昨日、マンハッタンにある小さな音楽学校で開催された大人のための室内楽ワークショップに参加して、ドボルジャークのDumkeyの1楽章と2楽章を別々のグループで弾かせていただきました。
この2楽章をコーチングしてくださった先生が若い女性のバイオリニスト(たぶん日本人)だったのですが、これがどうして面白いことがたくさんありました。
まず、Dumkeyの定義、構成から始まって、全体のコンセプトを全員で確認しあい、とりあえず一回流してから、細かく分けて練習していく。Dumkeyはピアノ、バイオリン、チェロのトリオのための音楽ですが、弦楽奏者の先生からピアノにも細かく指摘が入り、これがどうしてなかなか新鮮!
中間部のffに更にfuriosoの指示が与えられた部分、ピアノパートにもfuriosoとあるのですが、どこまで激しく弾いてもよいのか決めかねていました。M氏は、「furiosoってあるけどね。。。」と懐疑的だったし。ところがバイオリニストの彼女は
「ピアノにはfuriosoはついていないの?
「はい。ついていますが・・・やっちゃっても良いんでしょうか?」
と私。すると
「もちろんやるでしょ!思いきっりやってちょうだい!」
なんだか嬉しくなってしまいました。ピアノを弾いていて「思いっきりやっても良い」という瞬間はあまりないような気がします。思いっきりと言ってももちろんコントロールはされているわけなのですが、どうもいつもどこかで無意識にやりすぎないようにブレーキをかけているような気がします。
やりすぎないようにブレキーをかける、というのは、ピアノだからなのか、日本人だからなのか?ピアノと比べて、弦楽器奏者の人は比較的自由な気がします。それは歌う楽器だからなのかと思いますが、感情を表現することに垣根がなく、とても自由に見えます。ピアノは伴奏的な意味合いも多い楽器だから、どうしても下支え的な感情を押し殺してリズムを淡々と刻む的な要素が多いかも。(それが払しょくされるのがロマン派意向なのですが。)そして、私が子供の時に「思いっきり表現しなさい!」と言われたことはおそらく一人の先生を除いてはなかった気がします。とにかく「譜面通りにきちんと弾きなさい。余計なことをするのはそれが出来てから!」と言われました。そして余計なことをする時間なんて永遠に来ないわけです。そういう教育の下で育つと、今回の私のように「やっちゃっても良いんでしょうか?」という反応に行き着くのではないでしょうか。
アメリカで音楽のレッスンを受けるようになってから、
「思いっきりやっちゃって!」
と言ってくれたのは、彼女が2人目。
1人目は私が25年のブランクを経て初めてレッスンをとったN氏こと西川悟平氏。彼も良く、
「どんどんやってくれる?そこでやらないと他にやるところないよ!」
と笑い交じりに言ってくれました。
面白いのが、この2人ともが日本人であること。日本人も海を越えると、こうやって変われるのかもしれません。気持ちよく抑制された音楽は良いけれど、つまらなく抑制された音楽はつまらないです。そして私の音楽もつまらないなあと気が付いてしまいました。
