「チャンミン!」
あの後頭部の形、首から肩へのライン、高い腰の位置。
最愛の人。
俺の先を歩く後ろ姿を大声で呼び止め、振り向いた彼にとびっきりの笑顔を送る。
「チャンミン!」
ところが、その人は訝し気な表情で首を傾げていた。
「チャンミン?」
最初は、俺を慌てさせようとふざけているのかと思った。
「チャンミーン。
からかうのはよせったら」
「?」
「チャンミン!
いい加減にしろったら!」
「?」
「チャン...ミン?」
俺のことが分からないのか?
「チャンミン!
俺だよ、俺。
ユノだよ!」
軽いパニック状態になった俺は、彼の元に駆け寄って二の腕をつかんで激しく揺すった。
眉尻を下げた困り顔はチャンミンそのものなのに、彼は首を振って言った。
「申し訳ありません。
私は『チャンミン』ではありません」
「...え...?」
「あなたは別のアンドロイドとお間違えじゃありませんか?」
奈落の底に落ちたという表現が大げさじゃないくらいに、俺は絶望した。
チャンミンそのものの外観なのに、彼はチャンミンじゃない。
そうだった...チャンミンはアンドロイドだ。
この世に同じ姿形のものがもう1人、1人どころか100人いてもおかしくない。
俺の永遠の味方...俺のチャンミンはどこに行ってしまったんだ?
がっくりと膝から崩れ落ち、顔を覆って泣いた。
・
以上が俺が見た夢の話だ。
夢でよかった。
俺の脇腹に顔を埋めて眠る、穏やかで美しい寝顔。
彼の髪を撫ぜてやりながら、心の底から安堵したのだった。
「もしも、の話です」
俺が14歳の時、チャンミンは俺にこう尋ねた。
「僕と全く同じ外見のアンドロイドですが、中身が全く別人だったらどうしますか?」と。
チャンミンはアンドロイドだから、そのたとえ話はあり得る話だった。
「見た目がチャンミンで、心が違う人ってこと?」
「はい」
「うーん...想像つかないなぁ」
何気なさを装っている風のチャンミン。
俺の答えを一心に待っているに違いないのは、チャンミンが瞬きもせず俺を見守っている真剣な顔ですぐわかった。
「チャンミンの身体に、誰か別の人格がいるなんて、そんなのチャンミンじゃないよ」
「黙っていれば、僕そのものなんですよ?
どうですか?」
「俺には分かるよ。
例えチャンミンそのまんまな奴がいたとしても、そいつがひと言も喋らなくても、俺には分かる」
「なぜ、分かるのですか?」
真剣過ぎる眼差しに、怖くなった。
チャンミンが知りたくてたまらない言葉を、俺はちゃんと言えるだろうか。
「チャンミンの顔と身体と...それから、チャンミンの心...」
チャンミンの長い前髪をかきあげ、斜めに分けると右耳にかけてやった。
「全部揃って初めて、チャンミンになるんだ。
ひとつでも欠けたら、チャンミンじゃなくなる」
「ホントですか!?」
「うん。
今、俺の目の前にいるのがチャンミンなんだ。
この世で唯一のものなんだ」
少しくすぐったそうに、首をすくめた仕草が可愛らしかった。
そう。
チャンミンは俺より年上で、大人なのに、可愛い。
その頃から、そう感じるようになった。
「もうひとつ、質問してもいいですか?」
「いいよ」
「僕の姿形と心が揃って『チャンミン』になる、とユノは言いました。
次も『もしも』の話です。
もしも、全く別人の見た目で、心が僕だったら、ユノはどうします?」
2つめの質問に、俺は困った。
俺はチャンミンの綺麗な顔を気に入っていたから。
7歳の誕生日、箱の中で眠っていたチャンミンを初めて見た時、「うわあぁぁ」って。
小さな子供だった俺でさえ、「こんなに綺麗なものがあるんだ」って、身体が震えるほど感動したんだ。
どちらかが欠けてしまったらそれは、チャンミンじゃなくなってしまう。
ここで俺はじっくり考えてみたんだ。
チャンミンのことが大好きな理由ってなんだろう、って。
これまでずっと、ずっと俺に寄り添い、守り、勇気づけてくれた優しいチャンミン。
泣きじゃくる俺と一緒になって、おいおい泣いてしまうチャンミン。
大きくて力は強いけど、ちょっと弱い...いや、とても弱いチャンミン。
チャンミンがチャンミンであるのは、「チャンミンの心を持っている」かどうかなんだ。
チャンミンの心が、俺を癒やす言葉を紡がせ、俺の膝小僧に絆創膏を貼る指を動かしているんだ。
「見た目がブサイクなおっさんだったとしても、心がチャンミンだったら、そいつはチャンミンだよ」
俺の言葉にチャンミンの、ぎらりと怖いくらい力のこもっていた眼の光が消えた。
分かりやすいほどにホッとした様子に、俺も安心した。
よかった。
チャンミンが欲しがる言葉...イコール俺の本心を、ちゃんと伝えられてよかった、と思った。
不安そうなチャンミンを見るのが辛い。
悲しいくらいにチャンミンは弱いんだ。
べたべたと甘えていられたのも、小学生までの話だ。
俺が守ってやらないと。
チャンミンが「もしも」の話をするは、あの時が初めてだったから、よく覚えている。
校門前に、ワインレッド色の車が待機していた。
級友たちと会話しながらたらたらと歩いていた俺は、その車を見つけるとすぐ、「じゃあな」と彼らと別れて走り出す。
俺が出てくるのをあの大きな目で見張っていたのだろう。
運転席から文字通り、飛び出したチャンミンは、俺の方に駆け寄った。
そして、俺の手からボストンバッグを取り上げるなり質問攻め。
「おかえりなさい、ユノ。
どうでしたか?
楽しかったですか?」
「まあまあ、だよ」
週末前の夕方の校門前は、お迎えの車で大渋滞だ。
校門からまっすぐ見える場所にチャンミンの車がある、ということは、1時間以上前から待っていた証拠。
「お!
また背が伸びましたね。
いっぱいご飯を食べてる証拠ですね」
屋敷に向かう車内でも、ずーっとこの調子だ。
うっとうしくなって、運転するチャンミンに背を向けて、外の風景を眺めるフリをする。
俺が中学校に進学した春、父親に直談判した。
とても気に入っているし、手放す気は一切ない、留守の間もずっと屋敷に置いてやって欲しいと。
当時、チャンミンとの別れに恐怖していた。
チャンミンを手元に置いたままでいるには、相当の努力が必要なんだと、重く大げさに捉えていた。
ところが実際は、父親が満足するだけの、根性ある姿を見せられるかどうかにかかっていただけだった。
でも、安心して屋敷を留守にできるには、それだけじゃ足りないんだ。
チャンミンの存在価値を、父親と使用人たちに納得させないといけない。
つまり、俺のお守り以外のところでも役に立つことを証明しなければ。
そこで、チャンミンには屋敷内の雑事を担ってもらうことにした。
チャンミンは賢いし器用だから、マニュアルさえあれば大丈夫だ。
おっちょこちょいで無邪気なチャンミンだから、ドジ踏むんじゃないかと心配しだしたらきりがないんだけどね。
屋敷の雨どい掃除の際、ハシゴから落っこちやしないかとか、女中頭Kの気に障る発言をしないかとか(頭が良すぎて、彼女の話の矛盾点をつきそうで怖い)、パーティの給仕中につまみ食いをしないかとか、さ。
週末ごとに屋敷へ帰るようにしているのは、チャンミンが無事でいるか確認したかったし、使用人たちに睨みをきかせるためだ。
そして何よりも、チャンミンと過ごす時間が大事だったからだ。
(つづく)
※新年、ということで、優しいお話からスタートさせてみました。
第1話を書き上げたのは、12月26日です。
読み返してみると、今回の件を受けて、あらためて私が考えなくちゃいけないところとリンクしていて、びっくりしました。
お話の中の2人が、のちのち直面しなければならない哀しい事実。
それを乗り越えるための力を蓄える、
2人の関係性の変化を描いていくのが
この『初恋編』になります。
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