前回のブログから少し期間が経っちゃいましたてへぺろ

 

あまり、本を読む時間が取れなくて、ブログを書くところまでいきませんでした。

もっと本に没頭できる時間を確保したいビックリマークと切に思います。

 

と、言うことで今回はベクトール・フランクル著『夜と霧』について僕が読んで感じたこと書いていこうと思います。

 

 

この本の内容解説についてはあまりにも有名であるためそちらは

Googleなどで、検索してもらえばたくさん出てくるのでそちらに譲ることにします。

 

私はナチスがユダヤ人の人々に対し行った行為が許されるようなことだとは思おもいます。

人の歴史としてそれは、知っておかなければならないことのようにも思いました。

時代や価値観などは違えど同じ人が行ってきた歴史がそこにあるからだと私は考えます。

 

私たち人は当然ながら完全なる存在ではありません。

 

過ちや失敗・善行・成功と言うように多くのものをその身に含んでいると考えます。

であるから、私たちは学び無知なる者から知有る者へなり、己が人生に与えられた仕事を完遂しなければならないようにも思います。

 

この本からは多くの事を学び取ることが事が出来ると思いました。

 

まず、著者が精神科医であることから

 

収容所へ幽閉された人間の 心理の移り変わりや変化

生き続けた人間とそうではない人間との違いについて

現状自身が見舞われている環境をどのように捉えるか

 

大きくとの点について書かれていると思います。

 

『人はなぜ生きているのか・何のために生きるのか』


私にはこの考えが思春期以前よりあったのを想起させられました。

そして、その思いは私の20代という年代でも拭い去ることが出来づ絶望し、破滅的になっていたことを強く感じました。

 

しかし、今はいろいろな人とのご縁がありその課題は少なからず当時の私よりは解消することが出来ているようには思います。

 

ここで私が一番心に残った一文を紹介しようと思います。

『わたしたちが生きることからなにかを期待するのではなく、

むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ』

 

まさに、生きるということはどの様なことののかということを包括したような一文だと私は感じました。

そのような、思いがある方には一読していただければ何かの自助となるのではないかとも思います。

 

この、極限状態の状況下で人がどのような存在なのか・どう行動するのか・というような多角化した観点からも多くのことを学び取ることが出来る本だと思う。

 

私はこの本を読み様々な感情や考えが湧きあがりその、自身の内的変化にたいし、自己理解を深め私に与えられた人生を全うしようと思った

 

 

こんばんは。

 

ボクが暮らしている地域では、ここ1週間ずっと雨雨が降り続いていましたが、今日は久しぶりにお日様晴れの光が降りそそいでとても心地よい1日でした。

 

2回めの今日はデュマ・フィス著 『椿姫』を読んだ感想を書いていこうと思います。

 

 

話の内容としては、とある貴族の青年が高級娼婦に恋をしてその娼婦との恋愛を描いたお話になります。

1800年代中期頃に書かれ、世界各地で舞台や映像作品として描かれたお話なのでご存じの方も多い作品だと思います。

 

ちなみに、ボクは今回初めて読みましたウインク

内容については何も前情報を入れずに読んだので、どういう話なのかスゴク楽しみでした。

 

ボクの印象としては、19世紀代のお話は、感情表現ドキドキがスゴク

ストレートだなという印象があります。

以前からもこの年代の読み物は読んだことがあるのですがその印象はやはりそのままでした。

 

しかし、感情表現はストレートではあるのですが、その表現方法がボクには至極おしゃれに感じてしまいます。

時代により言葉そのものは変化をしていくものだとおもいます。

直接的に『好きですビックリマーク

というだけではなく言葉そのものは間接的な比喩を使ってはいるけれど、そこから感じられるその発信者の気持ちはストレートに感じとることができる。

と、ボクは感じます。

 

純粋に、ボクにもその様な表現力を身に着つけたいビックリマーク

たっで、至極オシャレじゃないですかキラキラ

 

そんな男になりたい爆  笑

 

この1冊を読み終えての感想は、女性の懐の大きさと、人をそうさせる愛の力

また、その愛が裏返った時それが、憎しみに変貌してしまう恐ろしさにあると思いました。

 

この愛も憎しみも人に大きな力をもたらし

 

時として、愛の力によりどのような苦境や苦難を乗り越えていく

推進力にもなり

時として、その愛が裏切られた際は地獄の業火の如く人の心に憎しみという炎炎を生じさせてしまう

人によりそれが善にもなり悪にもなり得るものだと強く思わされました。

 

そして、ボクにその『愛』という感情が芽生えそれをどちらにするのかわボクの懐の深さや器の大きさなのかもしれない。

と、思います。

 

自分の我欲を押し通すのか、相手のことをどれだけ思いやることができるのか?

そういうことが、懐の深さや器の大きさになるのかもしれませんね。

 

母の愛は海よりも深い 

 

という言葉がありますが、この椿姫を読んで改めて、女性の強さを感じずにはいられませんでした。

 

ボクは、男性・女性という価値判断ではなく、いち一人のヒトとしての深さや大きさを身に着けたい!

と読み終えて思わされたお話でした。

 

世界的な古典なので、ご興味ありましたらぜひ一読してみてはいかがでしょうか。

 

それでは、次回の投稿までごきげんよう。

やっとブログを開設してから初めての投稿になります。

 

このブログは、ボクが読んだ本のその時感じたこと・考えたことなどを忘れないように記録しておくための日記的なものにしようと思って書いていこうと思います。

 

まず初めの第1回目

ブッダ ~繊細な人の不安がおだやかに消える

100の言葉~という本を読んだ感想を書いていこうと思います。

 

まず初めに、ボクのブッダという人のイメージは、仏教の創始者というイメージですし宗教と言えばどこか怪しげで怖いというようなイメージを持たれる方も多いのかもしれません。

宗教のイメージは実在しない架空の対への信仰という感じがどうしても会ったのですが、ブッダという人は紀元前に実際に存在し、確かにそこにいたという事実を知ったときその言葉に現実味・はたまた真実味をボクの中に感じたことを強くここに記録したいと思いました。

 

実際この本で、どういったことが書かれているかというと

本のタイトルにもあるようにブッダが今世に残した言葉を100を紹介

解説した内容の本になります。

 

1章 世間のルールになじめない

2章 人間関係に気疲れする

3章 自分がなんのためにいるのかわからない

4章 これから先どうなるか不安

5章 やりたい事が見つからない

6章 心が晴れるためには

という全6章からなからなる内容になります。

まさに現在人それぞれがどこかの章で感銘を又は、なるほどビックリマーク

となる言葉がいくつもつ発見できる内容ではないかと思います。

 

この本・ブッダのそれぞれの言葉から感じられる部分からは、

『自分以外の事柄から影響を受けているのではなく、根源的にその出来事をどのように捉えるかはあなた自身以外他にない』

ということでした。

本の中では、親や自身の子供・恋人なjどえの執着や人としての欲を捨てるような内容の言葉がたくさん出てきます。

 

それを見たときボクの感想は【ブッダさんそれはあまりにぼ孤独ではありませんか?』という感想でした。

人は人の中に生きています。

そして、現代ではあまりにも多くの物や価値があるというものがあるれていると思います。

その多くの人として生まれもつ欲を拭い去るのは難しいという感想を持ちました。

 

しかし、ブッダは言います。

【その我欲があるから苦しみが生じる】のだと

しかし、人として今、現在に存在している私には、欲を捨て去る術を持ち合わせていません。

 

だからこそ仏教徒や修道者は日々修行に勤しんでいるのかもしれません。

我欲をなくしたその先に、今現在の自身の状況を受け入れそのなかで幸せを感じるこが出来る。

それが本来の幸せのカタチなのかもしれない。と

ボクは今回この本を読んで感じました。

本当の幸せは、お金や名誉や地位や身分やなんかではなくすでに

自分自身の中にあり、それに気が付くことが出来るかどうか?

なのかも知れませんね。

 

勝手に自分の思いつくがままにここまで書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます爆  笑

もし気になる方がいらしたら一度ブッダについての書籍をご覧いただき、なにかそこで感じて頂けたらと思います。