ジュンス、SM・東方神起を離れた当時を回想「自問自答も…幸せを求めていた」 | History

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東方神起・過去・現在・未来・・大好きなチャンミンと。

ジュンス、SM・東方神起を離れた当時を回想「自問自答も…幸せを求めていた」(動画あり)

https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2241850&categoryCode=PU


ジュンスが、SMエンターテインメントとグループを離れたことに言及した。

16日、YouTubeチャンネル「妖精ジェヒョン」には、「私が聞いた話があるんだよ……」というタイトルの映像が掲載された。

ジュンスはミュージカル活動をすることになった当時を思い出し、「SMを出てから約1年くらい、休みの期間がありました。心の準備もできていなかったんですが、そんな時に公式の場でファンの方々に再会した初めてのステージがミュージカル『モーツァルト!』でした。アルバムよりも先に始まったプロジェクトですし、ミュージカルを通してファンの皆さんと再会したので、全てのシーンが終わってカーテンコールの時に泣いたことを覚えています。歌手としてデビューした時以上? それくらいの緊張があったと思います。今でも鮮明に覚えているほどです」と語った。

続いて、SMを離れたことにも言及し、「幸せを求めて事務所を出たものの、何というか……。実際に歌手活動を、自分が歌を歌う活動自体ができるという考えすらできていませんでした。ただ単にこのようなパターンで13年という時間が流れて、30代後半ぐらいになった時、この契約が終わってしまうのに、自分の人生は一つのことに没頭するだけでいいのか? と思っていました」と打ち明けた。

彼は「もちろん、感謝の気持ちもありました。ただ、当時はもっと若かったから、毎日2~3時間しか寝られずに、ここが韓国なのか、日本、中国、台湾、どこなのかもわからないくらい、海外を行き来していました。芸能人には味わえない、普通の生活がもっと価値あるものかもしれないと思いました」と付け加えた。

また「長い期間活動していたかのように思えましたが、長くて5、6年でした。東方神起として活動した期間より、ミュージカル俳優活動した期間の方が3倍長いです。当時は大人だと思っていたけれど、考えてみると、まだ25歳だったんです。今、自分が25歳の子たちを見ると、まだ幼くて可愛らしいと思うのに、『あの歳で、そんな悩みを抱えていたのか?』と思うと、自分でもどうして? となるくらいでした。『芸能人としての契約が終わった時、僕という人間は本当に幸せなんだろうか?』と自分に問いかけた瞬間、『それは違う』と思ったんです。もし、これ以上自分が好きな歌を歌えなくなったとしても、このままより、少しでも早く終わらせた方が……決断した方がいいと思いました」と伝えた。








ジュンス、BIGBANGのD-LITEと再会!SM練習生時代から番組出演への制約まで言及(動画あり)

https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2241346


ジュンスが過去の番組出演に関する制約に言及すると共に、6年ぶりのステージとなったEBS「スペース共感」に感謝を伝えた。

最近、BIGBANGのD-LITEの公式YouTubeチャンネル「家(の外に出た)テソン」を通じて公開された「第2世代アイドル首脳会談」というタイトルの動画に、ジュンスがゲスト出演。第2世代アイドルを代表するD-LITEとジュンスの再会が話題を集めた。

彼らは久しぶりに番組を通じて再会したことを非常に喜んだ。D-LITEは「(番組では)バラエティ番組『ファミリーがやってきた』以来だ。あれがほぼ16年前。僕が20歳の時だった」と話し、ジュンスは「そうだ。『ファミリーがやってきた』以来、番組では初めて会う。個人的に会ったのは、僕の覚えている限りでは『ドリアン・グレイ』のミュージカルを観に来てくれた」と挨拶した。

久しぶりに会う2人だったが、ぎこちない雰囲気はなかった。ジュンスは「グループでも少し似ているポジションだと感じていた。ボーカルでもあるし、そのような面で親近感がある」と話した。D-LITEも「スタイリストがカシオペア(東方神起のファン)だったが、兄さんのことが大好きだった。パールレッド(東方神起のグループカラー)の靴下を履いていた」と伝えた。



続いて、練習生時代に関するエピソードも飛び出した。D-LITEは「兄さんは1999年から練習生だったそうだ」と言い、ジュンスは「年度までは曖昧だけど、すごく若い頃からだ」と答えた。すると、D-LITEは「当時、メンバーのG-DRAGONがSMエンターテインメントの練習生だったという話を初めて聞いた」と話し、目を引いた。

ジュンスは「SMエンターテインメントの練習生と言っても、全員のことを覚えているわけではない。他の人にはあまり興味がなかった。興味がないというより、余裕がなかった。あの頃は自分のことだけで精一杯だった」と、練習生当時を振り返った。

また、ジュンスはD-LITEに“親近感”があったと打ち明けた。彼は「初めてBIGBANGのメンバーを見たときに覚えているのが、最初(東方神起が)デビューしたとき、ファンの皆さんや世間の皆さんが僕を見て“あ、この子はとにかく歌が上手なんだな”と言われた。他のメンバーがみんなイケメンだったから。誰が見ても“この子はメインボーカル”という感じで。そしてBIGBANGがデビューした。僕はD-LITEさんを見て、“歌がどれほど上手なんだろう”と。僕のようなポジションだと思った」と明かし、笑いを誘った。


D-LITEも「(東方神起に関する)最初の記憶が、ステージではなく、ドライリハーサル(カメラなしで行うリハーサル)で惚れ惚れしたことだ。“すごい”と思った。『“O” - 正・反・合』だったかな……その曲がすごく難しい。しかも兄さんのパートにアドリブがある。眠らなくても朝からライブができる人がまれにいると言うけれど、まさにそのような感じだった」と、絶賛した。

ジュンスも「ドライリハーサルの時は寝ることが多いけれど、僕たちもBIGBANGがやると聞いたら見に行った。僕たちが持っていない雰囲気の強さがあるので、見ながら学んだ。だから、もっと見ようと思った」と話した。

ジュンスはこの日、過去に番組出演への制約がかけられたことにも言及した。東方神起から離れ、JYJとして新しく活動を始めた当時、番組出演が難しかった。彼がその後、約6年ぶりに出演した音楽ステージはEBS「スペース共感」だった。


彼は「EBSの教養番組だった。『スペース共感』は従来のアイドル歌手が出演する番組ではないので、制約をかけられなかったのだと思う。なので、“かまわない”という感じだった。その番組のプロデューサーと作家さん、そして放送局にとても感謝している」と感謝を表した。

続いて「芸能人サッカークラブ同士で試合をすると、『芸能街中継』や『SBSテレビ芸能』が撮影をし、それぞれ俳優、アイドルたちのインタビューを行う。僕も受けた。しかし僕は番組に出られないことを知っていた。そう話しても、『これは出られるから大丈夫』と言われて、真面目にインタビューを受けた。しかし、やはり編集された」とし、「歌うことに関してはさらに制約が多かった。ファンの皆さんも知らないと思うけれど、収録をしても放送されなかったことがとても多い。あの頃は諦めようかすごく悩んだけれど、やれるところまでやってみようと思った。番組に出られるようになって、すごくありがたかった」と打ち明け、注目を集めた








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