宗教には色々あるのですが、私は俺様教という宗教に入っています。
教えは自らが考え体験し構築していくというものです。

人生について考えてみましょう。
人はただ目的もなく生まれ死んでいきます。
まるで機械のように死後の世界は単なる鉄くずになるのと同じです。
観察したらわかります。身内が亡くなったときに燃やされ骨になりました。
それではあなたは何故生きているのでしょうか?
それは本能によるものです。それ以上でもそれ以外でもありません。
人は生物であり、生物は自然に何億年もの月日をかけて、「生きる」
ようにプログラムされてきた結果です。
うつ病によって死にたいと考えることがあるかもしれません。
それでも本能によって死ぬことをためらうことがあります。
むしろ躁の状態で判断能力が鈍ったときに自殺決行してしまう可能性があります。

人が生きる目的とは?
そんなものありません。作りたい人は勝手に作って構いませんが、
作らなくても生きている人はたくさんいます。
生物は生きるようにできているのです。

ここで一つ疑問があります。
生物は自然に何億年もの月日をかけて、「生きる」ようにプログラムされてきたのでしょうか?
ここだけは確かめようがありません。しかしながら自然の中の生存競争が
大きく作用してきた可能性は、死後の世界の存在可能性よりはそこそこ真実味がありましょう。
従って俺様教では生存競争よりも真実味がある仮説が出て来ない限りは
これを信じます。そういう意味で宗教と言えます。

仏教は確かにうまいこと言うなという側面があります。
源泉は確かに澄んでいて美しかったことでしょう。
俺様教では源泉と下流を分けて考えます。
下流では様々な思惑があって、淀んでいることがあります。
ですから、自らが考え、源泉を見て、良い部分は吸収し、
悪い部分は吸収しない。重要なことは人の言葉を鵜呑みにしないことです。
自分の頭で考えることが大事です。

従って、群れて同じ考えを持つ必要はありません。
俺様教は人の数だけ存在します。
俺様教の教祖は自分一人で良いのです。
弟子は不要です。弟子をとること自体が教義に反します。
なぜ自分で考えないのかと。

人の不和は当然ながら発生します。
リソースの奪い合いが起きているときに発生します。
その際に欲が生まれます。欲しいということです。
欲しいの度合いが大きいとストレスの度合いも大きくなります。
ストレスによってできる体内の生成物は涙などに含まれて排泄されるようです。
怒りによって発散させる人もいます。
これは他者にとっては脅威になる場合があります。
自らが怒りを抑制するのは、自分を相手の立場に置き換えることをする人であり、
自然と習慣づけされている人もいれば、それをすることである種の名誉欲が満たされ、
その欲を代わりとする人もいます。
こういう行動はその人の育った環境に大きく影響を受けていることでしょう。
怒りの感情は自分の思っていることと違うだけでも発生します。
体の病気が原因である場合もあります。
母の場合は腎臓がやられていて、そのせいで膵臓がやられて、糖尿病になっていて
体の痛みも伴っているためにいつもイライラしていました。
こういうのは怒りを作りやすい状態であって、何かの欲を邪魔されたという説明には
あてはまりません。

怒りという感情は様々な要因があって起きるものであって、
これも実は本能によるものではないかと考えています。
体はおバカな部分があって、戦闘態勢だと感じると(痛みを感じるなど)
怒りを発生してしまうことがあります。もちろん競合が発生したことによって
生じる怒りもあります。
いかにもわかった風なことをいう人は自分で考えていないか、体験不足といったところでしょうか。
はっとするあたりが、自分で考えず、体験不足であることを露呈しているように思えます。