きる価値について考えてみましょうか。
まず価値というのは身近なもので例えると価格です。なんでも金に換算するなと怒られちゃいそうですが。
それで缶コーヒー1本120円とか100円とか価格ってかっちりきまってはいなくて、
「定価はあってないようなもの」といわれるようにほんと好き勝手に販売者がつけるんですよね。
でも売れなきゃ仕方ないので売り上げ最大になるように安くしたり高くしたりするのです。
人(人数は一人に限らないかも)が価値を決めるので、全員が一致することは非常に稀なんですね。
でも「あなたは生きる価値がありますか?」と問われたら「誰があなたを値踏みするのか」という情報がありません。こういうときは「誰でも納得のいくあなたの生きる価値はありますか?」とか
「あなたはあなたが生きる価値を持っていますか?」という風にいくらでも値踏み者の指定ができるのです。
1.「誰でも納得のいくようなあなたの生きる価値」
そんなもんあってないようなもんです。いくらでも変わりますし、別にあなたは商品じゃないんだから
売れなくても良いのです。売れたいんだったら搾取されないように気をつけましょう。
2.「あなたはあなたが生きる価値を持っていますか?」
単純に自分を評価してください。過剰評価で良いです。評価なんてそんなもんです。
名誉欲。
他者から評価されると、何かと得をする結果が待っている経験があるからかもしれません。
自分の意見が尊重されたり、物質的な報酬に繋がったりしますからね。
でも他者の評価も自分が自分自身を評価したときの評価も結構無根拠ですよ。
純粋に評価できるのは数値化されている場合だけです。
査読付き論文を何本書いたとか、貯金がいくらあるとかそういうもんだったら
序列をつけられます。
だから気にしないのが一番楽でしょう。他人の評価なんてあてにしないで
自分の好きなことを追求した方がよっぽどその手のマニア連中に評価されちゃいます。
お気楽主義でいることは決して間違いではありませんし、
変な宗教団体にひっかかって、労働力やお金などを搾取されたり、
他の人達からの信用を失うことに比べたらマシな生活を送れるでしょう。
不幸が訪れたら、そのときだけ悲しんでも良いです。でもそれに足をひっぱられないように生きましょう。
過去に起きたことを覆すのはできません。全ての状態は永遠には続きません。
それを受け入れて、生きるようにしましょう。
結局、先が見えない世界では手探りしながら前に進むしかないんですよ。