気づけば6月!
息子ちゃん産まれてはや2ヶ月

スクスク育ってくれてますおねがい

最近は手足のバタバタが日に日に強くなって

あー、うー、と声も出すようになって

この2声で会話してますキューン


こんな小さい手もすぐ大きくなるんだろうな思って

咄嗟に撮った手カメラ



なかなか更新できず、というのも
産んだ後壮絶な経験をして全く体調が整いませんでした。


↓ちょいグロい内容かもなので

嫌な方は読まないでください



産後退院してからは実家から母が1ヶ月居候してくれて
家事や育児を手伝ってくれてました。

産後15日目の朝、

息子ちゃんのオムツ変えてるとき、

なんかめっちゃ出血したかも。

と思いトイレに向かうと
もうそこからドバドバドバと出血が止まらず
何じゃこりゃ!!!状態。
テンパりながら母を呼び母も発狂。

旦那を急いで起こしてもらって救急車呼び出し🚑
その間もとめどなく流れ出る血。

あまりの量でトイレから動けず
産褥パットもあいにく切らしてて
ナプキンで何とかしようにも
全く追いつかず、ナプキンに溜まってしまう。
トイレはたちまち事件現場化ドクロ


来ていた服も血だらけで、救急車来る前にズボンだけでもと思って寝室向かうも止まらないから
私の歩くところ全部血だらけでてんやわんやアセアセ
救急車5分くらいで着いて動けないので担架で運ばれる病院



あー、、私このまま死ぬんかな、、



こんな量出てるんやから多分死ぬかもと思って、母にも
私死ぬんかなってポロッと出てしまった。

(あとあと聞いたらそのとき母は自分までてんやわんやするとダメだと思って冷静を保ってたけど、内心私が死んだら息子ちゃんをどうやって育てていこうか考えてしまったとのこと。笑)


そしてそのまま病院へ病院
内診台上がるにも血が止まらなくて動くとドバドバ出てしまって、診察室まで血だらけに。笑
申し訳なさと恐怖でもうずっと目を瞑ってました。

一旦バルーン入れて止血させてCTへ。



子宮仮性動脈瘤の疑いで即入院えーん


分娩室のベットで安静にさせてもらって
看護師さんに手伝ってもらいながら血だらけの体を拭いてもらった。
(ほんとに看護師さんには感謝悲しい)


産後の入院中お世話してくれた看護師さん、

助産師さんたちが

あ、キャロラインさん!?大丈夫?

びっくりしたね〜って声をかけてくださった。

(私の苗字が珍しいからか

結構色んな先生方が覚えてくださっていたようだ)


そこから絶対安静のため

尿道カテーテル入れて両腕に点滴やら鉄剤やらで繋がれてベットごと病室へ。
血液検査で極度の貧血だったので次の日輸血する羽目に。
朝から何も食べられず、晩ご飯でようやく一食食べさせてもらえたネガティブ

次の日は輸血があるからまた朝昼絶食で

貧血で頭は痛いしクラクラするし、

とりあえず生きた心地がしませんでした。

バルーンのおかげで一旦は止血できて、

輸血が終わってからは尿道カテーテルがストレスすぎて

必死に歩けるアピールをして取ってもらいました。

止血がうまく行ってなかったらUAEを受けることになるところだったけど、

一旦は止まったから様子見になって、

3泊4日で退院となりました。

ただ、またいつ破裂するかわからないという爆弾を背負わされ爆弾

家に帰っても何にもできず、

母と旦那に任せきりの日々を送っておりました。


産後の出血もまだ終わってない状態だったから、そこから少し血が増えたら不安しかなくて、

何回も何回も病院行ってはエコーで診てもらいを繰り返し、

子宮収縮と一緒に徐々に減っていって、

5月末にようやくしっかり出血が止まりましたネガティブ


本当に恐ろしい体験をしてました。
子宮仮性動脈瘤なんて聞いたこともなかったし、そんなこと起こるとも知らなかったし、

調べたら1000人に2.3人となかなかな確率だし、産後にこんないろんな経験までする事になるなんて、

かなりトラウマになりました。


プラスアルファ産後入院中に縫合した会陰切開も傷口が開いちゃってて、3回目の縫い直しをしたりと

何でこんな辛い思いしなきゃならんのだと、

人生で2番目に辛い経験でした。

(1番はSLE発症のとき)



子供が可愛くて痛みなんて忘れるわ飛び出すハート

とか、1ミリも思えないし一生忘れないです私は。

(もちろん子供は可愛い)


出産は命懸けだというけど

私は死にたくないし、当分トラウマからは解放されないでしょう。


出血は治ったけど定期的に動脈瘤の様子を

経過観察となりました。



とにかくこんなことがあったので

なかなかブログも書けず、、、

ようやく落ち着いて来たので

また余裕ができたら更新していきます!



*キャロライン