”農業一枚‼️ 〜 守りたいもの、、、”(追記) | チャンコとここにいること

チャンコとここにいること

老猫(メス23歳と4カ月)まで長生き。
夫の祖父母、両親と3世代夫婦同居経験。四世代7人で生活も今は夫婦二人。夫の両親、祖父母在宅介護経験あり。
実両親を妹弟の三人で通い介護を経て実家近く老健へ。
夫はビー小体認知症。
思い出作りに年に数回子供家族と旅行中。

昨日、ペコママさんのブログを読み、

そしてヤスミンさんのブログへ。



私が大切な物を守られなかった後悔を
お話させてもらいます。

我が家は明治の始めに山形から
屯田兵より数年早く札幌に入植しました。
その当時はたった数軒しか住んでいなく
粗末な建物でひぐまが屋根から
覗いていたと言う話も聞いています。


先人達は
荒れ果てた土地を開墾して我が家の畑を
肥沃な土地に改良してくれました。
とくに婿養子に入った山形出身の3代目の
祖父は一度も山形に里帰りすることなく
大変苦労をして亡くなりました。

そんな祖父に感謝し、偲ぶために
私達家族は年に一度、
祖父の故郷山形庄内の祖父の実家の
お墓参りにでかけています。


とても貧しく厳しい時代を舅までの4代の
先人達が乗り越え夫にバトンタッチ
されました。

舅は貧しく学校へも通えず辛い思いを
したので息子、娘達には農家の仕事を
させませんでした。
だから私が嫁いだ時も農家はしなくて良いという言葉に甘えてしまったのです。

バトンタッチされたサラリーマンの夫は
百姓が貧乏で馬鹿にされたからと農家を
嫌がり不動産で収入をあげることに
勤しみました。

私は引き継いだ不動産は先人達からの
預かり物と、夫はバトンタッチされたら
自分の物だと考えが一致せず
言い争いがたえませんでした。

私は舅の在宅介護を通し舅や夫の祖父母の
苦労が身に染みて理解ができ家庭菜園でも
よいからと姑と二人で始めました。

素手で土を触るなんて考えもしなかったのに
いつしか素手で土を触り愛おしく思える
自分がいました。

先人達のように庭の落ち葉で腐葉土作りを
して、美味しい野菜が採れたときの喜びを
忘れる事ができません。

梅の木の剪定も消毒も何もわからず
舅の友人に教えてもらったりしました。

舅のてこでしかなかった姑は
何一つ細かいことはわからず舅の
農事ノートを見つけて読んでも
暗号みたいなものも有りちんぷんかんぷん。

でもこの農事ノートは捨てることが
出来なくマンション引っ越し時に
もってきました。

開墾した土地を農地として守れなかった
私達ですが高校生で7代目になる孫が農業をしたいと二年連続で夏休みや、
テストあけの長いお休み時に娘の
知り合いの農家さんで農業体験を
しています。

農作業だけでなく経営までも学ばせてもらいお百姓さん一直線で頑張っています。

雪国の農業は一年の三分の一は
雪で農作業は出来なく、昔は出稼ぎでした。
今は徐排雪の仕事で稼いでいます。


夫が嫌った百姓という言葉、
私は大好きです。
私だってリンゴ農家の孫ですし、百姓の家に嫁いだのですから。


北海道の食糧自給率は高いのでこれからも
長く続くよう応援したいです。

孫がこれから目指す農業は温暖化、
人手不足等で大変難しいと思いますが
足手まといにならないようばぁばも
喜んで手伝いたいと思って鍛えています。



余談ですが息子が企業した時につけた
会社名は開拓者に関係のある言葉。
そしてもう一つの会社名が
一族の繁栄という花言葉。

道産子魂生きています。

先人達には私達夫婦ができなかった事を
子供、孫が意志を継いでくれるというので
勘弁してねと思っています。


長い間、私の拙いブログをお読み頂きましてありがとうございます。

どうか皆様、頑張っている
   日本の農業応援しましょうよ。