~冬~
ノック音に、ユノさんの帰りを今か今かと待ちわびていた私は、玄関ドアに飛びついた。
「...ユノさん?」
ユノさんの腕の中に、バスタオルにくるまれた『それ』はいた。
ユノさんの腕の中のものを覗き込んだ。
私の傍らで眠っていたタミーも、のそりと起き出してユノさんの足元へ寄ってきた。
バスタオルの隙間から肌色の鼻がのぞいていた。
指を近づけると、匂いを嗅ごうとひくひくとうごめいていた。
「赤ちゃんなの?」
「生後2週間だ、多分。
毛布をもっておいで。
この子を下ろすから」
ユノさんの腕の中で『それ』はぷるぷると震えていた。
団扇のような耳、子豚のような鼻に4色の毛皮、短すぎる脚と尻尾。
まぶたを縁どる白いまつ毛の下、その瞳は焦げ茶色をしていた。
「...この子...どこに?」
鼓動が早かった。
「アルパカの檻にいた。
今朝の話だ。
...今度こそ、本当の話だよ」
「嘘みたい...」
「嘘みたいだけど、本当の話だよ」
「...夢じゃないよね」
「夢なものか。
さあ、名前は何て付ける?」
「私が決めていいの?」
「もちろん。
チャンミン、君への誕生日プレゼントだ。
っていう言い方も変だなぁ。
チャンミンのところに来たい、って突然現れたギフトだからね」
「...嘘」
私はそうっと腕を伸ばし、小さくか細いその子を抱き上げた。
渦を巻くおへその下の突起に、この子がオスだと知った。
「えっと...名前は...」
実は瞬時に思いついた名前はあったのだ。
でも、照れくさくて口に出すまでに数秒の間が出来てしまった。
「...ミンミン」
ユノさんったら酷い...子供みたいにお腹を抱えて「わーはっはっは」って笑い転がるだから。
「ミンミンは...消えたりしないよね?」
「消えないよ。
チャンミンはチャンミンだし、ミンミンはミンミンだ。
ずーっと俺たちと暮らすんだ。
チャンミンの弟なんだから」
「よかった」
ユノさんへの誕生日プレゼントはワイン色のセーターで、タミーへはクッキーの詰め合わせだ。
「ちょうどよかった!
私もね、この子の為にあるんだ」
彼の為に編んでいた白の毛糸の帽子だった。
両耳を覆い隠してくれ、顎の下で紐を結ぶと、温かな頬かむりになるのだ。
今のミンミンにはそれは大き過ぎて、ポンチョのようだった。
私はユノさんに頼まれなくても、ストーブからヤカンを下ろし、熱いお湯をバケツに注いだ。
ホットタオルでこの小さな生き物...ミンミンの身体を拭いた。
足先とお腹、尻尾についたウンチ汚れを拭き取った。
肋骨が浮き出るくらいやせ細っていて、頭ばかり大きく見えた。
ミンミンは気持ちよさそうに、まぶたを半分閉じている。
「ミンミンは君のことを気に入ったようだね」
「当たり前だよ。
だって私はこの珍獣にはとても詳しいの」
・
彼は13カ月、私たちと暮らした。
ふいに、たまらなく彼に会いたくなる。
そんな時は、胸に手を当てる。
空想の草原を、彼はのびのびと駆けまわっている。
私がちゃんとついてきているか、立ち止まり振り返る。
彼は心配性なのだ。
「大丈夫だよ!」
安心した彼は「僕についてこられるかな?」と、コビトカバ的お尻を振って先導していくのだ。
そして...。
今の私はミンミンを連れて、現実の草原を走り回る。
ミンミンの団扇のような両耳は風にたなびき、大きなお尻が弾んでいる。
名前を呼ぶと、全速力で私の腕の中に飛び込んでくる。
私の手からミルクを飲んでいたミンミンは、スイカ1個分まで成長していた。
雪どけ後の地面はじくじくと水気が多く、ミンミンに飛びつかれた私のズボンは泥だらけになってしまった。
ミンミンと並んで地面に腰を下ろし、木柵にもたれて眼下の景色を眺めた。
魔法瓶につめてきた熱くて甘いお茶を飲んだ。
ねえ、ミンミン。
まだ君について知らないことばかりだよ。
街の彼方にあるであろう海に想いを馳せる。
ミンミンの肌色の鼻がひくひくとうごめいている。
山と街を越えてきた風から、潮の香りを嗅いでいるのだろうか。
『夏になったら皆で海に行きたいです』
「うん、行こうね」
『...ねえ、チャンミン』
ミンミンの前足が、私の手首にとん、と添えられた。
「なあに?」
『僕と君は...』
焦げ茶色の目で、私をじぃっと見上げている。
『ずっと一緒ですよね?』
瞳孔は漆黒で虹彩は深緑、とても不思議な瞳をしている。
視力があるのか疑ってしまうほどに美しい瞳だ。
「もっちろん!」
不安がるミンミンのために、私は何度でも「どこにも行かないよ」と繰り返す。
これから何度も撫ぜるであろう、ミンミンの頭を優しく撫ぜた。
まん丸な頭蓋骨から伝わるミンミンの体温が、じんじんと私の手の平を温めた。
『僕はこの通りチビ助ですけど。
僕とチャンミン...友だちですよね?』
「もちろん!」
日差しは温かいけれど、風はまだ冷たい芽吹きの季節。
黄緑色の細かな点々が、日に日に灰色の世界を埋め尽くしていくだろう。
私とミンミンは同じものを見て、各々にもの思いにふける。
私はいつか読んだ物語のシーンに似ていると思い、ミンミンは...何を思っているんだろうね。
同じ小鳥のさえずりを聴いて、私は過去を思い出して切なくなり、ミンミンは小鳥を捕まえようとジャンプする。
同じ風を頬に受けて、私にはちょうどよく、ミンミンは肌寒く感じている。
ミンミンは「ぶちゅん」とくしゃみをすると、垂れ下がった鼻水をずるんとすすった。
「そろそろ帰ろうか?
夕飯の用意をしなくっちゃ」
『僕もお手伝いします』
「味見係は間に合ってるから、ミンミンは外で遊んでいてよ」
私の言うことなんて聞きやしないミンミンは、既に家へと走り出している。
『僕についてこられるかな?』
「ミンミン、ずるい!」
ぬかるんだ地面と長靴履きで、走りづらいったら。
「ユノさんが帰ってきた!」
私たちに気付いたユノさんは、笑顔になって運転席から手を振っている。
赤いトラックに負けまいと、私もミンミンの白いお尻を追った。
優しいユノさんは、スピードを落として私たちに並走してくれる。
ユノさんへ抱く恋心に気付いたのは、それから数年後のことだった。
(おしまい)
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2020年9月19日初投稿